物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

大検

2009-04-13 11:40:59 | 受験・学校

大学検定試験で大学に入ったという学生がいま私の教えている学生にいる。先週第一回の講義の後にやってきて3次関数を知らないという。2次関数は知っているがという。私などは2次関数がわかっているのなら、3次関数だって同じようなものだと思うのだが、そうではないらしい。

人はなんでも自分のはじめに出くわしたものには面食らうらしい。それは私自身の経験でもそうだと思える。だからなんでもなじみになるには時間がかかるということだろう。学習の転移が起こりやすいものと反対に起こり難いものがある。

外国語でもフランス語の複数は例外はあるが、基本はsをつければいい。これは英語からの経験からはなじみやすい。だが、ドイツ語ではもちろんsをつけて複数になる語も外来の語等にあるが、基本的にはsをつけて複数にはしない。子どもはdas Kindだが、複数はdie Kinderでerをつける。女性を表すdie Frauはそれを複数にするにはenをつけて、die Frauenとしなければならない。

もっともこれなどは大して難しいことではないが、ドイツ語の特徴の一つである、文の枠構造などは英語的な頭からはとてもなじむことができなかった。いや、これは私の経験なので普通に人にはどうってことがないのかもしれない。

英語の先生にIch (habe) mein Herz in Heidelberg (verloren).というようにhabeとverlorenとが分離するのでドイツ語は難しかったといったら、英語でも古い英語はそういう表現があるのですと教わった。だから、その道の達人にとってはなんでもないことなのかもしれない(注)。

(2020.5.29 注) Ich (habe) mein Herz in Heidelberg (verloren). イッヒ ハーベ マイン ヘルツ イン ハイデルベルク フェアローレンとは歌の文句らしいが、ハイデルベルクで失恋したという意味らしい。文字通りの訳では「私の心をハイデルベルクで失った」とでもなろうか。なお、habeとverlorenにつけたかっこは、この二つ語でで文章の枠ができているということを強調するためであり、それ以外の意図はない。

Ich habe verloren mein Herz in Heidelberg. とは絶対にドイツ語ではならないことに注意しよう。英語だったら I have lost my heart in Heidelberg.となるのであろうが。


皇室の話題

2009-04-11 11:10:42 | 日記・エッセイ・コラム

天皇、皇后さまの結婚50周年ということで昨日はテレビがそういう報道をしていた。昨日皇室に関係した話題だが、直接は関係のないことを書こうと思いながら、忘れてしまっていた。これはいずれも大学の研究者だった人の言った言葉というか考えなのでそういう発想があるのかと思って頂けたらいい。

あるときにある有名な学者が言った言葉だが、日本にでは「天皇のことを話題にするのはタブーだ」という。そのときは意味がよくはわからなかったが、天皇制のことだったらしい。私たちその場にいた若い研究者は誰もそれがタブーとは思わないと返答したので「そうかな」と疑問を投げかけられた。

そのときには深沢七郎氏の小説で中央公論社の社長宅が右翼に襲われ、お手伝いさんが死去したことなど忘れていたが、そういうことを後で本で読んだりするとむしろこの有名な学者の言われたことが本当だったのかなと思っている。「天皇を話題にすることがタブーだと思わない」と言った当時若かった私たちのようなものよりも現実を深く知っていたということだろう。おかれた現実を誤りなく見るという必要がいつでもある。それに必要以上に気を使うことはないけれども。

もう一つは研究者は突飛なアイディアを出すものだという例だと考えてほしいが、「東京では都心に皇居があるために交通が阻害されている」という意見である。「皇居の下にトンネルを掘って交通をよくするというような考えがなぜでないのだろう」と東京都の交通政策として不思議がって居られた。

この方も優れた研究者であり、その方面ではひとかどの業績を挙げられた方であった。この方は自分は天皇を愛し、敬っていはいるがとつけ加えられた。別に天皇制とか天皇家に恨みを抱くという風ではまったくなかった。

天皇制云々はともかくとしてもそういう自由な発想ができないとやはり研究者としては大成することは難しいらしい。


木庭二郎さん

2009-04-10 16:13:19 | 物理学

今日の朝日新聞の「素粒子の狩人」という欄に木庭二郎さんのことが出ていた。いわゆるマスコミ的には有名な人ではなかったが、戦後の素粒子論研究者の中では実力者の一人といわれていた。

有名な朝永振一郎の「くりこみ理論」の建設に重要な一翼を担ったことで知られている。

東京高校の学生であったときに、その政治的な活動のために学校を追われ、その後高校の入学資格をとるために山形県の商業学校を出て山形高校へと進学し、東京大学の物理学科へと進んだ。

獄中にあったときに肺結核を発病し、その後大学の在学中にもその病のために休学を余儀なくされ、1945年にようやく大学を30歳で卒業されたという。卒業直前の数年間はいわゆる朝永スクールの一人として朝永さんの指導を受けた方である。

その後、大阪大学の助教授を経て京都大学の基礎物理学研究所の教授となり、研究所の任期が終わってポーランドの研究所へ行き、その後デンマークのボーア理論物理学研究所に落ち着き、そこで亡くなった。59歳だったと思う。

それもイタリアの物理の夏の学校かなにかの講師として行くためにコレラかなにかの予防注射を受けたのが、古い病気を引き出して亡くなったと聞いている。

昨年ノーベル賞をもらった益川さんが学生に「自分のことを先生とは呼ばさない」ということで一般には有名になったが、その慣習を作った一番初めの研究者であるといわれている。

研究を一番優先されて雑誌や新聞にエッセイ等を書くこともほとんどされなかったという人である。これは彼が肺結核を患っていたので、自分のできることを研究第一に絞ったからであった。文芸評論家の中村光夫は彼の実兄であり、二郎というのだから木庭さんは次男だったのだろう。

私には「中間子の多重発生」の研究者としての彼の印象が強い。

これは私が生まれてはじめて物理の研究に関心をもった領域がこの中間子の多重発生であったということによっている。木庭さんと高木修二さんが書いた中間子の多重発生についてのレビュー論文の別刷りをO教授からもらって読んだのは私が修士課程のころであった。

残念ながら、事情で「中間子の多重発生」の分野の研究論文を書くことは私にはなかったのだが、そのことを思い出すと懐かしい。

木庭さんは謹厳実直でまじめな方であったらしいが、その門下生のニールセンは天才的な学者といわれている。

また、木庭さんは外国語の堪能な方で一番上手なのはロシア語であると私の先生のOさんから聞いていた。つぎに上手なのはドイツ語であったと聞いた。

これは病の床に長年伏しているときに外国語を勉強されたことによるとか。それにしても木庭さんが病気で伏せっていたころはあまり外国語の学習に適した時期ではなかったろうに、なかなか天才的なところがある。

南部陽一郎さんも最近の著書『素粒子論の発展』(岩波書店)で木庭さんのことに触れている。

大学の入学年は南部さんと同年だったらしいが、木庭さんの卒業は病気のために南部さんよりも数年遅れた。しかし、多分木庭さんの方が南部さんよりもなお数年は年長だと思う。

(2014.2.28 付記)このブログにアクセスがあったので、文章に追加をしたり、一部を書き直した。木庭さんには会うことはなかったが、多くの人の記憶に残ってほしい学者の一人である。

(2018.3.12付記) このブログにアクセスがあったので、文章の意味があいまいだったところを修正した。

岡部昭彦さんの著書『科学者点描』(みすず書房)に木庭二郎さんのことが書かれている。


learnとstudy

2009-04-09 15:14:38 | 受験・学校

learnとstudyとを私は長い間勘違いしていたようだ。先日NHKのリトルチャロのテストの時間でlearnは言葉などをある程度習得していることをいうと説明があった。だからちょっと勉強したくらいだとstudyを使うのだと説明があった。

昔、学校で説明を聞いたのではstudyは大学で学ぶことを指すといわれたと思う。だから高校や中学校で学んだことはlearnを使うのだと。これは間違っていたのだろうか。例文はI learned French.との例文だったので話がちょっと違うのかもしれないが、どうも混乱を起こしてしまった。


桜はいつまで?

2009-04-08 15:47:13 | 日記・エッセイ・コラム

近年桜の花が咲いている期間が長くなったような気がする。今年も早くに咲き出したが、途中で花冷えというべきか寒くなったりして結構長い期間桜が咲いている。そろそろ葉が出てきだしたりはしているが、まだ咲いている。もっとも今日はまだ4月8日なので年によってはまだ十分に花が満開になっていない頃であろうか。

Im wundersch"onen Monat Mai・・・といわれる5月はまだだが、これはドイツでは春の訪れが5月だという事情による。日本ではやはり桜が咲くのは北海道を除いて4月であろう。入学式の頃に桜が咲いていたかどうかは小学生のときの記憶にはないが、大学に勤務していて頃はいつも大学の正門の近くの桜が咲くので今年も春が来たのだといつも思ったものである。

もっとも私は正門から出入りすることは少なくほとんど裏門から通勤の際には大学に出入りをしていた。これは電車の駅が裏門に近かったことも原因である。しかし、今年もまったく花見には出かけなかった。


新学期始まる

2009-04-07 11:00:21 | 日記・エッセイ・コラム

昨日から新学期が始まった。ということで初回の授業をしてきた。約半年授業をしていないので、昨日はなんだか疲れた。

いつものように最後にアンケートを書いてもらったが、二人だけ全くわからなかったという学生がいた。一人の学生は授業が終わった後でやってきて「何にもわからないがどうしたらいいだろう」という。いつものようにプリントを読んで、「わからないこととわかることとの境をはっきりさせるように」と言っておいた。

後でアンケートを見たら、どうも高校を中退して大検に合格をして大学へ入ってきたらしい。2次関数は知っているが、3次関数は知らないという。それでxに数値を入れてグラフを描いてx^{3}のグラフをまず描いて御覧なさいと助言をした。それができたら、x^{3}-x描き、つぎにx^{3}-x+1を書いて御覧なさいといったのだが、実際に自分で描いてみるだろうか。私たちだって3次関数をみんな描いたことがあるかどうかあやしい。それでも3次関数がわからないとは思わないものだ。要するに2次関数のグラフを描くという経験が3次関数のグラフを描くという行為に転移できるかどうかであろう。

もう一つは積分の記号の違和感を感じたようだ。それも微分と等値な式を書き表し方を変えただけだと説明したのだが、どうも腑に落ちないような顔していた。記号はある程度慣れないとどうしようもない。

アンケートの大多数の学生の評価は好意的なものでわかりやすいプリントだという学生も数人はいた。プリントのミスプリを指摘してくれた学生も二人いた。ただ、前に述べた学生ともう一人の学生がまったくわからなかったと記していた。


「量の理論」の問題点

2009-04-06 10:56:21 | 数学

「量の理論」については数学教育協議会の遠山啓とか銀林浩両先生の本に詳しい。

その量の理論も小、中学校くらいでまでしか有効でなく、高校、大学ともなると一筋縄では行かなくなるとは学習会でY.Y.先生から聞いてはいた(これは森毅さんの本にも書かれている)。どういう風にすっきりしなくなるかは知らなかった。

外延量が示量変数に対応し、内包量が示強変数に対応するといま作成している授業のプリントに書いたが、それが本当かどうかを調べているうちにそのことは解決がついていないが、量の問題が高校、大学レベルでは問題なことを具体的に知った。

これは高橋利衛著「基礎工学セミナー」(現代数学社)に出ている。

Wikipediaの量の説明にも遠山さん自身がそのことに触れているとのことが書かれているが、そちらの方は昨日彼の著作集を引っ張り出してチラッと見たところではどこにそんなことを書いているのかわからなかった。

要するにある量が内包量だと思っていたのが、外延量だとも思える場合があるというような指摘である。これだと理論としての足場が揺らいでしまうということになろう。

それで遠山さんとか銀林さんはそういうことを知っていながら、小学校や中学校での量に対する見方が揺らぐことを恐れてその点にはあまり触れなかったのであろうか。

しかし、Y.Y.先生が決然として言われていたように小学校や中学校でのいわゆる「量の体系」の有効性は揺らがない。その点が大切な点であろう。


立春の卵

2009-04-04 13:27:43 | 物理学

「立春の卵」とは中谷宇吉郎の随筆の題である。もう半世紀ほど以前に読んだので記憶がおぼろげだが、新聞で「立春に卵が立つ」との新聞記事を読んで立春にだけ卵が立つはずがないと思って自分で卵を机に立ててみたら、別に立春ではなくても立ったという話が書いてあった。

コロンブスの昔から卵は立たないという迷信があったので、それを打ち破ったというわけである。立春に卵が立つという話は科学者ならそんなはずはないと思うだろうが、H大学の教授であった藤原武夫先生もその研究をすぐにしたらしい。その話を私は彼の定年退官の記念講演会で聞いたのだが、彼によれば机の上に立つ卵には底面のところに小さな突起が三つあるとの話であった。

このことを憲法記念日の日に出し物として記念講演会の日のアトラクションとしてやりたいと考えて昨日その申し込みに行った。曰く「憲法記念日の卵」である。昔、物理学科の大学院生であったころ、後輩がNewton祭でこの出し物をやっており、そこで卵を立ててその卵を実際にもらったことを覚えている。

卵は立つ卵と立たない卵とがあり、数回卵を立てようとすればこの卵は立つか立たないかはすぐにわかるものである。立つ可能性のある卵はうまくバランスをとれなくてもゆっくり倒れるという風である。そういう卵はうまくバランスをとってやれば、立つのである。ところが全く立たない卵は立てようとしてもすぐにコロンと転がってしまうのである。こういう種類の卵はいくらバランスをとっても立たないものである。


ドイツ語のクラス始まる

2009-04-03 11:01:59 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜から今年度前期のドイツ語のクラスがはじまった。新しいテキストも手に入れたが、このテキストはゲーテインスチュートでは古くなったとかでもう使っていないという。Thmen Neuという題のテキストだが、冗談でThemen Altだねといって仲間の失笑を買った。

クラスの途中でHenrikが顔を出した。これには驚いた。以前松山に学生のときに来ていたのだが、いまはフライブルク大学を卒業?して大学内のあるprojectで働いているという。彼はときどきメールをドイツ語でよこすが3回目には返事を書いていなかった。日曜日までいるという。


内包量と示強変数

2009-04-02 12:39:44 | 数学

内包量について授業のプリントをつくっている。出来上がったと思ってからの修正が多い。

直しているうちに「外延量」とは物理化学で言う「示量変数」にあたり、「内包量」とは「示強変数」にあたると書いてから、wikipediaで調べたら違う概念だと書いてあったが、加法性がないという特徴をもっているので、同じものを意味すると思う。

このことについて数学協議会の人たちがどう考えているかを知りたくなった。いつか「数学教室」にこのことを書いてみようかと考えている。

外延量と内包量とは数学教育での概念であり、他ではほとんど使われていないという記述がwikipediaにはあったが、それは他の分野が十分に認識が進んでいないだけではないのだろうか。

それともやはり量というものは高校、大学、一般学会や業界等に至ると難しくなってきて分類は簡単ではないということになってくるというのが本当のところなのだろうか。


キクヲトル トウリノモト ユウゼントシテ ナンザンヲミル

2009-04-01 16:03:21 | 日記・エッセイ・コラム

「キクヲトル トウリノモト ユウゼントシテ ナンザンヲミル」、まるでいまはほとんど使われなくなった電報の電文のようだが、これは本当はなんという題だったか忘れたが、漢詩の一部である。この言葉は私の記憶が間違いがないなら、夏目漱石のいずれかの小説に引用されていたのではなかったろうか。

高校の2年と3年だったかに漢文を選択でとっていた。家庭科とか美術や音楽をとる人もいたのだろうが、私にはこれらの才はなかったので、漢文を選択の科目としてとっていた。その中の一つの漢詩の一部がこれである。もう私が高校生の時代には漢文をきちんと読めるような生徒はほとんどいなかったと思う。その点は夏目漱石のような私たちよりも古い時代の文人たちとはまったく違っている。

しかし、老荘の思想とか孔子の言葉の一端とかには触れたように思う。だから、文学または言葉としての漢文にはならなかったが、私たちの思想や教養として漢文は何がしかの寄与があったと思う。中国語をテレビとかラジオで少しだけかじったときにも漢詩を中国語で発音できたらいいなという思いがあった。

残念ながら今もって中国語は初心者の域にも入らないが、ローマ字書きをした中国語の発音は少しできる。テレビで卓球の福原愛さんがロシさんの後につけて中国語で文を発音をしていたが、福原さんの中国語は彼女が中国で数年を暮らしたから本物なのだろうけれども、濁音が少し入るように聞こえた。標準の中国語には濁音はないはずである。

日本でもよく中華料理のレストランにいって例えば餃子を2人前頼むとするとリャンガといって、シェフに声をかけているが、これはまるで中国語のローマ字を日本風に発音しているとしか思えない。かなで書くのはおかしいのだろうが、無理やり書くとリャンク(Lien-ge?)のはずである。geはグとは発音せずかなで書くと「ク」だと思う。

なぜだか昔のことを最近急に思い出すことがある。老人になったせいなのか。それとも人間というのはそういうものなのか。