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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

アフリカの音から!共感の意味を考える。2/3(共感⑤)

2010-08-01 | 第十章「今ここでの恩寵」
南アフリカで行われた、ワールドカップは素晴らしい感動を残してくれた。ただ、やはり、あのブブゼラの音は、馴れてくることはあっても、好きにはなれなかった。この印象は、世界的なものだったようで、ある放送局では、このブブゼラの音をカットする技術を開発し放映したとのことであった。その結果はどうだったのだろうか。

 音の世界では、ある周波数帯域をカットするということは、このコンピュータの発達した世界では簡単にできる。個人情報を大切にして、音声を変えて放送することも、よくテレビで見かける。

 しかし、先日みたBBCのドキュメント番組では、もっと驚いた。現世人類68億人が、アフリカ大陸から出発し、世界に広がっていく様を放映していたのだが、10万年位前の人類が使っていた言語に関する考察があった。舌打ち言語である。聴いたことはあったが、実際に聴いたことはなく、しっかり見聴きさせていただいたが、舌を打つような発音(初めてサン族の言葉を聴いて感動!)を、狩猟のときに母音等を削って話すこともでき、獲物に気づかれないように話せるとのことであった。

 コンピュータではなく、人間が、ある周波数帯域をカットして話していたのだ(しかも10万年前くらいか)!

 さて、共感ということを考える。共感は相手の個性の美を認める、相手を認める、その代わり、自分も認めて貰う、という行為である。簡単そうであるが、相手を認めるというのは、結構難しいものだ。五感を通し、何か腑に落ちる認め方が本当は必要になるのだが、そこが難しい。こころのダイアルでラジオの番組を探しだすような、同調機能が大事なのだろう。

 共感が出来ない原因は、自分の中にある劣等感であったり、逆に相手を見下すような誇大感であったりする。そして、その根にある自己愛に関わる体験の解釈の問題でもあるのだろう。生き甲斐の心理学を学ぶ、一つの楽しみでもある。

 もう一つの原因は、傾聴の力だろう。傾聴の技術を学び、ちょっと試して何となくもう卒業かと思っていた自分がいたが、何と愚かだったことか!日々の稽古を忘れてはならない(勿論、時と場合による)。必要な時に傾聴できる力は、どれだけ人生を豊かにすることか。

 共感は個人の問題でもあるが、世界の問題でもあるのだろう。今の混迷の中、もう一度5-6万年前に極めて少人数でアフリカ大陸から、世界に広がって行った祖先を思い起こすべきだ。そして、あの人間にだけ聞こえる微妙な言葉で生き抜いていた祖先。その共感能力は今の68億の現世人類と比べ、遥かに高かったと思う。

共感⑤(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 15/30)

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