以下の文はラジオ第2放送が開局80周年と知って綴った文である。他のところで書くこともないと思うので、ブログに載せることにした。
ラジオ第2放送が開局80周年を迎えるという。私は今年72歳になるので第2放送は私よりはたった8歳の年長で思ったよりは若い。
大学で学んだドイツ語は不勉強でまったくわからなかった。ラジオ講座を聞き始めたのは確か1961年、大学3年生のときで動機は大学院進学のための入試にドイツ語の試験があるからだった。
その当時の講師は藤田五郎先生で、前年度の講師、関口存男先生が急死されたために登場されたと思うが、関口先生の講義を聞いていたわけではない。
テキストを見た始めの印象でははじめから会話かなにかの文章が出てくるので難しそうだった。しかし、聞き始めてみると説明は丁寧で難しくはなかった。しばらして私がドイツ語をわからなかったのはドイツ語の特色である文の枠構造を知らなかったためだということがわかった。
当時のことで覚えているのは藤田先生が分離動詞のことを万年筆にたとえて、万年筆を使うときにキャップをはずして万年筆のお尻に挿して使うことに似ていると言われたこととか外国語を勉強するには3つの「き」が必要だといわれたことだった。
3つの「き」とは「根気、暗記、年期」である。私も年期だけは積んだが、いまも暗記は苦手だし、根気もない。だがそれでも年期を積んだお陰でカタコトくらいのドイツ語は話すようになったが、基本的にはラジオ講座を聞くだけで他に時間をとって勉強するということはしない。
途中でラジオ講座を聴取しない長い期間はあったが、1977年にドイツでの研究留学から帰って以降30年以上を特に昼休みとか午後の放送を聞いている。これは私が朝早く起きるのが苦手なためである。「まいにちドイツ語」の放送は15時15分からなので、10時半過ぎにラジオをつけて、それからつけ放しにしてこの時間が来るのを待つ。
そうしないと放送を聞き逃すことが多いから。その前にはもちろんアンコール放送も聞いている。口頭練習では間違ったことをいうことも多いが、それでも段々と正しく言える回数が増して来ている。
大学教員として勤めていたという有利な条件もあって、大学での勤務中にラジオを聞く時間がとれたということもあるが、それでも都合でその時間の放送を聴取ができないこともしばしばであった。
だが、気にしないでまたわかっても分からなくても続けて聞く。1週間、1ヶ月でもまた半年でも放送を聞けないことがあってもめげずにまた聞くことを毎日の習慣にする。そうすると最後には生活の一部になってしまう。
このごろは聞き逃した放送をインターネットで聞くこともできるが、それでも基本的には毎回の放送時間に聞く。録音もしない。
早川東三、小塩節、相沢啓一先生等の放送など印象的だった放送も多いが、それらの先生方の話は他の方からの思い出が寄せられるであろう。