物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

わたしとラジオ講座

2011-04-16 17:37:33 | インポート

以下の文はラジオ第2放送が開局80周年と知って綴った文である。他のところで書くこともないと思うので、ブログに載せることにした。

ラジオ第2放送が開局80周年を迎えるという。私は今年72歳になるので第2放送は私よりはたった8歳の年長で思ったよりは若い。

大学で学んだドイツ語は不勉強でまったくわからなかった。ラジオ講座を聞き始めたのは確か1961年、大学3年生のときで動機は大学院進学のための入試にドイツ語の試験があるからだった。

その当時の講師は藤田五郎先生で、前年度の講師、関口存男先生が急死されたために登場されたと思うが、関口先生の講義を聞いていたわけではない。

テキストを見た始めの印象でははじめから会話かなにかの文章が出てくるので難しそうだった。しかし、聞き始めてみると説明は丁寧で難しくはなかった。しばらして私がドイツ語をわからなかったのはドイツ語の特色である文の枠構造を知らなかったためだということがわかった。

当時のことで覚えているのは藤田先生が分離動詞のことを万年筆にたとえて、万年筆を使うときにキャップをはずして万年筆のお尻に挿して使うことに似ていると言われたこととか外国語を勉強するには3つの「き」が必要だといわれたことだった。

 3つの「き」とは「根気、暗記、年期」である。私も年期だけは積んだが、いまも暗記は苦手だし、根気もない。だがそれでも年期を積んだお陰でカタコトくらいのドイツ語は話すようになったが、基本的にはラジオ講座を聞くだけで他に時間をとって勉強するということはしない。

途中でラジオ講座を聴取しない長い期間はあったが、1977年にドイツでの研究留学から帰って以降30年以上を特に昼休みとか午後の放送を聞いている。これは私が朝早く起きるのが苦手なためである。「まいにちドイツ語」の放送は1515分からなので、10時半過ぎにラジオをつけて、それからつけ放しにしてこの時間が来るのを待つ。

そうしないと放送を聞き逃すことが多いから。その前にはもちろんアンコール放送も聞いている。口頭練習では間違ったことをいうことも多いが、それでも段々と正しく言える回数が増して来ている。

大学教員として勤めていたという有利な条件もあって、大学での勤務中にラジオを聞く時間がとれたということもあるが、それでも都合でその時間の放送を聴取ができないこともしばしばであった。

だが、気にしないでまたわかっても分からなくても続けて聞く。1週間、1ヶ月でもまた半年でも放送を聞けないことがあってもめげずにまた聞くことを毎日の習慣にする。そうすると最後には生活の一部になってしまう。

このごろは聞き逃した放送をインターネットで聞くこともできるが、それでも基本的には毎回の放送時間に聞く。録音もしない。

早川東三、小塩節、相沢啓一先生等の放送など印象的だった放送も多いが、それらの先生方の話は他の方からの思い出が寄せられるであろう。


ハンザ都市と海

2011-04-16 15:00:27 | 日記・エッセイ・コラム

ハンザ都市としては歴史的には多くの都市があったようだが、ドイツでいまハンザ都市を名乗っている都市はハンブルク、ブレーメン、リューベックの3都市に限られるという。

ヨーロッパのアウトバーンを走るとHHとかHBとかHLとかのついたナンバープレートを持つ車とよく出会う。もちろん、これはそれぞれハンブルク、ブレーメン、リューベックの車である。

たくさんハンザ都市はあったのに、現在でもハンザ都市を名乗っている、ドイツの都市がなぜこの3つの都市に限られているのかその理由は知らない。

そのこともいつかドイツ語の先生のR氏に聞いてみたいと思うが、今回はそれとは違った話を書いておく。こういうことは単にドイツ語を習っているだけではなかなか知ることができないことだから。

ハンブルクはElbeエルベ河の河畔の河川港である。また、ブレーメンはWeserの河畔の河川港であった。また、リューベックはTrave河の河川港である。

ところで、リューベックを除いてハンブルクとブレーメンには二つの問題がある。その第1は北海が遠浅の海であり、その潮の干満の差は8~10mにも及ぶことである。

だから、潮が満潮のときに問題がなくても、干潮のときはその海面が10mも下がるのではなかなか港としては困難がある。問題の第2は河が大きいためにその河の水が運ぶ砂の量が半端ではないことである(注)。

この二つとも大問題であるが、その困難の解決の仕方はハンブルクとブレーメンではまったく違っていた。

ハンブルクは都市が裕福な都市であるので、常にElbe河の運ぶ砂を浚渫して、ハンブルク港の大きな船舶の発着に支障がないようにしている。これはハンブルクが都市として裕福であるために可能となっているとのことである。

一方、ブレーメンはハンブルクほどは裕福ではないので、Weser河の水が運ぶ砂を常時浚渫することが財政的にできない。しかし、交易等の港の機能は持ちたいので、Weser河の河口に土地を購入して、港を新たにつくったという。それがBremerhavenである。

北海は遠浅の海だと言ったが、これをドイツ語でdas Wattenmeerという。どうもいい日本語訳がないが、子どものころから瀬戸内海沿岸に住んでいる、私などはこれは遠浅の海岸だと思う。今はそうかどうかは知らないが、日本では有明海がそうであったらしい。だから、潮が引くと広大な干潟ができるのは少なくともかつての有明海では普通だったらしい。

「干潟のできる海」と辞書の訳にある。このような干潟はフランスのノルマンディ地方のモン・サンミシェルなどでもそうらしい。ただし、潮が満ちて来ると馬で駆けてくるぐらいの速さで満ちてくるとか聞いたことがある。それで溺れ死んだ人がいたとか。

R氏によれば、東日本大震災の津波は10m以上の高さであったが、それは100年に一度とかとても稀な現象である。もちろん、その津波の勢いはすごいものであり、これは大変な災害を起こしたことはまだ、私たちの記憶に新しい。

だが、R氏は北海沿岸、またバルト海でもそれが日に2回も起こるのだという。干潮のときには10kmも離れた島に馬車で行くことができるが、潮が満ちてくるともうどうしようもないまったくの海となる。

しかし、こういう事情はドイツ語を何年も学習しても知る機会はなかなかない。

(2013.12.7: 注) 河を流れる水の量が多いので、港としての機能に直接の関係はないことに注意しておこう。

なお、このブログは文章を少し変更して、著者発行の無料配布のサーキュラー『ドイツ語圏とその文化(DACHL und ihre Kultur)』第1号(2013.11)に掲載された。

なお、DACHLはD=Deutschland(ドイツ), A=Austria(オーストリア), CH=Confoederatio Helvetica(スイス), L=Liechtenstein(リヒテンシュタイン)である。

ちなみに、オーストリアのドイツ語は"Osterreichである。