[画像]釈放され支持者を前に両手を挙げるネルソン・マンデラさん(左、俳優による再現)と初当選し支持者と万歳する岡田克也さん、ともに1990年2月中旬=それぞれ、映画「マンデラの名もなき看守」と、NHKニュースから筆者撮影。
岡田克也さんは2013年12月10日(火)夜、前日のみんなの党分裂劇について、「渡辺喜美代表の言動には首をかしげることが多かったのも事実」「江田憲司さんや小野次郎さんは、私が政治家になる前からの長い付き合いで、いろいろな意味で意見交換を続けてきた人たちです。非常にいい人たちが集まったなという感じはします」と語り、江田新党に期待を寄せました。
江田憲司さんは通産省の後輩、小野次郎さんは東大法学部同級生。自民党竹下派(田中系)のホープだった岡田さんが離党後に、政権を取った同じ竹下派(佐藤系)の橋本内閣で首相秘書官を務めたのが江田さんで、岡田代表が対峙し敗れた小泉内閣の首相秘書官が小野次郎さんです。小野次郎さんはプライドの高い警察官僚なのに、同学年の岡田さんに対して、「西山記者事件、あれはいったいなんだったんですか?」と昨年2月質問しています。
国会対策として「お付き合いする党が1つ増えますが、江田さん中心の新しい党と、残されたみんなの党、いずれも野党として必要な連携をしていきたいと思います」とバランス感覚を見せながら、「まず民主党がしっかりすることが重要」との背骨を示しながらも、「そのうえで他党との連携があると基本的に考えています」「いずれにせよ、来年1年は様々な動きが顕在化する」と、与党の一部も含めた政界再編に含みを持たせました。
○みんなの党分裂―自民党と対峙し、国民の選択肢となる塊が必要
みんなの党が分裂しました。江田憲司さんはじめ14名で新しい党をつく
るということです。
いろいろな経緯はあったと思います。特に、渡辺喜美代表の言動には首を
かしげることが多かったのも事実です。ただ、党の分裂というのは当事者
間の問題なので、評論家のようにいろいろと言うことは差し控えたいと思
います。
江田さんや小野次郎さんは、私が政治家になる前からの長い付き合いで、
いろいろな意味で意見交換を続けてきた人たちです。非常にいい人たちが
集まったなという感じはします。
1つの党をつくっていくのは大変なことです。かつ、これから野党がいろ
いろな意味で1つにまとまっていくなかでご苦労も多いと思いますが、し
っかりと頑張っていただきたいと思います。
もちろん、非常に優れた人たちが引き続きみんなの党に残っておられるこ
とも事実です。お付き合いする党が1つ増えますが、江田さん中心の新し
い党と、残されたみんなの党、いずれも野党として必要な連携をしていき
たいと思います。
これから、野党がどうやってまとまっていくのか。まず民主党がしっかり
することが重要で、そのうえで他党との連携があると基本的に考えていま
す。
いずれにせよ、来年1年は様々な動きが顕在化する。そして、いかなる形
であれ、自民党にしっかりと対峙し、国民の皆さんの選択肢となる塊が必
要であるということは間違いありません。
しっかり気を引き締めて頑張っていきたいと思います。
ネルソン・マンデラANC党代表(アフリカ民族会議党代表)が27年間の獄中生活から解放され、支持者の前に出たのが、1990年2月11日(日)。岡田克也さんが衆議院議員に当選したのが、1990年2月18日(日) 。ベルリンの壁が崩壊し、世界が大きく変わった頃でした。なお、マンデラさんをたたき上げの立志伝中の人物のように評価する国内報道がありますが、マンデラさんは同国の代表的な酋長の子です。岡田さんが岡田屋・イオンの代々創業者の子のようなものです。
私の古い友人で、同い年で、西川壮太郎君から学生時代に聞いた話。1994年4月の南アフリカ大統領選挙に国連監視団の一員として、現役中央大学生として派遣された西川君は、外務省で、羽田孜外相(細川内閣・副総理兼務)から送り出され、監視団員として南アフリカで活動。マンデラ大統領誕生(デクラーク副大統領)の歴史的シーンを見届けて、日本に帰ったら、外務省で柿沢弘治外相(羽田内閣)から「やー君たちお疲れ様」と出迎えられて面食らったそうです。が、柿沢外相は2か月で交代し、村山内閣で河野洋平外相に変わった。世界がこんなに変わったのに、日本はこれでいいのか。彼は帰国報告会などで「持ちネタ」にしていたようだから、この話はほかに聞いた人もいるかもしれません。それから20年、BRICsともてはやされる南アフリカと、いまだに官僚主導政治が続く日本があります。現在はJETROハノイ事務所駐在員を務める西川君は、最近では、ハノイの家電売り場が韓国製品ばかりになってしまっていることを日本人に知ってもらいたい、と訴えています。
別に西川君は、政党などは関係ありません。
さて、政党の話に戻って、おととい閉会した第185臨時国会は、福山哲郎、芝博一・両元官房副長官の特定秘密保護法審議への抗戦に心打たれました。すでに、参議院というハウスにおいては、福山哲郎外交防衛委員長、芝博一内閣委員長。福山さんは外務副大臣として官記もいただいています。今回参議院みんなの党の分裂により、民主党・新緑風会は向う6年間の参議院第2会派の座がますまず盤石となりました。しかし、その安住の先には、参議院社会党の衰退が待っています。
しっかりと参議院をグリップした政権運営ができることこそ、私たち岡田系に求められる野党期の自己鍛錬なのでしょう。
不幸中の幸いで、秘密保全法制という対立軸ができました。岡田さんも当初は秘密保護法に対してその必要性を強調していましたが、福山・芝両理事の鬼気迫る委員会運営もあって、最後は明確に反対を打ち出しています。
閣議の議事録作成は、公明党も賛同しており、方向性は完全に一致しています。
なお、岡田さんは、渡辺美智雄元大蔵大臣に巣食うバブルの紳士が経営するゴルフ場の会員権を、通産官僚時代に必要に迫られて、1つ購入したところ、バブル崩壊で、大損して、完璧主義者なので、いまだに損切りできずにいるようです。
それはさておき、もう1回政権を取った時には、オープンガバメントを徹底し、総選挙による国民の政権の選択をしやすいようにする。そのために、マンデラさんのように27年もかけるわけにもいきませんが、前回の野党期15年との通算で、向う11年(すでに第2次野党期は1年経過)以内には政権を取り戻しましょう。
もう2回などと言ってはいけません。
人生1度きりです。
もう1回だけ。
岡田が決めたらどこまでも。一度決めたら同じことを言い続けられる人が一番強い人です。
まっすぐに、ひたすらに、オープンガバメント街道を走っていきましょう。日本をあきらめない。