[写真]こちらはことし日帰りで行った横浜市の「三渓園」、ことしは旅らしいことといえば、これくらいでした。
平成25年、2013年、大みそかとなりました。
政権交代から1年。衆参ねじれが解消した第2次安倍内閣は改造なく高い支持率を誇っています。
街に明るさが戻りました。
紅白歌合戦は北島三郎さんが50回目の出場。来春は昼のお笑い番組「笑っていいとも」のタモリさんが32年間つとめた司会のマイクを放すそうです。。月曜日から金曜日までメーンで32年間。最近では夏休みもあまりとらなかったとのことですが、夏休みをとる方がかえってきつい、という感覚、私も分かるような気がしてきました。ところで関根勤さんは同番組で週1回のサブ司会を28年間にわたり曜日を変えながら担当してきたとのこと。いろいろな手を焼く準レギュラー出演者もいたでしょうから、ある意味、関根さんがイチバンすごいと感じます。なかなかそのような節制ある生活は難しいものです。私は、「小タモリさん」ぐらいが理想かなと。
私もインターネット、ブログという媒体の登場で、見た目には、こつこつと、息長い活動をすることができるようになりました。
個人的にはいたって大過なく一年を過ごすことができました。
まさに大過ない一年、これほど大過ない一年、というのも珍しい。
もちろん、民主党57議席という大惨敗で信念の揺らぎ、友人も含めた国会議員、秘書の大量失業という身を切られるような辛さ。わざとそ知らぬふりをしながら、この1年間、ずっと頭を離れませんでした。
ことし1年間、国会では新しい動きがたくさんありました。
予算委員会では、野党が徹底審議路線をとりました。与党はいまだに「審議拒否戦術警戒作戦」があったようで、与党予算筆頭理事が更迭される出来事がありました。
また、暫定予算成立後に本予算審議が2週間止まり、その間に衆参の常任委員会で法案審議が進む「新しい前半国会」のモデルができました。
衆院委員会で野党筆頭理事が修正協議をリードし、法案付則や附帯決議に「3年後、5年後の見直し規定」をつけるという新しい「政権戦略国会」が生まれました。
秋の臨時国会にいたっては、民主党理事が修正して法案のタイトルを変えたうえで反対したり、閣法に反対した直後に附帯決議は筆頭発議者になるという民主党議員たちの、縦横無尽、孫悟空のようにダイナミックな自由な国会戦術。きっといつか空も飛べるはず、きっといつか、見直し規定にもとづき、大臣として閣法をつくる義務を負うことになるでしょう。
そんな2013年国会。
来年私は40歳、不惑になります。周辺のことに惑わせれず、本筋にだけ惑うようになることを言います。
やや茫然自失の今年のはじめ、ある党籍完全一致者、永田町の兄貴から聞かれました。
「今までどこを旅した?」と。
その答えが終わると、彼は私にこう聞きました。
「これからはどこを旅したい?」
私は、「議会制度の勉強でイギリスも行きたいし、アメリカ、ベトナム、台湾も再訪したい、それから・・・・」
彼は私にこう言いました。
「いや、そこでさ、今私は国会傍聴をしたいです、国会傍聴という旅の途中なんです、って言えばかっこよかったんじゃないの」
なんだか、よくわからないけど、そうなのかなと思いつつ大みそか。
すべての国会をしっかりとみることができました。野党が予算の徹底審議要求、野党が修正協議リード、修正したうえで反対、反対したうえで附帯決議。そんな民主党の八面六臂の新国会という「旅」を見ました。間違いなく、日本中いや世界中の誰よりも一番目の当たりにしたのは、私、宮崎信行です。
ところで、その党籍完全一致者の実の息子さんがこの春、東大に合格して入学したそうです。こちらまでうれしくなりました。永田町歴20年の私は、東大卒業生は馬に食わすほど見てますが、「東大生の父」という者を明確に意識したことは初めて。まあ、別段驚きのようなものは何も感じませんでした。
夏の参院選で、石井一先生が落選してしまい、私たち改革フォーラム21・新生党以来の党籍完全一致者もわずか3人となってしまいました。
政権交代は実現させましたが、これからもしばらくは国会傍聴という旅を続けようと思います。
来年はどんな一年になる?と言っても、二大政党がしっかりしていればなるようにしかならないんですよ。アメリカの債務上限問題だって、大騒ぎしながら、終わってみればなんでもないでしょう。
さて。
昨晩(2013年12月30日深夜23時59分)までの累積の総アクセス数が993万9030ページビューとなりました。
このままいくと、1月15日前後に、通算1000万ページビューを越えそうです。
国会傍聴に限定したブログでいえば、日本初ないし世界初となります。
大過ない一年でしたが、来年も大過ない一日を積み重ねていくしかないと確信しております。
本年も当ブログをお読みいただき、まことにありがとうございました。