【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

「与党は双葉山だ」「新しい方能力のある方は政府に入り与党の重みを肌で経験して」藤井裕久さん

2012年09月24日 07時55分45秒 | 第180通常国会(2012年1月~9月)一体改革

[写真]藤井裕久さん、民主党の機関誌「プレス民主」から。

 民主党最高顧問の藤井裕久さんは2012年9月23日のNHK日曜討論で「与党というのは攻撃するだけじゃないんですよ」「受けて立つ。それで勝つんですよ」「きょうは相撲の千秋楽ですが、(大横綱の)双葉山のようなものですよ。(野田佳彦総理は)そのセンスがある人だと思っていました」との認識を示しました。

 奇しくもこの日は、大関・日馬富士(はるまふじ)が2場所連続優勝を決めました。大関の2場所連続優勝は双葉山、貴乃花に次いで3人目。当然にして、鶴田卓彦・横綱審議委員長は日馬富士を横綱に昇進させるでしょう。彼は見る眼がある男ですから、正しい判断をするでしょう。新横綱は白鵬以来、5年2ヶ月ぶりで戦後ではもっとも長いブランクが埋められることになります。

 相撲大事典によると、「双葉山は、立ち合いに決して「待った」をせず、常に相手を受けて立った。しかも、右四つの自分の型に持ち込んで、上手投げ、寄り身で相手を仕留める堂々たる相撲を取った」そうです。例の69連勝ですが、昭和11年春場所の7日目からスタートしましたが、このときは、前頭3枚目だったんですね。私は横綱になってから連勝を始めたのだと勘違いしていました。双葉山が世に出た理由は「春秋園事件で協会から幕内力士が大勢脱退したために、繰り上げの入幕であった」という協会のピンチを自分のチャンスに変えたようです。追い風に乗ってデビューしました。しかし、相撲大事典は「大横綱と呼ぶにふさわしいこの輝かしい成績は、強い足腰を備えた体と、粘り強い精神力から生まれた」としていますから、デビュー後は真の実力がそれを下支えしたようです。いずれにしろ、人生チャンスは一度きりです。

 藤井さんは次のように語りました。

 「私は30年前に渡辺美智雄さんの政務次官(大蔵政務次官)になって以来、与党というものの責任を感じるようになりました。役人時代には考えられないような責任の重さを感じるようになりました」

 渡辺財政と言えば、なんと言っても政府貨幣である「500円玉」(大蔵省造幣局発行)を導入し、日本銀行券「500円札」(大蔵省印刷局製造、日銀発行)を隅に追いやりました。藤井さんは役人時代にも、二階堂進・竹下登官房長官秘書官をしています。これは、総理の椅子から数えて、すべて入れても20人~30人ほどの近さにある主要官僚ですが、大蔵政務次官(現在の財務副大臣・政務官に相当)の仕事は
それとは考えられないものだったとのこと。


[写真]在りし日のミッチー。渡辺美智雄副総理・外相(自民党)、外務省ホームページ1992年版外交青書から


[写真]官房長官秘書官時代の藤井裕久さん、テレビ朝日ニュース映像、2008年1月25日の当ブログ内から。

 「ですから、私は(党内)融和ということは大事なのですが、このもう一つの側面は、若い人に与党の責任の重さを感じていただく場をたくさん作っていくということだと思っています。野田さんに進言したこともあるんですが、野田さんは「1期生」という言葉を使われましたが、私はこれからの方で能力のある方はどんどん政府に入っていただく、与党の重みを、与党の責任を肌で経験していただきたいと思っています」。

 私はこの話を聞いて、具体的には選挙に強い2期生ながら政治センスに欠いた言動が多い柚木道義さん、2期生で議事進行係の鷲尾英一郎さん、参院から梅村聡さん、大島九州男さん、風間直樹さん、吉川沙織さんも政務官候補になるのかなと感じました。

 6月26日の一体改革法案採決に造反し、民主党を除籍された1期生はツイッターで「専用車もついて、あの広い部屋(群馬の私の部屋の約3倍)にどっしり一回生議員が陣取るわけ?はああ。(ため息)」と発言しました。このようにやっかみがあるようですが、野党に言われる筋合いの話ではありません。そもそも「群馬の私の部屋の約3倍」と表現されても、あなたの部屋に行ったことがないし、行きたくもないし、想像がつきようもありません。まさに国民の生活が第一の本性見たり。

 藤井さんは続けます。

 「こういうことは言っちゃいけないですが、(第45期衆議院の民主党第1次与党期は)try and errorの時代なんですよ。民主党という政党は一度も与党になったことがないんですよ。ただ、その中の一部の人間は与党を知っているんです。与党の責任を知ってもらいたいというのはそれなんですよ。ほとんどの人は攻撃するすることはものすごく優れているんです。ところが与党というのは攻撃するだけでないんです。私は野田さんという人は前から攻撃だけでないと思っていました。今、相撲の千秋楽ですね。双葉山のようなものですよ。受けて立ってそれで勝つんですよ、双葉山っていう人はね。そのセンスのある人だと思っていました。与党はそういうもんなんです。そういうところが今ようやく3年にして出てきたと思います。しかし、世間がそれを許していないのは事実です。世間は政権交代すればすぐに立派なことをやるだろうというのが事実ですよね」

 藤井さんにとって、第180回国会は彼の人生にとって節目となる重要な国会になりました。あの日(1993年6月18日)、巨像・自民党に敢然とノーを突きつけ、筏に乗って巨船を出たシンドバッド、新生党34人衆の一人。細川・羽田内閣を経て、新進党結党に参画し、大蔵大臣経験があるとはいえ、裏切って自民党に帰る仲間とは一線を画しました。しかし、1997年12月28日、年の瀬のどさくさにまぎれ、小沢一郎(悪魔一郎)党首が一存で新進党を解党した後、どういうわけか、自由党に参加してしまいました。元々、全国比例の参院議員や、落下傘の衆院議員である藤井さんは選挙に強くなかったのですが、そのためなにか弱気の虫が、民主党という新しい道を歩むのではなく、インチキ政党・自由党に参加せざるをえない状況になりました。しかし、力をつけた民主党のもと、新生党の後輩の強い推薦で、比例単独として、民主党第1次与党期に参加したところ、財務大臣、3・11の官房副長官、そしてもっとも難しい党税制調査会長として引く手あまたとなり、7月11日に追い込まれた小沢一郎・新進党解党者が除籍され、国民の生活が第一を結党する動きには、まったく一線を画しました。1977年の自民党参院議員初当選以来、35年目にしてついに初めて小沢一郎と違う党籍になりました。もちろん、インチキ政党・自由党幹事長だったという過去は消えません。私は藤井さんには、民主党でもっともっと「これからの方」にアドバイスをしてもらわないと、「自由党の罪」は消えないと考えます。秋の2012年税制改正でも大いにイニシアティブを発揮し、腕組みしてにらむつけるだけではなく、ときには怒鳴りつけてほしいと願います。

 やはり、私たち経世会・新生党・新進党出身者が、議員は引退し、県連顧問を務めている先生も含めて、残り1年間、もっと民主党を指導していく気構えを持たなければ行けません。その後は、自動的に浮上していくでしょう。

 司会のNHK解説委員、島田敏男さんが「藤井さんは、財務大臣を退任してから党の税制調査会長を務めていますね」と話を向けられると、うれしそうな顔で否定しました。「違います、野党時代からです」。税制に限れた、野党時代に立てたパラダイムが与党になってからも、すっと背骨として通り続けていることへの自信を感じました。来年1月からは租特透明化法の伝票も出てきます。これも政権交代の大きな実績です。

 「控除から手当て」へ民主党税制。現在、民主党は「配偶者控除の廃止を」、自民党は「配偶者控除の復活を」と主張しています。これは、昔で言えば、自由主義の自民党と社会主義の社会党と同じくらいに大きな理念の違いです。そのことに気付く知識すら持ち合わせない民主党議員はいっぱいいます。理解しているのは半数以下ですが、とはいえ理解している人もいます。秋の臨時国会もいいですが、こういった2012税制改正も、これはことしが最後ですから、しっかりと勉強していきたいと考えています。

 そして、第46回衆院選後の第3次与党期をめざす自民党第2次野党期の総裁も、中曽根康弘さん、渡辺美智雄さんの政科研、我々のように経世会・平成研、そして、新生党、新進党結党のエキスを吸収した議員がこの時代に求められるのかなという気がします。とはいえ、新総裁が新総理になると思いこんでいる自民党には大いに死角があります。

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