イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

机の中にも愛!(純粋と一致⑦)

2010-08-13 | 第十章「今ここでの恩寵」
 学生時代の20代、のんびりと友達と語らっていたときに、何故、父親は≪部屋が散らかっているとか≫、≪掃除をしろ≫とか、どうでもよいことしか言わないのだろう。そんな話題を楽しんだ記憶がある。当時は、掃除よりももっと大事なことがあると、理想を追っていた時代であった。

 40歳台になったころ、私の父が病で亡くなった時、父の職場の遺品を整理に行ったことがあった。机の中など、働いている時の父の様子は知らなかったので、父の机の中はとても新鮮だった。消印のある切手とか、貰った薬などが丁寧に机の中に整理されてあり、私と随分違って物を大切にしているなと感心した。

 今、還暦が近くなり亡くなった父の年齢に近づいてくると、性格や育った環境も違うのにもかかわらず、机の中に現れている、何かが、段々判ってきたような気がしてくる。

 ≪モノを大事にする≫とか、≪もったいない≫とか、最近時どき話題になるが、生きものや生身の人間ではないにせよ、モノの扱いは一つの価値観とか世界観を反映しているのだろう。

 愛というのは深淵で、いくら思索しても思索しきれない世界であるが、やはり、他者肯定ー自者肯定の世界とも言えるだろう。決して、自己否定や他者否定が幅を利かす世界ではない。そんな中で、大切な人や自分と関わりがあるモノは、やはり大切なモノなのだ。愛とモノとの関係もあるのだ。思い出の品は大切だとわかるが、何となくあるモノも本当は大切なのだと思う。

純粋と一致⑦(暮らしの中のカウンセラーの基本の基本 27/30)

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