[画像]安倍晋三首相(自民党総裁)と岡田克也民主党代表、2015年2月19日(木)、衆議院インターネット審議中継からスクリーンショット。
【平成27年2015年2月19日(木) 衆議院予算委員会 平成27年度総予算案に対する基本的質疑1日目】
解散のためずれ込みましたが、きょうから、来年度予算案の審議が始まりました。
野党のトップバッターは、政府4演説に対する代表質問と同じく、民主党代表の岡田克也さんが自ら先陣を切りました。
岡田さんは、ISILによる日本人2人の拘束、殺害事件について、官邸の危機管理をただしました。
政府から、2人目の人質、後藤健二さんが拘束されたのを把握したのは、2014年12月3日で、その後、19日に拘束は間違いないとの心証を得たとしました。公表されたのは、ことし1月20日のISILによる映像公開後でした。
岡田さんは、12月3日(水)は、安倍晋三首相と菅義偉官房長官が総選挙の応援のために、ともに東京を離れていたと指摘しました。これについて、官房長官は「後藤夫人が旧知の民間人の専門家としてやり取りしており、外務省と警察庁はサポートしていた。官邸は内閣法に基づき、世耕弘成・官房副長官に任せていた」と答弁しました。安倍首相は「法的にはしっかりと対応しているし、オペレーションにも問題がなかった」と答えました。
岡田さんは「私も副総理として官邸にいたが、官邸のオペレーションルームにいなくて、危機管理はこれから大丈夫ですか。私は外相も経験したが、やはり本省にいるのと、海外にいるのとでは、違う」とし、「藤村修官房長官は、選挙中1日しか地元に戻れず、その日は野田佳彦首相が東京にいた。結果として、藤村さんは落選した」とし、たしなめました。
ここで、私気づいたのですが、菅さんの師匠でもある、梶山静六官房長官は、選挙に一度落選したことがあり、毎週金曜日の夕方に橋本竜太郎首相に一声かけて、奥さんが住む地元・茨城に帰っていました。この間、橋本首相が土日に地方出張することがありましたが、このときの官房副長官は与謝野馨さんでした。与謝野さんは東京1区ですからはじめから地元に居ます。与謝野さんは別派閥です。橋本さんが梶山さんに気を使った起用したのでしょう。内閣改造で、選挙に強い村岡長官になると、副長官は自派閥の額賀副長官に交代しました。この人事の意味が、岡田質問ではじめて気づきました。
予算委に戻って、玉木雄一郎さんは、民主党政権が導入した行政事業レビューシートを使うと、地方創生予算(案)の0・7兆円のうち、85%が既存の事業の看板の架け替えだとして、有村治子行革相に対して、前任の稲田朋美行革相(現・自民党政調会長)のように、活用するよう求めました。玉木さんは「今野党になったので、与党ほど情報がとれません。でも、今は行政事業レビューシートがあれば、野党でも、国民でも付き合わせれば予算案を確認できる」と語りました。玉木国対副委員長は、この質問を今回の本予算 審議で各議員がしていく、と予告しました。
玉木さんが、西川公也農相が精糖工業会から献金を受けた後に、自民党TPP委員長として、マレーシアTPP会合に行った際に、精糖業界に有利にするよう日本政府交渉者に働きかける発言をしたのではないか、との追及の際に、「総理、野次を飛ばさないでくだしさいよ、日教組の話なんか、今していないじゃないですか!」と語り、大島理森・予算委員長が総理をたしなめる場面がありました。
岸本周平さんは「年金はかつて、グリーンピアなどで合計4兆円の損を出しているが、政治家はだれも責任をとっていない」とただしました。そのうえで、「政治家は働きかけをしてはいけないが、安倍総理は、ダボス会議で、GPIFの国内株への運用増について、look forward とスピーチして、圧力をかけたのではないか」と指摘。GPIFの三谷隆博理事長は「独立行政法人通則法では、理事長である私が1人で運用先を決定することができます。しかし、これだけの巨額ですから、私がいつ間違うか分からない」と答弁し、運用の専門家についてもらい、議論をしてもらって、決定することにしているとしました。理事長は、あたかも重荷に耐えきれない、という風情で、政治家である首相、財務相、厚労相らの覚悟がまったく見えなかったのは残念です。
黄川田徹さんは、復興集中期間(5年間)の最後の年になるとして、「なかなか野次が(私に対しては)出ませんが、発災時は私は与党でしたが、当時から復興に与野党はないという気持ちでやってきました。私たち、青森・岩手・宮城の人の復興は時が解決してくれるかもしれないが、福島の心は10年経っても解決しない」として、延長を示唆しました。これに対して竹下亘復興大臣は「次の5年のことについて頭の体操をしているが、立ち止まって何ができたのか、何が残っているのかの仕分けをしなければならない。被災地のみなさんはから『延長しろ』と言われるが、何をやらなければならないか、どこかで立ち止まって考える必要がある。次の5年を見据えていきたいが、その前段であがいている」と語りました。
黄川田さんは「2015年10月1日に国会が開いていれば、国勢調査で国会議員は東京でカウントされるのではないか」と問うと、高市総務相は「そうなる」としたうえで、「委員がご心配されているのは、被災地でカウントされないということではないでしょうか。以前も三宅島が全島避難中に「ゼロ」とカウントされたことがあるが、そのときは、5年前の国勢調査の結果を準用する特例をつかいました。今回もそのような措置がとれるか検討したい」とすると、黄川田さんは「私はできれば、地元でカウントされたい」と答えました。