[写真]上出義樹さん(右)、2017年3月13日、東京都千代田区霞が関で、筆者・宮崎信行撮影。
上出義樹(かみで・よしき)さんが亡くなりました。
フリージャーナリスト、元北海道新聞記者・編集委員・シンガポール駐在員、そして、上智大学博士。
きょう、桐ケ谷斎場で告別式がありましたが、私は直前まで参列を模索しながらどうしても離れられなかったので、ブログでお別れ。
参列した、ジャーナリストの畠山理仁さんによると、みんなで拍手と「ありがとう」の声で送り出したそうです。
○きょねん奥さんに花束を。
上出さんは、きょねん2017年3月13日(月)に東京・千代田区霞が関の「霞友会館」で、出版記念と博士号取得記念パーティーを開きました。ここには、北海道や東京などから、親族、道新時代の同僚、上智大学の先生・生徒、シンガポール時代の他社の幹部記者、そして、フリーランス記者で東京電力記者会見のなかま。そして、永田町・霞が関系のジャーナリストを代表するかっこうで私も参加しました。
[写真]奥さんに花束を渡す、上出義樹さん、2017年3月13日、宮崎信行撮影。
この席で、上出さんから奥さんへの花束贈呈。抗がん剤治療をされていましたから、きょねんのうちに、思い残すことはないようにされていたんだろうと、忖度するところです。
○2009年以降の記者会見をめぐる攻防、記者クラブ出身のフリーランス記者として共闘。
2009年夏からの、「記者会見をめぐるフリーランス・独立メディア記者と、記者クラブと、政府をめぐる攻防」において、上出さんと私・宮崎は「記者クラブメディア出身のフリージャーナリスト」としてたたかいました。これにおける「戦友」を今回の上出さんの他界で私は失い、孤独になったといえます。
上出さんと私が知り合ったのは、「3・11」の翌年になった、2012年の副総理記者会見で、自然と横に並ぶことが増えました。最後の会見の一つ前の会見が始まる前に、私が会見場の様子を記念撮影していると、察したようで、「政権交代後の記者会見はどうなるでしょうね」と話し合いました。
○「ちょっと教えてください」からクラブ内外の現場記者に「取材」した博士論文。
上出記者の口癖「ちょっと教えてください」の後、思いに、永田町の先の見通しについてご説明しましたが、2012年末以降は、政府が記者会見を再び閉じだしていることへの対応、取材の前さばき、さらには、上出さんの博士論文・著作へとつながるメディア論へと昇華していただきました。
上出さんは「報道の自己規制 メディアを蝕む不都合な真実」(リベルタ出版)を2016年8月25日に出版しています。
これについての私の書評のブログ(上出義樹博士(北海道新聞元編集委員)「報道の自己規制 メディアを蝕む不都合な真実」)もお読みください。
○「取材の権利」「言論の自由」はすべてに優先する。
私としては、上出さんから教えたもらったことは、取材においては、まず取材の権利・自由をすべてにおいて優先すること。私がちょうど1年前のきょう、最大野党の衆議院内の党首記者会見で、「この党の支持団体の今の会長は歴代最低最悪」と口がすべって司会者の国会議員から「議事録から削除する」と言われた後、上出さんも「何がいけないんですか。これは言論の自由の問題です。民進党はそういうことをやってはいけない」と。次の動画の19分20秒頃からです。
[動画]旧民進党の2017年7月13日の党首記者会見から、旧民進党Youtubeチャンネルから。
このようすは、(産経新聞「民進・蓮舫代表会見司会の芝博一幹事長代理「ふさわしくない質問、議事録から削除する!」 連合会長「批判」の質問に過剰反応?」)、(田中龍作ジャーナル「民進党は死んだ 蓮舫代表の戸籍公開し、連合批判の記者質問を抹消」)などで報じられています。
[WARPから引用はじめ]
蓮舫代表記者会見2017年7月13日(木)
【フリーランス・宮崎記者】
この労働基準法の14条の改正案は2年以上前に出てきて、その時点では労働者派遣法改正案もあったが、派遣のほうは成立したが、労働基準法14条のほうは2年以上成立もさせない、審議入りもしない状況で来ている。手続はどうであれ、連合会長が修正に応じるということは、成立に応じると、普通に考えればそうなると思う。そういった国会内での闘争を連合会長が後ろから鉄砲を撃つようなことを任期間際にするというのは、ちょっと人としてどうかなと思う、神津さんというのは。連合発足以来最低最悪の会長だ。代表は、立場でおっしゃれないかもしれないが、どう思われるか。
【代表】
やはり「残業代ゼロ」法案というのは、我が国で働く労働者全員にかかってくる労働環境の変化というものがもたらされますので、その中身においてはより慎重に、なおかつ最大限の情報公開をしながら、政府には丁寧な説明責任が求められるものと思っています。
その部分では、今回、連合さんは政府との関係でさまざまなご提案をされると伺ってはおりますが、連合の中でも闊達な議論というのは封じられるものではないと思っていますので、そうした健全な議論を経て連合さんがどのような判断をするのかを、私達が口を出す立場ではないと思います。
ただ、我々は公党として、その労働法制の中身が納得できるものなのかどうなのかは、しっかりと独自の判断をするべきだと思っています。
【芝役員室長】
今の発言の中でちょっと、あまり記者会見の場でふさわしくない発言がありました。そこは議事録から抹消しますが、いいですね。
【フリーランス・宮崎記者】
それはじゃあ、終わった後に話しましょう。
【芝役員室長】
これは我々としてもきちっとした公式の場ですから。後で話をしましょう。
【フリーランス・田中記者】
ふさわしくないから抹消します、というのはどういうことでしょうか。宮崎さんの質問は、どの字句がふさわしくなかったのか、僕はピンとくるが、それでもやはり抹消するというのは好ましくないのではないか。
【芝役員室長】
後で話し合いをしましょう、ということです。発信しますから、全てこの中身は。質問側も答弁側も。
【代表】
ちょっと丁寧にやらせてください、そこは。
【フリーランス・上出記者】
今のは非常に重要な問題なので。記者会見の場で記者が言ったことを、これは言論の自由ですからね、それに反することですから。評価の問題です。罵倒している言葉ではない。確かに相手にとっては聞きよくないかもしれないが、これは相談の意思はないと思う。
【芝役員室長】
後で発言者と相談させてください。
【フリーランス・上出記者】
それは私は反対。民進党はそういうことはやってはいけない。
【芝役員室長】
わかりました。後は宮崎さんに、判断に任せます。
【代表】
私達は情報公開・透明性を重んじておりますので(代表会見はネット)中継されているますので、いろいろお思いのことはありますが、個人攻撃に当たるかのようなことは、私としても、それに対して直接お答えするのは難しいと、そこはご理解をください。そこは丁寧にやらせてください。
【芝役員室長】
発言を制限していることは全然ございませんから、考えは。
【フリーランス・宮崎記者】
今、代表が「中継中に」とおっしゃったが、後の話し合いは入らないので、一言だけ。私の考えだ、と言ったはずです。私はそう思う、とたぶん言っています。
[WARPから引用おわり]
○2012年から秘密保護法に懸念、2013年に成立してしまう。
上出さんは2012年当時から「秘密保全法案」への懸念を示していました。これについて私はいつも記者会見場であまりピンと来なかったのですが、政権再交代後の翌年末には「秘密保護法」として成立してしまいました。
[首相官邸ホームページ内から引用はじめ]
平成24年3月2日
岡田副総理記者会見要旨
(略)
(記者)
フリーランス記者の上出と申します。
一部報道されている問題で、秘密保全法案のことについてお聞きします。これは、私、外務大臣時代からフォローさせていただいているんですが、岡田副総理が頑張って、密約その他、情報公開に風穴をあけたのとは全く正反対に、今度はそれを逆方向に向けようとする、ちょっと岡田副総理がおられる内閣で、こういう法案が出てくるってちょっと信じられないんですが、国会議員への守秘義務も課すとか、そういう議論も出ているようですし、現実にこれ、どういうスケジュールで出そうとなさって、本当にこういう法案が出てくるのか。新聞協会なんか、あるいは弁護士連合会なんかも反対声明を出しておりますが、ちょっとその辺の真意と、実際に法案を出すまでのプロセスについて、その辺、国民の議論もございません。その辺のことをどうお考えか。
(岡田副総理)
そこまでまだ煮詰まってない話じゃないかなと思います。
(略)
[首相官邸ホームページ内から引用おわり]
○5月25日の最期のブログで「現役の新聞記者として痛恨の極み」
で、直前の上出義樹さんのブログ。母胎保護法(優生保護法)をめぐる救済立法は今国会は先送りとなりましたが、その報道で次のように書いておられます。
[「タラの<メディアウォッチ>上出(かみで)義樹が斬る」から引用はじめ]
自省込め強制不妊手術の報道責任問う
2018年5月25日 上出義樹
重大人権問題を知らなかった記者としての自らの不覚
今年1月以降全国各地で、国による強制不妊手術や優生保護の報道が流され始めたとき、恥ずかしながら、これは戦前か戦中の話だと思った。ところが、1973年に成立し、1996年まで続いた法律が根拠になっていた。1996年といえば私も現役の新聞記者。絶対に目を向けなくてはいけない問題に、全く関与できなかったのは痛恨の極みである。
(後略)
[「タラの<メディアウォッチ>上出義樹が斬る」から引用おわり]
○道新の支局長、学芸畑、東京政経部、シンガポール特派員、上智大学院、東電・霞が関・永田町で楽しんだジャーナリスト人生。
上出さんの道新の同僚によると、上出さんは道新では学芸畑が長かったとのこと。道内各地での支局長。シンガポール支局長としては、全国の地域有力ブロック紙からの特派となりますが、加盟している通信社のシンガポール支局もあるので、道内から進出している企業取材が楽しかったとのこと。東京政経部時代は、昭和から平成へ。退社後の、永田町・霞が関の取材は新しい経験もあり楽しんでおられたようです。上出記者が枝野幸男経済産業大臣に質問した内容が、各社で大きく報じられたときは、ベテランとはいえ、うれしかったようです。定年退職までつとめあげていたので、道新東京政経部で私が知っている記者のその後の消息も把握されておられました。
[写真]上出義樹さんの親族・友人・知人、上出義樹さん提供。
○心より哀悼の意を表します。
記者クラブ出身のフリージャーナリストとして、永田町の記者会見での取材機会を守り続けることは、私がしますから、安心していただきたい。これは命がけで断言します。
上出義樹さん、記者、博士に、心より哀悼の意を表します。
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