宮崎信行の「新・夕刊フジ」

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

岡田克也61歳、いまだ「耳順」ならず 明日、人生初の原発視察へ

2015年02月22日 20時16分21秒 | 岡田克也、旅の途中

[写真]岡田克也さん、平成27年2015年2月20日(金)、民主党本部内、筆者(宮崎信行)撮影。

 子のたまわく、われ、十有五(十五)にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知り、六十にして耳従う、七十にして心の欲するところに従いて矩を越えず。

 論語では、志学、而立、不惑、知命、耳順と呼ばれるとこですが、岡田克也さんが61歳にして、まだ耳順ならずと宣言しました。

 岡田さんは2015年2月20日(金)の民主党代表定例記者会見で、「私は目いっぱいやってしまうたちなので、ちょっと目をいためてしまってからあまり目いっぱいにならないように気を付けているということはあるかと思います。最近は本を読んでいないので、それが良い結果になっているのかもしれませんね」と語りました。

 月刊誌FACTAの経営者で編集長の宮嶋巌さんから、「本を読まないから、人の言うことを聞くようにしているのか」と問われると、「それはちょっと分かりません」と応じ、61歳ですが、まだ「耳順」になっていないことを強調しました。

 岡田さんは15歳で、大都会大阪の高校に進学しながら、学校封鎖にいたり、学に志しました。祖父、父、兄が全員、早稲田大学商学部(前身の東京専門学校含む)に進んだのに、岡田さんは、東京大学法学部に進みました。


[写真]「志学」の岡田克也さん。

 30歳代で、通産省からハーバード大学に派遣された時に、アメリカのみならず全人類の夢、チャレンジャー号が空中で爆発する事態にあいながらも、毅然としたロナルド・レーガン大統領と、アメリカの下に一つになろうとする共和党員、民主党員の姿を見て、政治を志し、山本幸雄先生の後継者を探していた竹下登先生から2級下の岡田卓也さんを通じて、34歳で通産省を辞め、36歳にして「立ち」(而立)、初出馬初当選を決めました。


[写真]「而立」の岡田克也さん。

そして39歳で改革フォーラム21・新生党に参画しながらも、政治家を辞めようかと思いながらも、44歳にして直面した、日本におけるチャレンジャー爆発事故すなわち新進党解党で、見せた、政権交代ある二大政党政治に惑わず。


[写真]「不惑」の岡田克也さん。

 そして、天命を知ったのは、58歳。15年ぶりの政権交代直後に、またしても小沢一郎氏に妨害されて幹事長を更迭されながらも、ちょうど1年後に、菅直人代表(総理)から再び幹事長になったとき。(関連エントリー

これも「天命」なのかな 岡田克也さん、民主党幹事長に1年ぶりに復帰



 
[画像]「知命」の岡田克也さん。

 岡田さんは「天命を知った」背景として、「ちょうど1年前まで、私、幹事長だったんですね。ですから『なんか外務大臣になったときに、(幹事長を外されたと)ずいぶん憤慨していたじゃない』と妻に言われまして、そういうこともあったのかな、と。また振り出しに戻ったような感じですよ、(政権交代した)1年前の」と語りました。

 で、論語読みの論語知らずと言われてもいいのですが、実は、而立は30歳代、不惑とは40歳代、知命は50歳代、耳順は60歳代なんですよね。だから、40歳になっても不惑でなくてもいいわけです。不惑とは、雑事にとらわれずに天職にだけ惑うことを不惑といいます。

 岡田さんは50歳代の58歳で天命を知ったわけで、 耳順は69歳だと余裕がない感じですから、68歳まででいいのでしょう。

 蓮舫代表代行は19日の記者会見で、「これまでの岡田さんの素顔をそんなに知っているわけではないので、あまり比較はできないのですが、ご家族の話をボソッとするようになったのがとても印象的です。お嬢様の話ですとか、奥様に怒られちゃった話ですとか、思わず「えっ?」と二度見してしまうような発言をポロッと言う時がありますので、私は「本当はもしかしてこういう人だったのではないのかな……」というふうにも印象を新たにしています」と語りました。

 奥さんの話をするのに、まだ耳順を認めないのなら、耳順になっていないのでしょう。

 さて、岡田さんはあす、人生ではじめて、原子力発電所に入ります。岡田さんがいたころの通商産業省は新日本製鉄に代表する傾斜生産方式をつくる官庁から通商官庁に変わっていった時期です。岡田さん退職後に、現在のエネルギー官庁へと性格を変えてきました。

 岡田さんは、ある意味、失う物が多い人ですから、「君子危うきに近寄らず」という考え方があるようです。別段「ビビり屋」とは思いませんし、そんなことを書くと、次回の記者会見で一発しめられるかもしれませんが、支持者の中ではもっと前に出てほしいという声も多く、いつまで神輿担いでんだいいかげん前に出ろ、という声もあります。

 岡田さんが東京電力福島第一原子力発電所に入るならば、「岡田が決めたらどこまでも」の私・宮崎信行もお供したいところですが、事前に知らず、あすは衆・予算委を聞くことになります。

 岡田さんに限って、原発でビビることはないだろうと思いますが、ぜひロナルド・レーガンのチャレンジャー爆発時の姿を思い出したいですね。

  
[写真]チャレンジャー爆発の瞬間でも毅然とした表情を見せる、ロナルド・レーガン、USニュース・アンド・ワールドリポート「ロナルド・レーガン追悼号」から。

 レーガン大統領のアラン・グリーンスパン経済顧問(のちにFRB議長)は、レーガンに初めて会ったときに、その凡庸さに驚いたそうです。レーガンがチャレンジャー号爆発の瞬間にも毅然としている姿を見て、「鈍感なのでは」と思う人がいるでしょう。ならば、私は、鈍感さも政治家の能力だと考えます。

 岡田さんはレーガンよりも本を読んでいるので、レーガンのように、超然としていられないかもしれません。しかし、どんなときもこういう写真を抜かれる可能性がある政治家は、自分に素直でなければなりません。

 岡田さんは外相時代の2010年1月11日、チャレンジャー号に乗り込んだ英雄、エリソン・S・オニヅカ大佐のお墓参りをしています。

 
[写真]エリソン・S・オニヅカ空軍大佐(アメリカ航空宇宙局(NASA)ホームページから)

 私は岡田さんより、11年前に、お参りしたことがあります。

 アメリカ歴代大統領でおそらくただ一人太平洋に向かって眠る大統領と太平洋の真ん中ハワイで眠るもっとも勇敢なジャパニーズ。

 岡田さんが、その域に達して、耳順になるのはもう数年先でもいいのではないでしょうかね。

 私・宮崎信行は来週、3月1日の民主党定期党大会の日が41歳の誕生日。ちょっとだけ、不惑になってきたのかなあ、という気がしています。

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