物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

縦横無尽の文章レッスン

2011-04-18 14:45:59 | 本と雑誌

昨日(2011.4,17)の朝日新聞の書評欄に村田喜代子著「縦横無尽の文章レッスン」(朝日新聞出版)という本の書評があった。しかし、こういう種類の本を私は読んだことがあまりない。

世にはこういう種類の本は結構あるにもかかわらず。いつだったかも、このブログで文章の書き方の本について書いたが、それだってそれを実際に読むことはなかった。

これは、これらの本が無力だということではなくて、単に私があまり読書家でないためである。

この書評で甲南大学の田中貴子先生の書いておられることは結局いい文章の典型を読むことに尽きる。

また、先生の言うことにしたがうのではなく、むしろ「先生の仕事を見て学べ」とある。それに付け加えて言うならば、要するに実際に文章を書くという実践をすることだと思う。

世には文章を書くことを極度に嫌う人があるが、それは人がほめてくれるような文章が書けないから嫌だということではないか。

しかし、誰でもはじめから、わかりやすい文章が書けたりはしない。そういう状態からどうやって抜けるか。私の考えはつぎのようである。

1.文章を書くことが嫌でも、機会がある人は進んで書く。必ず時間が経てば、人に理解してもらえる文章が書けるようになる。

2.文章を書く必要があるときにはできるだけ早めに取り掛かる。どんなにつたないものであっても自分で文章を書いておく。

3.誰かに書いた文章を見てもらえる機会があれば、添削をしてもらう。

4.時間をおいて自分の文章を見る機会をもち、言い回しをわかりやすいものに変える、すなわち推敲をする。

5.文章を書けない人はこういう努力をするという気持ちがないらしい。だが、その気になって努力するれば、誰でもできる。サッカーでもピアノでも練習しないで上手にできる人はいない。

もちろん、人間はそれぞれの持ち味があって、文章が書けなくても話の上手な方も居られるし、行動力では誰にも負けないという方も居られるに違いない。

だが、そういう人でも文章も書けて悪いことはない。それも自分の努力しだいであろう。


今年の春は雨が少ない

2011-04-18 13:35:21 | 日記・エッセイ・コラム

妻が近ごろ独り言みたいに呟いている。「今年の春は雨が少ない」と。普通は春には雨が多い。

これはもう50年以上も昔のことだが、私が大学に入学した年も4月に雨がよく降った。そのときに講義を聞いた、地学の鈴木教授がこういう雨を菜種梅雨と言うのだといっておられた。

その言葉と教室の外に降り続いていた、春雨を思い出す。ただ、その雨はかなり激しいもので「春雨だ、ぬれて行こう」というようなロマンチックなものではなかった。

鈴木教授はそのときに教養部長をされていたが、そのころお勧めの3教科3単位づつだったかのお決まりの単位修得法にご不満だったのか、そういう標準的な単位の取得法から外れてもいいのだと講義の中で語気強く、言っておられた。

その頃に確かに郊外では菜種の花が咲いており、入学はしたものの陰鬱な雨模様の天気で心が晴れ晴れとは行かなかった。それでも高校から大学に入れたということで少しは勉学に励もうと思ったのだろうか。

そういえば、現在、日ごろの通い慣れた通りの街路樹が雨が少ないせいか木の緑がなかなか噴き出してこない。

それでも今日は朝方に一度雨が降ってその後一度雨が上がったので、またあまり雨が期待できないと覚悟していたら、いままた雨が降っている。これで、街路樹の木々の葉が出てきて欲しい。

昨日は先週に引き続いて、丈が淵公園に湧水を汲みに行った。

今回も駐車待ちの車がはじめは一杯であって、すぐには駐車スペースをみつけられなかった。それでも駐車スペースの回転が早く、私が水を汲んでいる間に、妻がなんとか車を駐車スペースに入れて、水汲み場にやってきた。

二人でペットボトル4本ずつもって車まで帰り、その後、少しだけ東温市の方へと愛媛大学医学部の近くまでドライブをしてからUターンして帰宅した。

丈が淵公園ははきれいに整備されているし、駐車スペースもかなりあるので、いつも市民が子ども連れ等でかなり来ている。

この駐車場に車を駐車している人がみんな湧水を汲みに来ているわけではない。多くの方が公園を散策または休みに来ている。昨日にはまだ公園には桜の花がいくらか残っていた。