【参議院予算委員会 2014年2月5日(水)】
平成25年度補正予算(案)は先週趣旨説明されていましたが、きょうから参議院予算委員会での基本的質疑がスタートしました。
責任野党である民主党・新緑風会は羽田雄一郎幹事長と前田武志先生がスタート。いわば羽田孜先生の殿と老中首座のそろい踏みです。
雄一郎さんは、吉野弘さんの詩『祝婚歌』を紹介し、「正しいことを言うときは、少し控えめにする方が良い」と高支持率が続く安倍首相に釘を刺しました。
議題としては、海上自衛隊「おおすみ」事故、靖国参拝を経て、集団的自衛権の見直し、TPPと今国会で予想される論点を店開きました。
続いて宮澤不信任案賛成・新生党結党35代議士の1人、前田武志先生が「久しぶりの予算委員会です」と登場。
ここでまず、「総理、責任野党とはなんですか」と質問。これについては、2月1日(金)の衆・予算委で篠原孝さんが最後に「羽田孜さんから聞いたが、責任野党とは、ちゃんと政権交代の受け皿となれる野党という意味だ」としています。私は21年間、責任野党とはそういう意味だと認識してきました。
安倍首相は「英国の二大政党制の中で野党も女王陛下の野党として国政に責任を持つことになっている」と答弁したうえで、「そういうことなのだろう」と意図的にお茶を濁しました。ちなみに、第1次安倍首相は、「NC(えぬしー)」という言葉を答弁で初めて使った自民党総裁でした。
前田先生は、「責任野党とは政府に協力する野党ではない」としたうえで、「先ほどの羽田議員の話にもあったが、特定秘密保護法の議論はもっと3倍は時間をかけなければならなかった。国の命運を左右する法案だ」としました。前田先生は建設省からの出向で、サイゴン大使館(現ホーチミン総領事館)で、南ベトナム共和国という国家が消える瞬間を体感しています。
そのうえで、「責任野党がなければ大政翼賛会になる」「総理のおじいさんの安倍寛(あべ・かん)は翼賛選挙で無所属で当選した人だ」としたうえで、今国会の開会式の式次で、伊吹衆議院議長は「憲法の規定に基づき、国会は内閣総理大臣の指名により行政権を創出し、内閣は内政、外交を処理する行政権の行使について、主権者たる国民の負託を受けた国会に対し連帯して責任を負っています」と述べたことに配慮すべきだとしました。
ところで、公式ページなどにはありませんが、安倍寛が衆議院議員をしていたころ、前田先生の親族は、戦前から廃院まで、貴族院議員だったんだろうと思います。そして、おそらく陸軍省推薦の貴族院議員だったんだろうと思います。
そして、前田先生は、安倍首相のもう一人のおじいさん、岸信介首相に対して昭和32年4月30日の参・外務委員会で加藤シヅエ先生が方語った議事録を紹介しました。この中に出てくる、「MRA議員連盟」は羽田孜先生が長く会長をつとめていたと紹介しました。
この日韓会談の前には、まだまだたくさんのこまかい問題、大きな問題が横たわっておりますので、これを一つ一つ打開していただきますには大へんな骨が折れることだろうと思います。そのまず最初に、今、総理大臣が表明されましたような、ほんとうに積極的に日本が打開するために、謙虚な気持であくまで本誠意をもって当っていこうという、そのお態度があちらに通じますならば、むずかしいあとに残っております数々の問題も、必らず打開ができると私は信じておりますし、今後ともまたたくさんの日本人が誠意をもってこの問題を妥結するために努力を積み重ねて参りたい。そこで、政府に、さらに韓国の方々の信頼を得るような態度及び方法をもって、交渉をぜひ妥結して下さるようにお願いをいたしまして、私の質問を終ります。
このように加藤シヅエ先生が岸首相に対して、日韓首脳会談がなかなか実現しないときこそ、謙虚な気持ちでないと積極的に打開できないと釘をさしています。
加藤シヅエ先生は、無責任野党・日本社会党を離党し、その後、新進党を応援して下さり、新進党結党大会では来賓として車いす姿で祝辞を述べてくださった方です。あいさつ終了後に、海部俊樹党首が車いすを押してお送りました。
たまたま偶然かもしれませんが、前田先生の質問には新進党結党メンバーである、佐藤茂樹・厚生労働副大臣や太田昭宏・国土交通大臣が答弁しました。
しかし、「少し控えめにする方がよい」「謙虚な気持ち」を大事にする興志会(羽田グループ)は、総選挙敗北でも辞任せずいすわった小沢一郎党首に抵抗して、太陽党に移りました。改革フォーラム21のお金は小沢一郎にネコババされました。
そして、サイゴン陥落よりももっとあっけなく、南ベトナム共和国同様に、新進党もこの世の中から消えてしまいました。南ベトナム共和国政権の幹部は、亡命し、その後母国の土を踏んだという話は聞いたことがありません。しかし、小沢一郎はいまだに衆議院議員であり、生活の党代表を名乗っています。これで良いのでしょうか。良いわけがありません。そして、2月9日(日)の民主党大会に来賓として出席します。海江田万里さんという人は、向かい風でも控えめで謙虚な人のようです。
[国会会議録データベースから引用はじめ]
26 - 参 - 外務委員会 - 17号
昭和32年04月30日
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=23009&SAVED_RID=2&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=2&DOC_ID=17296&DPAGE=3&DTOTAL=219&DPOS=50&SORT_DIR=0&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=24654
○加藤シヅエ君 私は、総理大臣に対して若干御質問いたしたいと思います。総理大臣は、国会が終了いたしますと、まず東南アジア数カ国、それから続いて米国を訪問なさるというようなことを承わっております。それで私は、東南アジアの国々を御訪問なさるにしても、あるいは米国を御訪問なさるにいたしましても、まず日本としては、一番近いお隣の韓国との問題をどうするかということにつきまして、長い間御当局も非常な御苦心をなさって、会談をなさっておいでになったようでございますが、ただいまのところ、何か一応行き詰っている、これを打開しなければならないというところに到達しているというふうに伺っておりますので、今こそ総理大臣として、この日韓の問題をどんなふうに打開したらいいかという、そのはっきりした御所信を表明していただくのに一番いい機会だと思うのでございます。それにつきまして、去る三月の二十九日から四月の八日まで、フィリピンのバギオにおきましてMRAが主催いたしましたアジアMRA会議というのが開かれまして、これは、総理大臣も、かつてMRAが日本に芝居を持って参りましたときに、それをごらんになったり、あるいはちょうど今から一年前に、MRAの創始者のブックマン博士が国会を訪問されたとき、お会いになっていらっしゃるので、御記憶があると存じますが、MRAの主催の会議におきまして、二十七九国の人々が集まりまして、ここでは、非常に精神的な面の国民外交というようなことを求められたのでございます。日本からも二十人の人が出席いたしまして、国会からは星島二郎代議士、そうして野党として私がここに出ておりました。また韓国からは、五名の方が出ておられたようであります。アジアのほかの国々からも、それぞれ指導的立場の方が来られましたけれども、私どもとしては、特にこの会議を通じて、日本と韓国とが、和解がどのようにしてできるかということにつきまして、たくさんの時間をもっていろいろ努力いたしました。その結果といたしまして、初めて韓国の方々と私ども日本人とが気持を打ち開いて話合いができるというような空気を作ったことが非常な成功であったと思うのでございます。ここでは、あくまでもお互いにほんとうに信頼のできるような、そういう関係を作ろうということに努力をいたしました。そうして、かけ引きというようなことは一切放櫛して、お互いに人間としてほんとうのことを言い合い、お互いの信頼感を作るということに努力いたしました。その結果が大へんによかったものでございますから、ここに、四月十五日付のアメリカの国会議事録に、前外交委員長のセネター・ワイリー、この人がたくさんの紙面を費しまして、議事録にこのバギオの国民外交のありさまを詳しく報告していらっしゃいます。そうしてその中で、ワイリー上院議員が申されますには、今までにないように、ほんとうにお互いに信頼感を打ち立てるようなやり方をするということは、これは非常に新しいやり方で、成功であった。アメリカとしても、これをほんとうに学ばなくちゃいけない。今までアメリカは、お金でもってものを買うというようなことを考えていたけれども、お金では買えないところのものをほんとうに精神的に買うというような、精神的なものを打ち立てるという、こういう外交をアメリカも今にして学ばなくちゃならないのだということを、この国会議事録に書いていらっしゃるというようなことで、大へんにアメリカでもこれを高く評価されているということをお耳に入れておきたいと思います。ここへ韓国の方たちで出席されましたのは、自由党の国民議院外務委員長尹城淳さんとおっしゃる方です。この方は、とにかく国会の外務委員長ですから、この方のお気持がどういうふうに動くかということは、韓国のやはり外交方針に大へんな大きな影響があると思います。それから、この方と、無所属のような政友会という名前の党に属していらっしゃる鄭濾さんという方もこられました。そうしてこの二人は国会議員でございましたが、そのほかに、朴賢淑夫人と申しますか、この方は韓国の無住所長官、韓国解放後の初めて婦人として閣僚になられた方で、この方の発言というものは、やはり李承晩大統領などに大きな影響を与えるところの地位にいらっしゃる方です。それから学校の校長さんとか、学生の代表というような方がおいでになりましたので、いわば各層の代表の方なんです。で、この方たちと星島代議士と私どもがいろいろの機会にお話し合いをいたしましたときに、私どもが知りましたことは、やはり私ども日本人として三十数年にわたって韓国を、まあ日本の立場から言えば、合併をしていたという言葉で申しますけれども、それは合併というような対等な立場のものではなくて、何といっても日本が韓国を支配していたというようなことからくる長年の感情のいろいろうっせきしたものがあるのであって、そういうものに対して、私たちが日本人としてほんとうによく知らなかったのじゃないかと思います。これは、立場をかえまして、日本が敗戦後占領された今の沖縄の問題なんかございまして、ほかの国民から支配を受けるというようなことがどんなものであるかということを、日本人も敗戦後少し学んだように思うのでございますが、韓国の方にしてみれば、三十数年にわたって日本人に支配されたというようなことに基因するところのいろいろな感情のもつれ、これに対して私たち日本人がどれだけ理解しているかという、そこから問題を解きほぐしていかなければならないと思うのでございます。ことに、日本にはあまり伝わっておりませんけれども、たとえば朴婦人というような方は非常に教養の高いりっぱな御婦人でございますが、この方の御主人になる方なんかも、韓国の独立運動のために長年日本の官憲には抵抗を続けてこられた方です。で、この方が日本の官憲のためにどういうひどい扱いをお受けになったか。長い十八年以上も監獄の生活を続けられまして、今はもうお宅に帰っておられますけれども、体は全部不具者のようになってしまったというような、そういう方でございますから、そういう方たちは一朝一夕に日本人と融和な感じを持つことができないというようなことも、ほんとうに理解できると思います。これはお一人、二人のことじゃなくて、たくさんの方がやっぱりこういう感情を持っていらっしゃる。それで、私どもはそういう向うの方の立場というものを十分尊重して、気持を分って、そうしてお互いにほんとうに対等な立場に立って、この日韓の融和をはかろうというところから解きほぐして参りませんことには、いろいろの法律上の解釈とか何々の権利をどうするとかというようなことにいきなり飛び込みましても、お互いの信頼感というもののないところに外交というものはあり得ないということをつくづく感じたわけでございます。幸い星島代議士も私も、日本が韓国に対してやってきたところのたくさんのあやまちに対しては、率直に謝罪をいたしております。で、このことで非常に向うの方のお気持もよくなられまして、私どもがそういうことを率直に申しましてから、韓国の方たちがまるで見違えるようなほがらかな表情をもって私たちに話をして下さるようになったのです。で、今までは韓国の方は私どもに対して決して日本語を使われないのです。日本の大学を卒業して日本語で十分に話をなさっても、私たちに対しては英語で話をされるということにまず問題があったわけです。今度はほんとうに対等な、感情の融和ができるようになりましてからは、もう率直に日本語で話をして下さるということにもなったのでございます。
それで、あまり時間がないのでたくさんのことを申し上げられないので残念でございますが、私どもは日本に帰りましたら、与党の方も野党の方も、とにかく日韓の会談の行き詰まりを打開しなければならないということでは、ほんとうに超党派的な、国家的な見地から努力をしようということを誓って参りました。そうしてそのいろいろ問題がございますけれども、今、日韓の会談で一番デッド・ロックになっておりますのは、いわゆる久保田発言、それから韓国における日本人の財産の請求権、この二つが一番何かデッド・ロックになっているように伺いました。このことにつきまして、私どもは日本に帰りましたら、国会においてあらゆる努力をいたしますということを誓って参ったのでございます。それで、私どもがそういうことを誓ったということを、この外務委員長の尹さんと申しますか、この方が去る四月の十六日に向うの国会で報告されました。このバギオの会議で、日本の与野党の国会議員が、日韓会談の行き詰まりの打開に対して、誠心誠意努力することを誓ったということを報告していらっしゃいますのが新聞に出ております。それで、私どももこの約束というものを必ず果さなければならない責任がございますので、今日総理大臣に御質問申し上げるわけなのでございます。
それで、この四月の十六日に尹外務委員長と野党の鄭さんという方が国会で発言されていらっしゃいます。このUP電報を見ますと、日本の新聞にUP電報が出ておりますが、京城四月二十四日に出ましたUP電報によりますと、李承晩大統領が、UP通信に日韓問題に関する声明書を寄せられまして、国際共産主義の脅威に対抗するために、日韓両国はできるだけ早い機会に国交を正常化しなければならないということを述べられた。日本の政府当局が日韓交渉への道を引続き妨げたり、新たなる障害を持ち出したりする理由があるとは思われないというような、こんなような発言を李承晩大統領がなさったということを、UP電報で知りました。そういたしますと、時間的に、おそらくバギオ大会に出られました五人の方が、国会やあらゆる所で、日本人も今度は誠意をもって日韓会談の打開に努力をするということを、この方たちの口からおっしゃって下さって、それが大統領の耳にも入ったために、大統領としては初めてこういうような気持に動いたというようなことを新聞紙上でおっしゃったのではないかというように、私は察しているわけでございます。
従いまして、岸総理大臣におかれましても、この外務委員会を通じて、この李承晩大統領にも、ほんとうに日本の誠意のあるということを、韓国の一般の方々にもわかるような、誠意ある御発言をきっとして下さると私は信じて、今日御質問申し上げるわけでございます。
具体的には、私は二つの点を伺いたいのでございます。それは先ほども申し上げましたように、韓国の方といろいろ話をしてみますと、久保田発言というのが大へんにどうも韓国の方の感じを害しているようでございます。久保田発言の内容がどういうものであったかということのこまかいことは、私は別に速記録を読んでおりませんのでわかりませんけれども、とにかく久保田発言なるものは、日本人が韓国人に対して非常に優越感を持っているというような印象を与えたものだろうと思いまして、これは単なる久保田さんという個人の発言と見るよりも、日本人の多くの者がそういうような優越感をもって韓国に対しているというようなことに考えられますので、この久保田発言を通じての日本の韓国に対する優越感というものに対して、これは撤回すべきものではないかと私は考えますので、その点をまず最初に御答弁をお願い申し上げます。
○国務大臣(岸信介君) 日韓の国交正常化の問題につきまして、今加藤委員のお話になりましたこと、私一々同感でございます。私、外務大臣になりましてから、韓国の代表の金公使にもしばしば会見をいたしました。その際に、私は過去において日韓会談なるものが数回行われたけれども、そのつどむずかしい問題に逢着して行き悩みになっておる。こういう状態であることは、両国のためにそれは非常に悲しむべきことであって、両国の歴史的な関係からいい、地理的な関係からいい、また経済的なお互いの国を繁栄さす上からいって、この両国がこういう状態にあることは、私は非常に悲しむべきことだ、何とかして自分が外務大臣になったのだから、これを解決したい。それには、自分は従来の日韓会談がどういうことで行き詰まっているかということを検討してみると、それはおのおのの国の、それぞれの言い分があると思う。しかし、私は日本に関する限り、従来の主張にとらわれずに、将来長く両国がほんとうの友好関係を結び、そうして国交が正常化された後においても長く友好関係が続くようなその基礎を作る意味において、私は従来の主張をことごとく変えるとは申さないけれども、従来の主張にとらわれずに、一つほんとうに現実に即して、しかも公正な立場から、とらわれずに、謙虚な気持で一つ話をして、この問題を解決したいと思うという私の気持を述べたのでありますが、その考え方は今日も少しも変っておりませんし、それからそういうことをやるのについて、従来条約の解釈であるとか、いろいろな法律解釈でなくして、今、加藤委員のお話のように、精神的な基礎ができないというと、お互いにお互いが信頼をし合い、お互いの誠意を、少くとも疑わないという気持にならない。それには、まずわれわれの方からそういう態度を示さなければならないという考えでおります。今、具体的の御質問のありました久保田発言につきましても、すでに金公使を通じて私の考えは述べておるのでありますが、久保田発言なるものは、実はもちろん政府を代表しての正式の発言ではなかったのであります。その経緯につきましては、多少行き違いもあったようでありますが、いずれにしても、私はこの久保田発言が政府の意思を代表して言っているものでもないし、これをその意味において取り消すという、撤回するということについては、政府としてもやぶさかでないということを、はっきり申しております。今、加藤委員のお話のように、久保田発言が政府の正式の発言でないとしても、さらに日本国民の感情を、何かその中に盛り込んだ一つの優越感を示している言葉のように韓国側に響いておるということは、非常に残念でございます。従って、私は率直にこれは撤回するということを、政府としてはっきり言うことが、両国の将来の正式の会談をスムーズにやっていく上において適当であるという考えでおりますから、そういう私の意向をすでに述べてありますが、さらにこの国会を通じて明らかにいたしておきます。
○加藤シヅエ君 ただいまの総理大臣の御発言は、この日韓の会談を進める方法としては、もう日本がむしろ積極的に、先手を打って、今までのいきさつというようなもののよくなかったものを、これをどんどん取り消すものは取り消す、打開するものは打開するというように、積極的に、信頼のもとに進めるというそういう御態度は、まことにけっこうだと思いまして、私も非常に共鳴いたします。そういう御態度でもって進めていただいたら、ほんとうに韓国の方たちも気持を開いて、非常にスムーズにやっていただけると思っておりますが、もう一つの問題は、日本側の財産の請求権の主張でございます。これも総理が申されましたように、いろいろ戦時国際法の問題その他の問題でいろいろ法律の解釈もおありになるのだろうと思いますけれども、大体日本が敗戦によって、サンフランシスコ条約の締結によって、今四つの島及びそれに付属したところの小さい島々ということになったことを、日本は了承しておりますので、やはりこの財産権主張の問題も、この際は非常に日本側が積極的な意思を総理大臣が御発表下さることが非常に望ましいと思うのでございます。これは、個々の方々にしてみれば、あちらに何十年もおられて大へんなたくさんの財産を持たれ、自分が手がけて開拓をなさったものや何かを、何のこともなく放棄をするというようなことは、非常にお困りになるという感情もあるだろうと思いますけれども、これは国内の問題として政府が善処していただくべき問題で、韓国に何か日本人がいつまでも何か請求するというようなその態度、あるいはその気持というものが、やはり大きな暗礁になっておりますので、この財産権の請求という問題につきましても、この機会に総理大臣のはっきりした御所見を伺いたいと思います。
○国務大臣(岸信介君) 財産権問題は、実はこれの解釈につきまして、過去の会談においては、日韓両国の法律解釈が正面で食い違っておったのであります。それが日韓会談を行き詰まらせた一つの理由にもなっております。そういう問題でありますので、私はこの問題を処理するのに当って、従来われわれがとっておった法律解釈に私は拘泥しない。問題を現実的な基礎において、さっき申しました両国のほんとうの友好関係を将来に作り上げるという見地から、この問題を一つ取り扱おうということを、私は考えております。従いまして、今日なおこの問題につきましては法律的な――もちろん私ども政府でなにしておりますから全然法律を無視し、法律解釈を無視するというわけには参りませんけれども従来の私もどの法律解釈を堅持して、もしも動かないということであれば、結果はきわめて明瞭であります。また、行き詰まることは明らかであります。でありますが、私はそこで、従来のわれわれの主張しておったことに拘泥しない。それよりも、現実に即して、公正な見地から両国の長き友好関係を作り上げることが必要であるという見地をとってこの問題を処理しよう、こう考えております。
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc_text.cgi?SESSION=23009&SAVED_RID=2&SRV_ID=2&DOC_ID=17296&MODE=1&DMY=24654&FRAME=3&PPOS=48
○加藤シヅエ君 この日韓会談の前には、まだまだたくさんのこまかい問題、大きな問題が横たわっておりますので、これを一つ一つ打開していただきますには大へんな骨が折れることだろうと思います。そのまず最初に、今、総理大臣が表明されましたような、ほんとうに積極的に日本が打開するために、謙虚な気持であくまで本誠意をもって当っていこうという、そのお態度があちらに通じますならば、むずかしいあとに残っております数々の問題も、必らず打開ができると私は信じておりますし、今後ともまたたくさんの日本人が誠意をもってこの問題を妥結するために努力を積み重ねて参りたい。そこで、政府に、さらに韓国の方々の信頼を得るような態度及び方法をもって、交渉をぜひ妥結して下さるようにお願いをいたしまして、私の質問を終ります。
[引用おわり]