イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自然体になると・・・

2007-09-03 | 第八章「魂と聖霊」

私がサラリーマンであった時代を思い出すと、日々こころに鎧を装備し戦っていたように思う。

鎧とは、○○会社の○○さんになる鎧とか、社内での肩書きの立場とか、父であったり、さまざまな役割に関係したりする。そして、自分の本音と違うことをしたりする。

今は、生き甲斐の心理学を学んできた成果もあるか、こころの防衛機制を極力といて日々自然体に近い生活をし、より本音で行動しているようだ。

自然体でいると、周りの人たちの反応が変わってくるのに気がつくことがある。寂しくなるとき、嬉しくなるときいろいろである。逆に、自分が何かの拍子で鎧をつけたりすると、吃驚する人もでてきたりする。

昨日は、車で近くの公園に行き、久しぶりに自然の美を楽しんだ。

花に寄る蝶を見ていると、楽しくなる。

自然体の花、自然体の蝶・・・

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アサガオが咲く!

2007-09-02 | 第八章「魂と聖霊」

小学校の時以来、種から植物を育てることは無かったが、意を決しアサガオを育て、今日の朝始めて一輪花が咲いた。

始めはひとつの鉢に種を撒いたが、一鉢には多すぎる芽がでて、4つの鉢に分けて妻の指導のもと育てた。途中、大風で4つの鉢が倒れ土がこぼれること2回、風を除けてベランダのやや日当たりの悪いところで育てた。

一回は花のつぼみが事故の影響で大量に萎んでしまい、花はもう咲かないかと思っていた。

アサガオの生命力、つるの巻きつきの速度には吃驚する。「朝顔や 釣瓶とられて もらひ水」(千代女)の俳句があるが、本当につるの成長は速い。また、巻きつきも凄い。4つの鉢と周りのラックなどを渾然一体としてしまっている。

つるの成長を感じながら、つるを見ると不思議な気分になる。

サボテンの花もそうであるが、つる状の植物は、つるが単独で成長するというだけでなく、空間がつるを用意して、つるが現れるというような、不思議な空間との協調を感じてしまう。

見えない何かと、見えるモノとの関係。古来より人々はどのように感じてきたのだろうか。魂と身体、身体が先か魂が先か。いろいろ想像してしまう。

青い一輪のアサガオ、4つのどの鉢から生えているかは良くわからないが、美しく咲いている。

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クリスチャン・ネーム

2007-09-01 | 第八章「魂と聖霊」

私は日本では珍しいキリスト教・カトリック信徒であるが、生まれて4ヶ月の時に幼児洗礼を受けた。そして母の信頼するシスターからクリスチャン・ネームの提案があり、「イグナチオ・マリア」というクリスチャン・ネームに決まった。

通常男性には男性の聖人の、女性には女性の聖人の名前がクリスチャン・ネームになることが多いが。私の場合は、イグナチオという男性聖人と女性のマリア様の二つがついている。

私のクリスチャン・ネームは成人になるまで、「イグナチオ」であると思っていた。母が女性の「マリア」を私に言わなかったのである。後日住まいの関係から教会の籍を移したときに発見した。

日本の習慣を考えれば、男性は男性の名前を選ぶだろう。そうでないのはちょっと感覚的に変であり、息子にうまく説明できなかったこともあるようだ。

この世の次元と魂や純霊の次元は異なり、性など関係ないのであろうが、日本人の感覚ではちょっとと思う。

ただ、今となっては、「マリア」に愛着を覚えている。所詮洗礼は恵みそのものであり、クリスチャン・ネームも恵みであると考えると平安になる。「マリア」様も大好きだし・・

そして、自分のクリスチャン・ネームの中に男性性と女性性がが入っていることで妙な安定感を感じる。

ただ、自分の生き方やアイデンティティを考えると、最近は男性性や父性の重要さをもっと見詰めるべきだとも思う。「イグナチオ」は武人であったこともある。

クリスチャン・ネームを思いながらいろいろと考えを廻らしてしまう。

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