【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

まあ、なんとかなるものだ。

2011年12月31日 13時00分00秒 | 岡田克也、旅の途中

 さあいよいよ、年越しです。何もなければ、これが2011年、平成23年、最後のエントリーになると思います。

 昨年末(2010年末)のエントリーで、「じつはきょう、気付いたんですが、学生・記者・支持者として、支持政党が1月1日~12月31日、与党だったというのは2010年が私にとって初めての経験だったんですね」と書きました。

 そして、2011年、私にとっては支持政党(民主党)の支持するグループ(良識派、野田・岡田グループ)が主流派として政権の重荷を背負い続けた初めての1年となりました。通常国会冒頭から衆参ねじれ。そして、東日本大震災と原子力発電所爆発。あまりにも重すぎる重荷でしたが、年を越すことができます。

 ことしの国会会期は289日となり、1月召集になってからは最多開催日数でした。私の国会傍聴ノートはことしの9冊目の途中です。2007年8月の第167臨時国会から昨年末までが合計10冊でしたから、1年で倍増したくらい、中身の濃い一年でした。

 私にとって、ことしイチバンの思い出は、8月9日の「3党合意」です。私の頭の中は、ことしのはじめから、「どうやったら平成23年度の特例公債法案(赤字国債発行法案)」を参議院で可決、成立させるか?」ずっとそればっかり考えていました。例えば、順次シャットダウン(政府の一部の窓口の閉鎖)する計画を出して野党に迫るとか、財政法4条(赤字発行の原則禁止)を改正法案を出すだとか。そして、何より両院協議会のルールを改める。例えば、衆院と参院、それぞれの「院議」の10人が選ばれる両院協議会協議委員を、院の選挙で選ぶことにする。そして両院の議長がそれぞれドント方式で指名することにしたらどうか。そうすると衆院の7人が与党、参院の4人が与党になり、協議委員の過半数が与党になる。これはいい! と思いきや、両院協議会のすりあわせ案(協議案)は過半数ではなく、協議委員の3分の2以上の賛成が必要だと指摘され、がっくり(国会法92条)。そうすると運用面の見直しではにっちもさっちもいかないので、国会法改正案を野党にお願いするしかないのか。まさに苦悩の日々でした。

 そのときに、民主党幹事長だった岡田克也さんが、腹心に次のように話していることを知りました。

 まあ、なんとかなるものだ。

 私はこの岡田さんの言葉を知ったときは、ずいぶん楽観主義な人だなあ。腹心もその言葉の意味をつかみかねていました。おそらく岡田さん本人も根拠はなくそう言っていたのでしょう。私も「まあ、岡田さんが言うならそうなのかなあ」と思いつつ、私も必死にあれこれ考えました。このころ、岡田さんは、公明党の井上義久幹事長に、米政府でシャットダウンの経験があるルービン元長官の回顧録をプレゼントしようとし、「失礼だ」と怒られたという記事がでました。2月17日には、民主党16人組の会派離脱があり、衆院での3分の2再可決(日本国憲法59条)が絶望的になりました。憲法のすきまを突かれた格好です。2月28日予算案が衆院を通っても、衆・財金委では特例公債法案が審議入りしませんでした。心配で委員会の理事に聞いたところ、「与党側の古本伸一郎筆頭理事、大串博史次席理事が頑張っている」と聞きました。参予算委の日程を考えて、「朝8時~9時、昼12時~13時、夕方17時~の審議をお願いしているが、野党側の後藤田正純筆頭理事が言うことを聞いてくれない」と知りました。そして、3月7日(水)にやっと、特例公債法案が夕方の2時間だけ審議入りしました。ここで後藤田さんは「自民党は(夜なべならぬ)朝なべ、昼なべ、夕なべ審議も良いと言っていました」と発言し、この人は苗字は立派だが、野党らしさを誤解したとんでもない議員だと憤慨しました。そうしたらすぐに東日本大震災が発生し、財金委での審議は無期限でストップしました。その後、後藤田さんは六本木をぶらぶらしていて、週刊誌のグラビアに不倫写真が載り、筆頭理事を辞任し、謹慎しました。野党第1党といっても、抵抗野党と政権準備党があり、自民党は政権準備党であるっことを忘れていたのでしょう。後藤田さんは天の戒め、私はとらえています。

 それはさておき、この「2・17ショック」と、「3・11大震災」以降の真っ暗闇に光明がさしたのは、6月5日(日)の朝でした。不信任否決の次の週の幕開けの朝。日曜朝の政治討論番組というのは、アメリカのほか、先進各国いろいろな国であるそうです。とはいえ、そこに呼ばれる政治家はごくわずかです。この朝は、午前7時30分からの台場のフジテレビ「新報道2001」に岡田民主党幹事長と石原伸晃自民党幹事長の2人が呼ばれました。そして、国会近くのNHK千代田放送会館に移動しての、午前9時からの「NHK日曜討論」は岡田、石原両幹事長に加えて、井上・公明党幹事長、国民新党の下地幹郎幹事長ら9党の幹事長・書記局長の出演ということになっていました。

 新報道2001では、岡田さんは「菅総理が「一定のめど」(で退陣する)と言っているのだから、いつ(特例公債法案を成立させるか)という議論をしてほしい」と話すと、、石原さんは「菅総理は99%レームダックだ(から時期の議論は無用だ)」と挑発しました。その後、子ども手当、バラマキ4Kといった話題が続き番組の終了時間が迫ってきました。石原さんは「民主党内をまとめてほしい。岡田さんと話しても、(民主党内の)もう一方の原理主義者の人たちが岡田さんたちを後ろから鉄砲で撃つ。私たちは一本になった民主党と話したい」と話しました。ここで、岡田さんは「党首選になると大きなテーマになる」と初めて代表選前倒しに具体的に言及。石原さんは「選挙ごとに自民党300・民主党100、自民党100・民主党300とスウィングする選挙制度は好ましくない」として、今は「その過渡期にある」と発言しました。私は石原さんは二大政党論者だとは思っていましたが、このとき初めてハッキリした言葉で確認しました。これに対して、岡田さんは「私は期限付き大連立をして、次の総選挙に臨みたい。政界再編はこの20年間やってきて、またやるというのは時間の無駄になる。次の任期まで解散しないという約束で、大連立し、税と社会保障の一体改革などに一緒に取り組んでほしい」と応じました。

 このとき、二大政党幹事長の腹合わせが、テレビという公共の場で、生放送でできた瞬間だ、と私は考えています。自民党幹事長と社会党書記長が料亭で腹合わせをしていた時代とは違い、オープンでクリーンな政治が国難もあいまって実現した瞬間だ、と私は考えています。この後、岡田さんと石原さんはお台場から、国会近くのNHK千代田放送会館に移動します。おそらくケータイで話したりしていないと思います。お互いの腹合わせができていたでしょう。

 NHK日曜討論は、二大政党幹事長に加えて、中小政党の幹事長・書記局長も加わり、スタート。この番組は必ず与党第1党の出席者から発言します。岡田さんはのっけから「退陣の時期を明言すれば、菅内閣はレームダック化する」と予防線を張りました。この後、野党第1党、野党第2党、野党第3党の順に発言し、与党第2党の国民新党の下地幹事長の番になると、下地さんは「大連立の話もあるけど、こんなに(民主)党内がまとまらないのに大連立はない、と岡田幹事長にも(先週?)いっぺん話したがまた話題になっている」と切り出しました。おそらく下地さんはフジテレビを見て、大連立で国民新党が埋没することをおそれてこう切り出したのでしょう。政治センスの優れた人だと感じました。番組中盤で、岡田さんは「特例公債法案も人質にとると、どの党が政権をとっても立ち往生する。自民党も責任を共有してほしい」とし、大連立を惹起させます。そうすると、みんなの党の江田憲司幹事長が「大連立と言っても、閣議は全会一致だから、ハンコを押す、押さないという話になる」と徹底抗戦。共産党書記局長の市田忠義さんが「国難だから大連立、となると大政翼賛会的になる」としながら、「やるなら期限とテーマを区切るのが秘訣だ」と助け船を出してくれました。ここで岡田さんは「期限とテーマを決めて大連立をやっていく」と応じました。そうすると下地さんが「大連立という言葉を岡田幹事長が使うこと自体、驚きだ」と述べ必死にブレーキをかけます。が、岡田さんは「解散しても、民主党も自公もともに参議院で過半数をとれない」とさらにアクセルをふかしました。ここで、石原さんが「岡田さんの言うように、解散しても参院は変わらない。数ヶ月から半年ぐらいは信頼関係ができていれば、大連立はあり得る」と述べ、この時点で、民自大連立構想が完成しました。東北ブロック選出で大震災対応に没頭していた井上幹事長は、フジテレビを見ていなかったのでしょう「大連立ではなくテーマを区切って協力すべきだ」と述べるのが、この日は精一杯でした。

 この平成23年6月5日朝の二大政党幹事長のオープン腹合わせ。これは6月2日の不信任政局を主導した民主党の小沢一郎さん、自民党の森喜朗さんら「1969年初当選の当選14回生」を、岡田さん、石原さんの「1990年初当選の当選7回生」が日本政治の時計の針を回した歴史的瞬間だった、と私は認識しています。

 翌日の記者会見で、岡田さんは「まず「大連立」というときに、それが自民党とだけではなくて、既に与党として連立を組んでおります国民新党、それから公明党など他の政党も視野に置いて連立を組むことを「大連立」と言っている、私は少なくともそういう意味で使っております」とし、テレビでは突き放したように思えた国民新党、公明党もしっかりと仲間に引き込みます。この瞬間に3党協議体制が誕生したと言っていいでしょう。3党合意とは、民主党幹事長が国民新党幹事長から一任を取り付けた上での、民自公3党協議です。具体的には、実務者のレイヤー(層)が民主党が城島光力さん、自民党が鴨下一郎さん、公明党が坂口力さん。政調会長レイヤーが、民主党が玄葉光一郎さん、自民党が石破茂さん、公明党が石井啓一さん。幹事長レイヤーが民主党が岡田克也さん、自民党が石原伸晃さん、公明党が井上義久さんの1990年初当選トリオでした。

 この前提として、玄葉さんが主導した4月29日(祝・金)の3党政調会長合意による、第1次補正予算と関連法案の5月2日(月)の成立がありました。そのうえで、「大連立構想」で3党の枠組みをしっかりと固めて、6月22日(金)の3党幹事長による「辞任3条件」、8月9日(火)のマニフェスト見直しと引き換えの特例公債法成立への「3党合意」に結びつきます。そして、8月26日(金)の参院本会議で特例公債法案や再生可能エネルギー法案が可決し、成立しました。そして、直後に菅さんが笑顔で総辞職を表明しました。いろいろあったので私も勘違いしがちですが、実は本質は「総理のクビと引き換えに野党に特例公債法を参院で賛成してもらって成立させる」という当初から最も有力だったシナリオ通りだったんです。ただ、第2次補正予算と再生可能エネルギー法のおまけがついたうえ、7年ぶりに同じ人が日本首相としてG8・G20サミットに出席できました。

 さて大連立構想ですが、いまだに民主党・国民新党は自民党、公明党は大連立していません。この6月5日の「大連立構想」はいったい、どういう意味だったんでしょうか。それは岡田さんと石原さんらの腹の内にしまったままです。これは情報公開法の特例措置として、永遠に公開されません。

 さて。

 まあ、なんとかなるものだ。

 大晦日になって、その通りになって、その意味がだいたい分かった気がします。

 つまり、社会とは、国家とは、国会とは、相手があって初めて成り立ちます。だから、相手が困り果てて、倒れれそうになったら、敵だろうが味方だろうが相手は支えてくれるはずです。なぜなら、ホントウに相手が倒れたら社会そのものが成り立たなくなってしまい、自分の存在もなくなってしまうからです。

 今年は多くの命が彼岸に行きました。これも現世だけではなく、彼岸も同じ社会だという考えに立てば、すべてに応用できると私は考えます。そうすると、来年の通常国会の懸案となる消費税増税法案も彼岸も此岸も同じ社会だと理解しているオピニオン・リーダーはいますから、必ず国民の納得は得られて、なんとかなるものだ。さらに現世においても相手は増えています。ことし地球の人口は70億人となりました。IT化も含めて、グローバリゼーションは進む一方です。現世においても、社会における、相手は増えています。この時間的な広がり、空間的な広がりの中で、私たちは恐れることは何もありません。ただひとつ、恐れるべきことは足がひるんで、内に籠もることです。

 私はこの1年間、ホントウに良い勉強ができましたし、自分に自信を持ち、自分自身成長できたと実感します。与党がキツイという感覚もなくなりました。

 東日本大震災により、当ブログをお読みいただくみなさまも、様々な環境での年越しとなります。しかし、大震災による著しい経済困窮、財政の逼迫といったさまざまな不利益は、どこに住んでいようが、分かち合い、支え合う。それができない人は国民ではありません。今の私はそう思うし、それを100%の自信と確信を持って言えます。だからこそ、震災や原子力災害で痛んだ人にも確信を持って、次のひと言を100%の自信と確信で申し上げて、年を越します。

 まあ、なんとかなるものです。

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