物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

限りある命から

2011-04-12 11:00:44 | 健康・病気

このごろしばしば自分が限りある命であることを予想した感覚をもつ。胸が自覚できるかどうかぐらいに重苦しかったり、軽く痛むような気がするからである。明日にはかかりつけの医院に行くので相談をしてみよう。

はっきりと胸が痛いという感覚があるわけではないが、どうもこれが自分の命を落とす原因になるのではないかと予想している。もっとも知人のS先生なども心筋梗塞を自分の命取りの病気ではないかと思って注意していたが、亡くなったのは糖尿病関係であった。あるいはvice versa.

S先生が亡くなってもう何年も経つので、何が彼の最後の命を奪った病だったかはもう定かではない。人間予想外のことが起こるのが人生ではある。

ところで、このごろ世間で言われるのは「見通し」ということである。何故かというと、東日本大震災で避難した方々から一様に聞かれる語だからである。人間希望があれば、どんなに悲惨な現状でも生きられるとはそうであろう。

だが、残念ながら、すぐに見通しがつくとは限らない。そして原発事故の避難生活のようにいろいろ警戒程度が変っては見通し云々がゆらいでくる。ところが本当のところはゆらぐのはしかたがない。ところが揺らぐとどれを信用したらいいかわからないといわれる。

だが、もし見通しがつくなら、見通しがある方がいいのは当然である。これは放射能被害からの避難とはまったく異なるが、ある長い計算をしていたときに全部の計算が終わったときにようやく全容が見通せるようなやり方で計算していたのを、見通しのいい計算の仕方に変えたら、感じ方がまったく変ったことを覚えている。 全体の計算はやはり面倒であることは変りはなかったのだけれど。