パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ゆうすげ

2021年07月07日 10時44分41秒 | 徒然なるままに

車の名前は苦もなく覚えられるのに、花の名前はさっぱりな生き方がずっと続いていた
土方歳三が「春の草五色までは覚えけり」と豊玉発句集で詠んだのは
植物に関心があまりなかった(?)いう点では、似てるなと勝手に思っている

ただ何か記憶に残っている花の名前があった
「ゆうすげ」
一時期夢中になった立原道造の詩の中に出てきた花だ

立原道造は若い時にしか作れないような、みずみずしい感覚とロマンティシズムに溢れた
ソネットを残したが、その風景を彼が過ごした軽井沢ではなく
スイスのグリンデルワルトの風景を想像しながら思い浮かべるのが好きだった
(放浪時代にグリンデルワルトのユースホステルに泊まってあたりを歩いた記憶が蘇る)
ただ「ゆうすげ」柔らかいその響きでうっとりしそうなのだが、どんな花だったかは知らないでいた

最近、庭に黄色い花が咲いた

「なんて名前の花かな?」
同居人にふと聞いてみると、返ってきた答えに少し驚いた
「ゆうすげ。庭師さんにもらって植えてもらった」
どうも今年だけでなく、何年も前からいつも咲いているらしい
花音痴だからいつも咲いているのはテッポウユリと思い込んでいた

これが、ゆうすげか!
急に立原道造の詩が現実感をもって感じられた
そこで「立原道造 ゆうすげ」とグーグルで検索して
「ゆうすげ」が出ている彼の詩を味わうことにした

そういえば名前は知ってるがイメージできない彼の詩に登場する花は
他にも女郎花(おみなえし)があった
この花の響きも柔らかだ
かれは柔らかい音の言葉をあえて使っている気がする
そしてそれが静謐な雰囲気を与える
思想性はなくても、胸をかきむしる感覚に陥る

ということで、今日は寝転びながら立原道造の本でも眺めることにするか
(雨の日の外出は面倒だし)


 







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間違いを認めるのは難しい

2021年07月06日 09時40分56秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

「間違いを認めるのは難しい!」(特に行政)
最近特に身にしみて感じること

人間だからミスは発生する
それが起きた時「仕方ないな、、」と同情的に思えるものも
開き直って弁明をすると(彼らにとっては説明責任を果たしているらしいが)
同情は怒りに変わることはある

地元新城市では学校給食共同調理場の計画が2年以上遅れることになった
その理由が情けないことに、建設現場は市の所有地と思い込んでいたが
実は一部県の所有地が含まれていたので、その部分の扱いをクリアしないと
前に進めなくなった

市の所有地と思っていた土地に県の土地が含まれていたことに行政は
「何時」気づいたか?と遡って追求されることが6月議会であったが
官僚や職員の定番の答えで、適切にステップを踏んで行ったという形しか答えない

行政の正当性を担保するのは、手続がきちんとなされていることだ
これこれのことを終えて(多分)文書に残されて、それを確認した上で次の段階に移る
ところが今回は、行政がどんな説明をしようが現実に計画は2年遅れになり
実施設計の再委託分の費用負担は増える事実は変えられない

ちゃんと適切なステップを踏んで行った
今後も適切に進めていく、、、
と答えても、結果としてありえないミスが発生したことは間違いない

多少緊張感が欠けて進めてしまったせいか、
それとも他の怪しい理由があるのかどうかは知らないが
起きてしまったことに対する責任は間違いなく行政にある(いくらかの費用は無駄になってしまった)

責任には結果責任、説明責任、道義的責任があると言われる
いくら説明(弁解)されても、起きてしまった事実に対する責任はなくすことはできない(と思う)
だが、この責任を謝罪という形で行政が表明するのはとても難しいことのようだ

ごめん!当然市のものだと思いこんでいたのが、あとで調べたら県の土地が含まれていた
本当に申しわけない、、、
こんな感じで謝罪があれば、しょうがないなあ、、お金が勿体ないのは頭にくるけど
次からは気をつけて欲しいとなりそうだが(少なくとも自分は)、
依然として自分たちは間違えていなかったと言い張ると却って不信感が募り
この事業に何かあったのではなかったのかと良からぬ想像さえ浮かんでしまう

と言っても、自分の間違いを認めるのは行政に劣らず自分でも難しいことは感じている
どうしても自己正当化をしたがる

つくづくこのような人間が集まっている社会は面倒な集団だと思ったりする
もう少し、ゆるいところで、うまく回っていかないかな、、と切に思う


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ワクチン接種

2021年07月04日 09時07分22秒 | 徒然なるままに

ワクチン接種のその場所(旧新城東高校)にいくのは3回目だった
1.2回目は母の付添
そして今度(7月3日)は自分のためだ
いくつになっても鋭い針が身体に喰い込む注射は嬉しくない
血液検査時でも、できるだけ刺す瞬間は見たくなくて顔をそむける

射つときは大したことはない
少しして射った部分が重くなるとか、その程度
2回目のほうが酷くて熱が出る人もいる
解熱剤を確保しておいたほうが良いよ!
そんな電話が埼玉の妹から母に向けてかかったきたこともあった

食べ物のうまいまずいと同じで、いくら人の話を聞いていても、
自分が体験しないと自分の体のことはわからない
さて本番は、、、、、

今は学生が通わない旧新城東高校
まずは本人確認をして摂取場所に移動する
校舎と校舎の間に芝生の1画がある
学生がいたなら草取りがなされていたに違いないその場所は
ほったらかしで緊張感もなく、草が伸び放題になっている
「夏草や兵どもが夢の跡」
今は住む人のいない無常観を不意に感じる
それにしても蒸し暑い
雨はやんだが土に染み込んだ湿気が湧き上がってるようで
汗が滲んでくるし、腕はベトベトする

付添で段取りは理解しているので問題なく済んでいく
「痛くないようにお願いします」
注射針を持つ人に笑みがこぼれる
チク!とした瞬間があってあっという間に終了

15分待つことになった
体調の変化なし
退屈な時間を終えて、次の接種の確認をして帰宅の途に

なんとなく腕が重いかな
という感覚は、今朝目覚めるともう少しその印象は強くなっていた
だが、それだけだ
とりあえず、良かった、、というところ

それにしても、ワクチンがどうのというより注射が嫌だな、、
人のを見るのはなんてことないが、自分の身体にブスリと想像すると、、、


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物語の中の囲碁将棋、大相撲、猫と犬

2021年07月01日 10時14分07秒 | 徒然なるままに

愛知県人としては将棋の王位戦の戦いが、同郷出身者というのは少しばかり誇らしい
新しい才能が目立つようになると世間も注目し、それに関する報道も多くなり
将棋自体にも関心が高まる
(解説する棋士のキャラクターが一人ひとり面白いことにも驚いた)

最近は若い才能が不思議なくらいシンクロしてどの分野でも見られるようになっている
将棋は藤井聡太さん、囲碁は中邑菫ちゃん、菫ちゃんとほど若くないけど
それでも充分若い芝野虎丸さん、サッカーでは久保建英さんが新時代を感じさせる

ところで2・3年ほど前に読んだ源氏物語の中には囲碁のシーンが数回登場した
それを反映してか、宇治の源氏物語ミュージアムには囲碁をしている女性の人形がある
だが将棋をしているシーンは物語にはなかったような気がする
(少し歴史が違うのか、それとも将棋が宮廷では盛んでなかったのか)
囲碁将棋とは別の分野では、大相撲が書かれた部分は一回あったようなかすかな記憶がある
動物では猫が登場した
あの時代でもどうやら猫は愛玩動物だったらしいが、猫は物語の重要なきっかけを
つくることになってしまった(若菜の巻)
同時代の枕草子では犬(翁丸)のことが書かれた部分がある

病気平癒のための医学が進んでいなかった源氏物語の頃は、祈祷が大事な対処法だった
時々そのシーンは登場したが、今の感覚からすると馬鹿らしいが
それでもその必死さは現在の誰も責任を取らないような人たちよりもずっと切実感を覚える

昔の物語を読むとストーリー以外のこうした部分もなかなか興味深い
でも、今は少し心に余裕がなくて、、それを楽しめないような、、、

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