[写真]名護市役所前で記念撮影する筆者、1998年。
やっとのど元に刺さった魚の小骨がとれた気がします。
沖縄県の仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事が、宜野湾市のアメリカ海兵隊「普天間飛行場(普天間基地)」を、名護市の辺野古崎沖の埋め立て飛行場に移す計画を2013年12月27日(金)決断しました。アメリカは数年以内に、普天間飛行場を返還する見通し。
結果として、1997年11月の政府決定に沿った格好となります。
鳩山由紀夫・民主党代表(ネクスト総理)が2009年7月19日、国民新党代表の亀井静香氏にせまられる格好で、思わず口をついた「最低でも県外」の発言で、迷走しただけに、一人の民主党員としてのど元に突き刺さった小骨がとれた気がします。
沖縄本島の北部は、もともと、那覇とは違う王朝がありました。この北部地域の国政府の地域振興策により、読谷村(よみたんそん)、北谷町(ちゃたんちょう)は、商業施設が整っていますが、名護市は北部地域でも他自治体に比べて見劣りしてきたとされています。今回の名護市への負担増により、地域振興は確実であり、名護市民のみなさんは、自分たちの生活を考えて、政治行動をすればいいように、門外漢の私には感じられます。
一方、宜野湾市にある普天間飛行場(普天間基地)は本島の交通では要衝といえる位置にあり、交通渋滞と危険性にさいなまれてきました。普天間飛行場が返還されれば、まずは道路の拡張ということもあるでしょう。開発ということになりますが、しっかりと自然もいかした素晴らしいものにしてほしいと、切望します。
ちなみに、安倍首相は2021年度までの予算確保を明言しました。「2021年度」とは「2022年3月31日まで」のことです。沖縄では大事なことは、下1桁が「2」の年に決まると言われます。これは単純な理由で、1972年に本土復帰し、アメリカ軍基地と那覇防衛施設局(現・沖縄防衛局)と、それぞれの地主との契約が始まっているため、この更新期に大事なことが決まるとされています。
もともと、「最低でも県外」発言のあと、アメリカに呼び出されて、1週間説明したのは、民主党政策調査会の職員と、岡田克也幹事長の秘書の2人です。かなり厳しいことを言われたこともあったようです。
その後、岡田克也外相が「米海軍嘉手納基地への統合案」を検証。私もいまだに、2度にわたり「嘉手納統合案」が消えた理由はさっぱりわからず、いつか知りたい。
さらに、岡田さんが幹事長に戻った後、マニフェストの「地方一括交付金」について、内閣府沖縄総合事務局から実現させることにし、沖縄県地域振興交付金が実現しました。これが、安倍内閣でも功を奏した格好になります。ぜひ、沖縄県庁の自由度100%の交付金として、2021年度以降も、どの党の内閣でも続けて考えます。止めるのは税源そのものを移譲するときだけです。
そして、何よりも、防衛事務次官だった守屋武昌さんが自叙伝のなかで、稲嶺恵一・沖縄県知事から「守屋さん、沖縄では大事なことは20年かかるんですよ。石垣島空港だって20年かかって誰も困らなかったではないですか」と言われて怒りを持ったという話。これは防衛事務次官が上記の沖縄返還と地主と沖縄防衛局の関係を事務次官ともあろうものが知らなかったんだろうと、私は思います。4年間事務次官を務めたのですから有能な官僚なんでしょうが、事務次官在任中に歴史に名を残そうとして暴走した可能性もあります。
やはり、20年以上かかる話は政治家がしっかりグリップして、国民が支えなければならない。