【北京にて 2007-12-07 午後10時半(日本時刻午後11時半)】
とても有意義で楽しい一日でした。
釣魚台国賓館(迎賓館)から宿泊先に戻ったばかりの、酔っぱらい運転ならぬ、酔っぱらい執筆なので、とりあえず通信社が配信しない速報写真から。
民主党(DPJ)代表代行の菅直人・交流協議機構長が踊りました。
この宴席で私は植松恵美子参院議員(香川選挙区)のご兄弟2人と同席して、ビックリ。3兄弟の力で「香川県の8割以上のお宅に、後援会や党支部の機関紙を配って歩いた」とうかがってまたビックリ。
7月の初当選の縁の下には兄弟の尽力があったそうです。
で、次男の方は先日のエントリでご紹介した小川淳也衆院議員(香川1区)と小学校・中学校の同級生で、選対に詰めていたと聞いてまたまたビックリ。
日本と中国のいろいろなお話をうかがって、いやあ、世界は広いなあと思った一日でした。
で、喜納昌吉参院議員が奏でる沖縄ソング「ハイサイおじさん」にあわせて踊り出した菅さんが壇上に。写真右端のオレンジ色のジャケットを羽織った女性が植松さんです。
釣魚台国賓館での菅さんと植松さんらの「ハイサイ踊り」。
まあ、このくらいの度胸がなきゃ政権はとれないわな。
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【関連エントリ】
12月7日【北京から更新】胡錦涛さんを生で見たよ!
(写真は記念撮影の前に胡錦涛国家主席と握手をかわす平山幸司参院議員ら=China Daily)
【北京7日夜=下町の太陽】
午前中は国会議員団は「交流協議機構」の会議。
一般団員は班別観光。
私は工業団地の日系工場などを見ました。
ホテルでの1時間弱の着替えを終え、昨日に続き人民大会堂(国会)へ。
1階のホール(?)で議員団、一般団員、民主党職員に加え、全青連など中国共産党幹部などが整列。
胡錦涛さん、小沢さんを待ちかまえます。
(China Daily)
一瞬の静寂のあと、割れんばかりの拍手の中、胡錦涛さん、小沢さん、羽田さん、菅さんらが入場してきました。
胡は小沢さんが付き添う中、1列目の国会議員、2列目の国会議員や一般団員と3列目から手を伸ばした一般団員、ひとりひとり握手してまわりました。(およそ5分間)。
私と18歳の時からの友人、石川知裕衆院議員も直接、声をかけてもらいました。15年経って政治家になる夢を叶え、P5(国連常任理事国)の国家元首と直に握手している石川君の姿を垣間見られたのは万感の思いです。
私は5列目でしたので、2・5メートルほどの距離で胡錦涛さんを見ました。
「13億人中国のナンバーワン」と考えると、イメージが増幅してしまいます。
そういう場合、実際に会うと小柄なイメージを受けることが多いのですが、胡錦涛さんはイメージ通りそのままでした。
柔和な笑顔。体躯はアジア人平均よりやや大きめ。理知的な顔立ち。フサフサとした柔らかそうなヘアスタイル。物腰ていねいな所作。
先日の共産党大会で、共青団や太子党の若手を抜擢し、今後5年間の胡体制を盤石なものにしましたが、直に見る胡さんは権力者にありがちな顔の左右の違いなどもないですし、強引さより、怜悧な判断力でトップになった人ではないか、と感じました。
◇
写真撮影の後、胡さん、小沢さんが会談。団員ではありませんが急きょ北京入りした田中眞紀子元外相が同席したそうです。
なお、訪中団には初日から国民新党の自見庄三郎元郵政大臣(参院で統一会派)が副団長として参加しています。
◇
私たちはバス10台以上に分乗し、釣魚台国賓館に先に向かいました。
◇
こちらで確認した限りでは、「NHKニュースウォッチ9」で報道されたようですね。
たぶんこの写真撮影の映像を不思議に思った方は多いでしょう。
我々は北京時刻の3時過ぎから整列を始めました。
これは男女・年代に分けた一列をつくり、左右からそれぞれひな壇に入っていきました。
ですから、議員後援者グループはほとんどがバラバラに映っているはずです。
そして4時ごろ、日本側国会議員団が入場、着席。
さらに中国共産党幹部が入場し、日本国会議員が互い違いに座る形になり準備完了。
午後4時20分前後、上の写真のような形で胡錦涛さん、小沢さんが入場し、胡錦涛さんの握手が終わった後、大きなストロボを使い2回撮影しました。
日本側報道陣のカメラ(スティール、ムービーとも)は斜めに構えていました。おそらく正面からでは全体が入らないからでしょう。
1時間ほどの待ち時間でしたが、中国側のみなさんの対応がスムーズでしたので、混乱はありませんでした。
私たちはその後、11台ほどのバスに戻り、釣魚台国賓館に向かいました。
なお、今回の訪中で、空港到着以来、中国公安当局が格別のご配慮をしてくださっていることを申し添えます。天安門と天安門広場の間の道路もノンストップで通させて頂きました。もちろんご協力頂いた人民の方にも感謝します。
釣魚台国賓館では午後6時(日本の午後7時)過ぎ、マイクロ・クレジットの寧夏回族自治区人民政府への供与の記念行事がありました。引き続き、「答礼宴」。中国共産党中央対外連絡部(中連部)の王家瑞部長らからあいさつがありました。
あす午前中は万里の長城に行きます。運動靴、持ってきました。かなり寒いそうです。
残念ながら、時間がなくて、北京のまちを散策していないんです。
団員も「また来たいね」と言っています。
私も近いうちに改めて北京を訪れたいと思っています。
【追記2007-12-14】
写真をChina Dailyに差し替えました。
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(写真は高山智司公式ブログ=寧夏回族自治区の郊外のようす)
【北京7日=下町の太陽】
北京滞在2日目。きょう12月7日午後6時(日本時刻7時)、日本の新しい援助のかたちがスタートします。
まずは写真を見てください。衆院議員の高山智司さんが訪れた中国北部の写真です。実地視察した高山さんによると、緯度が高く水がほとんどないので、耕作ができず、羊などの牧畜業が主要。若い人は子どもを連れて北京に出稼ぎに行っており、高齢化も深刻だといいます。
ここは寧夏回族自治区というところです。“ネイカカイゾクジチク”って知ってました? 私は知らないどころか字も分かりませんでした。
民主党(DPJ)が中国の国民に小口融資枠(マイクロ・クレジット)を供与することになり、釣魚台国賓館(迎賓館)で記念行事をきょう夕方実施。
日本政府は、相手国政府に対して、具体的事案に関する政府開発援助(ODA)、円借款で援助をしてきました。
民主党(DPJ)は自立支援基金というファンドを設けました。私ども一般団員も1万円ずつ出し、合計1000万円。
この「1000万円基金」を中国共産党中央対外連絡部(中連部)を通じて、寧夏回族自治区人民政府に渡します。
寧夏についてですが、「中国でも貧しいところ」という認識で良いのではないでしょうか。中国は頭で理解するには、あまりにも広すぎますからね。
で、このファンドを「おタネ銭」にするわけです。
羊を飼って生活する貧しい人にお金(money)を貸してくれる金融機関などありません。
そこで、人民政府(省政府)に“銀行窓口”になってもらいます。
貧しい人に無担保で融資枠(credit)を設けます。そして人民元で融資(金額は調整中)します。しかも無利子です。
寧夏は平均年収3万円。視察した高山代議士によると、省都の銀川市には少しお金持ちもいるようですが、マンション1室が40万円で売り出されていたそうです。つまり、日本の感覚で考えるな!ということですよ。「円換算」「ドル換算」で理解する方がムリってもんです。
寧夏の貧しさは深刻で、羊が草を食べて、砂漠化がどんどん進んでいる。だからといって、農業もできないし、羊を増やすにも種羊を飼うお金もない。無担保で融資を受ければ、才覚があれば、羊を増やせる。いや才覚なんてなくたってよほどだらしない人でない限りは無利子ですから返せます。
融資額・融資期間に関しては調整中の部分がありますが、年に1回以上、中連部から民主党(DPJ)に定期報告が入ります。
「マイクロ・クレジット」を政党が供与するというのはおそらく世界初でしょう。
公職選挙法の寄付行為に抵触しないよう、「自立支援基金」という権利能力なき社団を設置。この基金をそのまま中国に渡します。
政府開発援助(ODA)、円借款とはまったく違った援助外交です。
ODAや円借款は政府を窓口に特定の事業に融資しますが、マイクロ・クレジットは政府を窓口に人民に融資するわけです。
マイクロ・クレジット供与を企画した高山さんら若手議員たちは、中連部の報告などを活用しながら他国にも適用できるよう政策を練っていく考え。「政権マニフェストにも盛り込みたい」(高山さん)と意気軒昂です。
マイクロ・クレジットはバングラデシュのムハマド・ユヌスさんがグラミン銀行をつくり、1口5ドルの融資枠を供与したのが始まりです。ユヌス総裁の活動は米国クリントン政権の支持も受け、2006年にはノーベル平和賞を受けました。
これに先立ち、高村外相は1日、中国の楊外相に2007年度分の円借款6件、463億円の供与に署名し、円借款の新規供与はこれで打ち切ることを確認しました。
中国は「先富政治」(豊かになれる人から豊かになる)で、かなり豊かになりました。
2012年までにはGDPで日本を抜き、アジア一の経済大国になります。これからは貧富の格差をなくし、貧しい人も豊かになれる社会づくりが必要です。胡錦涛国家主席の提唱する「和偕社会」もそういう意味でしょう。
その呼び水がマイクロ・クレジットであり、21世紀の援助であり、多くのアジアの仲間たちにとって最も必要とされる援助のかたちだと私は考えます。
塩池県高沙窩鎮余荘子村の住居(高山智司公式ブログ)
○マイクロ・クレジットの融資相手に女性が多い理由とは?
ところで、ユヌス総裁にしろ、米国やフランスなどの篤志家の活動でも、マイクロ・クレジットの融資先は女性が多い傾向があります。
なぜだと思いますか?
理由のひとつは融資を管理するという仕事は女性に向いているという面もあります。
最大の理由はユヌスさんが「ムハマド・ユヌス自伝」(猪熊弘子翻訳、早川書房刊)のなかで明かしています。
例えば、6人家族でその日、5人分の食糧しかないとします。
足りない1人分をどうするか?
母が自分の分を我慢し、子どもたちに食べさせるのです。だから女性にこそ、「マイクロ・クレジット」が必要なのです。
それがアジアの現実です。
「豊かな国の貧しい政治」はそろそろ止めにしませんか?
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最後にサイクロン直撃により甚大な被害をうけたバングラデシュ国民の皆様に哀悼の意を表し、お見舞いを申し上げます。