宮崎信行の「新・夕刊フジ」

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

「自民党員=社会的地位」という悲しき日本人

2007年12月30日 21時34分59秒 | 人物

 覚えていますか? 1995年当時、1ドルは80円でした。今は1ドルは120円です。単純にいうと、世界に占める日本の(相対的な)経済力(国力)は3分の2になりました。

 なぜでしょう? 

 最大の理由はEU諸国、中東など産油国、中国、ロシアなどの経済力が伸びたからです。

 が、この間、日本経済は絶対的にも年率わずか1―2%しか成長しませんでした。

 まして給与所得者の給料は9年平均で減少しています。

 なぜ日本は元気がなくなったのでしょうか?

 それはすべて自民党(自由民主党、LDP)のせいです。

 これに反論したい方はどうぞ反論してください。

【では、なぜいまだに自民党が支持されるのか?】

 ※ここから先は、地方にお住まいの方や、地方出身で三大都市圏にお住まいの方にとっては血圧が上がりそうなことを書きますから、読まないでください。

 地方では、いまだに自民党(LDP)がステータス・シンボル(社会的地位の象徴)なのが現状です。

 羽振りの良かったあの社長は自民党県会議員の後援会長
 銀縁メガネの似合うあの“セレブ”な奥さんは後援会婦人部長
 オヤジと親戚の本家のおじさんは会うなり自民党の選挙の話

 お金持ちは総じて自民党です。


 一方で、
 工場の煙と灰を友にするおじさんはハチマキ巻いて
       「日本社会党」(JSP、後にSDPJ)の旗を立て、
 歴史の授業で反戦を唱えるループタイのイマイチ教師は高校を出たら赤旗配り ※赤旗=日本共産党(JSP)の機関紙「しんぶん赤旗」

 なりたくない未来には、いつも社共がいました。

 長年、日本型タテ社会、ムラ社会の中でよく見られた光景です。

【団塊ジュニアがイチから発想が違うわけ】

 私が初めて海外に行ったのは、14歳の時です。

 団塊ジュニアには、親の仕事で小学生の頃から、タイ、米国など海外に住んでいたという人はたくさんいます。

 日本では長年、「や~い、や~い、帰国子女!」「帰国子女は入試が楽で良いねえ」といじめられてきましたが、30歳代半ばになって見回してみると、いじめられていた帰国子女の方が出世している傾向があるようです。

 そして「GとY」「HとT」の野球帽をかぶっていたいじめっ子は、かなり悲惨な年越しを迎えている人が多い傾向がうかがえます。

 もちろん、団塊ジュニアには生活水準の高い人の方が結婚していない傾向があり、夫婦の考えで子供を持たない場合もあります。

 ですから悲惨な年越しをしている家族を「や~い、や~い」などと見下しはしません。

 自民党を応援することが社会的地位(status)であると思っているなら、それは全くの認識違いです。

【「競争なき日本のデモクラシー」は世界でも奇異に見える】

 みなさんはケンブリッジ大学をご存じでしょうか?

 冒頭に掲げた写真はケンブリッジ大学出版局から出ている

「競争なき日本のデモクラシー 一党支配国家における野党不足」

という本で、米国のカリフォルニア州立大学のシーナー准教授が書きました。(題名翻訳は宮崎)

 “DEMOCRACY WITHOUT COMPETITION IN JAPAN - Opposition Failure in a One-Party Dominant State”by ETHAN SCHEINER,CAMBRIDGE UNIVERSITY PRESS,2006 ISBN-10 0-521-60969-0

 ちなみにこのエッセイとこの本の内容は特段関係ありません。LDPによる53年間の一党独裁体制は、世界からみて奇異であることの一つの具体例として挙げました。

 メキシコでは70年間連続で制度的革命党(PRI)が政権を担いました。私は1996年にメキシコの首都で、PRIの本部を見たことがありますが、自民党本部と同じくらいの大きさ、自民党本部を縦長にしたような建物で、「どこも同じようなものだな」と感じました。

 PRIは長年による腐敗政治に国民が愛想を尽かし、野党に転落しました。そして現在PRIという政党は存在しません。

 「LDPの支持者=社会的地位のある人」だと思っている人は、地方ご出身の方を中心に若い人でも多いです。

 しかしそれは、デモクラシーの潮流に背いた世界の嘲笑の的であるということも肝に銘じておいてください。

 来年のEconomic Summit(サミット、主要国首脳会議)は日本で開かれます。

 2008年7月7日のサミットを自民党が取り仕切ったとしたら、2016年のサミットは日本に来ないと思います。

 嘲笑されているうちに民主党政権を樹立して、二大政党制を70年ぶりに復活させないと、世界から忘れられる日本になると断言します。

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福田首相訪中、国家主席・首相と会談、トヨタ工場を視察

2007年12月30日 08時12分47秒 | 第168臨時会(2007年9月~1月)法案の嵐作戦
(写真は釣魚台国賓館でキャッチボールに興じた福田総理と温家宝国務院総理=共同通信)

 福田康夫首相は12月27日~30日の日程で中国を訪問しています。
 28日は胡錦涛中国共産党総書記(国家主席)、温家宝国務院総理と相次いで会談。29日には天津でトヨタ自動車の工場を見学しました。

福田首相、天津でトヨタ自動車の工場見学(朝日新聞) - goo ニュース

 福田首相は29日、北京から陸路で天津市を訪れた。同市は温家宝首相の出身地で、経済発展が著しい。福田首相は同市トップの張高麗・市共産党委員会書記と会談。張書記が「天津市を日中の環境・省エネ協力のモデル都市としたい」と述べたのに対し、「外交ルートを通じてよく連絡をとっていきたい」と応じた。同市に進出したトヨタ自動車の現地合弁工場も視察し、組み立て作業を行う中国人らとも会話を交わした。

日中首脳会談 ガス田開発具体策決まらず

 【北京=酒井充】中国訪問中の福田康夫首相は28日、温家宝首相、胡錦濤国家主席と相次いで会談した。温首相との会談では、東シナ海のガス田開発について早期の解決策を見いだすことで一致した。首脳会談で合意した来春の胡主席訪日までの解決を目指す方針だが、具体策は決まらなかった。台湾が来年3月に予定している台湾名義での国連加盟の是非を問う住民投票に対しては、福田首相は「一方的な現状変更の試みには支持できない」と明言し、初めて住民投票に難色を示した。

 人民大会堂で約2時間行われた温首相との会談で福田首相は、昭和53(1978)年の日中平和友好条約締結から30年を迎え、主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)や北京五輪が行われる来年を「日中関係飛躍の年」と位置づけ、「両国は大きなチャンスと責任に直面している。アジアと世界の未来のため責任ある立場で協力したい」と述べた。

 地球温暖化では、福田首相が「主要経済国が責任ある形で参加する実効的な枠組みが必要だ」と訴えた。温首相も「責任ある態度で国際社会に参加し、気候変動に関する措置を真剣に履行したい」と応じた。

 両国の共通の利益を目指す「戦略的互恵関係」を具体化させる策では、福田首相は環境・エネルギー分野で今後3年間に中国人研修生1万人を受け入れることを表明。人民解放軍の若手将校を日本に招き、自衛隊の若手幹部や有識者らとの交流を実施する。

 一方、両国間の懸案となっているガス田開発では、会談後の共同記者会見で福田首相は「相互理解が一層深まった」、温首相は「一歩前進した」とそれぞれ述べた。ただ会談直前まで行った次官級協議でも一致点は見いだせず、首脳会談では早期解決を目指す「新たな共通認識」を確認するにとどまった。

 台湾問題では、福田首相が台湾独立を支持しないとする日本政府の従来の姿勢を改めて表明した。北朝鮮問題では、温首相が日本人拉致問題解決への協力を改めて表明し、核放棄に向け6カ国協議を通じて連携を強めていくことで一致した。

 この後、福田首相は北京大学で講演し、夜には釣魚台で胡主席と会談した。胡主席は「歴史を鏡とし、未来に向かう精神の下、ともに努力して戦略的互恵関係を構築したい」と表明し、「敏感な問題を適切に処理したい」と指摘した。福田首相は「何から何まで一致することはあり得ないが、違いは小さくなってきた」と述べた。

 続いて胡主席主催の異例の夕食会が開催された。これは昭和61年の中曽根康弘首相(当時)以来となる中国トップ主催の夕食会となった。

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