平成24年9月14日付の経済産業省の定例幹部人事(通常国会閉会に伴い発令)で、次官級の経済産業審議官を務めていた岡田秀一(おかだ・ひでいち)さんが経産省を退職しました。すでに1年前から1年後輩の事務次官が誕生していましたが、岡田さんの退職で昭和51年(1976年)4月1日、通産省入省組は36年半たって全員同省をさったことになります。城山三郎さんが通産省を描いた小説『官僚たちの夏』が出版された後、最初の入省となった昭和51年入省組でしたが、だれ一人事務次官になれませんでした。
通産省昭和51年入省組は入省4年後に第2次オイル・ショックという国難を経験しました。このとき、通産省(資源エネルギー庁)石油部計画係長だった岡田克也副総理は、「イラン・イラク戦争とか、第2次オイルショックのときでしたので、大変忙しくしてましたので、マージャンをやる暇なかったのですが、楽しく仕事をさせていただきました」とその感想を述べています。
岡田秀一さんは小泉純一郎首相誕生と同時に首相官邸に出向し、首相秘書官を務めました。小泉内閣メールマガジンの発刊は「総裁選公約達成第1号」として多くの登録者を得て、飯島勲・政務秘書官の「ワイドショー政治」とともに、日本の「9・11」、2005年9月11日の第44回衆議院議員選挙の小泉圧勝をもたらしました。このとき、野党第1党で惨敗した民主党代表が岡田克也さんでした。
そして「3・11」では、細野哲弘・資源エネルギー庁長官、寺坂信昭・原子力安全・保安院長が通産省・経産省の長年の原子力政策について、情報隠蔽体質があったことを激しく批判され、昨夏退職しました。
一方、大分県知事に通産省出身者の名物知事(平松守彦前知事)が生まれて以降、通産官僚・管区経済産業局長経験者は知事の人材供給源となりました。初の女性大阪府知事、沖縄県知事もそうですが、昭和51年入省組では、富山県出身の高橋はるみさんが経産局長を務めた北の大地・北海道に渡り、北海道知事になり、ガンも乗り越え3期目(任期は2015年統一地方選まで)に入っています。
『官僚たちの夏』では、ラストシーンで主人公が新聞記者から「ケガしても突っ走るような世の中は、もうそろそろ終わりや。通産省そのものがそんなこと許さなくなってきている」と言われるシーンがあります。第180国会の3月8日の衆院予算委員会では、自民党の小池百合子さんが「かつて城山三郎さんが「官僚たちの夏」で、当時の商工省の活躍……(発言する者あり)当時。もう通産省になっていましたか。その事務次官までされた方ではありますけれども、あのころと経産省の役割そのものがもう変わってきているんじゃないだろうかと思うんですよ」と言及しています。この人物は、三木武夫通産相のころに通産事務次官をつとめた佐橋滋さんを描いていることになりますが、佐橋さんは1975年の小説でも、2012年の国会でも「時代遅れ」と指摘されたことになります。
時代遅れを指摘された「官僚たちの夏」1期生は時代の変化に激しく職業人生を左右される運命の子となりました。そのなかで、「同期入省は1人しか次官になれない」という鉄の掟のなかで、優秀な人材が潰れていった気がします。同期入省は1人しか次官になれないという霞が関のルールは、戦前にはなく、広田弘毅・吉田茂という戦争を挟んで外相・首相を務めた2人は同期入省11人で2人とも外務事務次官を務めています。事務次官は吉田、広田の順で、大臣・総理は広田、吉田の順でした。
この2人について、同じく城山三郎さんが広田の人生を描いた『落日燃ゆ』では「2人は同期というだけでなく、語学好きのいわゆる能吏タイプでなく、どこか国士風なところが似通っているのか、ふしぎによく気が合い、機会があるごとに、吉田が広田を訪ねてきて話し込む仲であった」と書いています。このように「同期から事務次官は1人」というルールがなかった時代には、同期同士が国策を話し込むというシーンがあったようです。そして、『落日燃ゆ』は、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決を受けて、1948年12月23日午前0時20分、広田弘毅が巣鴨プリズンでA級戦犯として絞首刑を執行されるラストシーンで・・・終わりません。その同じ日の夜、少数与党の第2次吉田内閣が野党による内閣不信任案の提出と可決を受けて、現行憲法下最初の衆議院解散(なれあい解散)に打って出て、吉田民自党が単独で269議席(占有率57・7%)で地滑り的圧勝(第24回総選挙)を収め、長期政権の土台を気付いたことと対比させたうえで、「「日本を滅ぼした長州の憲法」の終焉を告げる総選挙でもあった」との一文で終わります。このしめくくりの一文は小説全体を通すと違和感がありますが、城山さんの本音が込められたことがよく分かります。それを主人公の広田と同期の吉田首相の活躍と対比させて描いたことになります。
吉田茂は戦後初の国葬となり、大勲位。広田家は遺骨(他の軍人と一緒になったもの)の受け取りを拒否し無縁仏の状態となり、霊は靖国神社に合祀されていますが、広田家が参拝したことはないようです。東条英機、松岡洋右、白取敏彦ら英霊を殺した人が合祀されているという奇妙な神社になってしまったのが、今の靖国神社です。
このように同期で1人事務次官というルールは終わりを告げるときが来ています。現在も国土交通省、総務省など橋本行革の合併省庁では同期が事務次官になるようになりましたが、採用時点での同期がその省で事務次官になるという事例はまでないと思います。
吉田、広田の2人はいまでも名前が残っています。しかし、「同期1人事務次官」のルールにより、具体的に日の目を見なかった人材の名前というのは、私は知りません。その役所の人は、「あの人」と噂するかも知れませんが、世間では誰も知らない名前です。埋もれてしまった人材の名前というのは残らないんです。
そして、そもそも経済産業省という役所が必要あるのかどうかというところまで私たちは検討しなければならない時期にあります。それはずっと前からそうでした。通商行政は戦前のように外務省に戻し、職員も移管する。原子力行政は文部科学省・環境省に移す。特許庁は内閣府外局にして、文部科学省文化庁の人も入れる。中小企業行政は自治体に移管する。これほど、時代によって自らの存在意義を自ら作って、性質が変わってきた役所は他にありません。それは自民党と経団連の癒着政治(財界の男妾)をエスコートしてきた論功行賞。そして橋本行革を支えた人が通産省出身だったことの論功行賞です。それに経産官僚は悪く言えばチャラい、良く言えば織田信長系の人が多い。いろいろな役所にいけば、良い触媒になります。省としての一体的な維持にこだわるべきでありません。
国家の構成員はすべて、歴史という法廷に立たされたときに、ひるむ生き方をしてはいけません。私益と国益がなるべく一致する生き方をしていると、人生というものは、まあなんとかなるものです。
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