宮崎信行の「新・夕刊フジ」

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

大島理森議長が異例の談話で国会法改正も視野に国政調査権の強化の議会制度協議会を提案、「財務省、厚労省、防衛省」を名指しし、「行政府の問題だが立法府の問題も」「国政調査権の強化検討」

2018年07月31日 19時56分01秒 | 第196回通常国会(2018年1月召集)働き方 カジノ

[写真]大島理森衆議院議長、先々月2018年5月28日(月)、国会内で、筆者・宮崎信行撮影。

 大島理森衆議院議長は異例の所感を発表しました。

 大島議長は、先の第196回通常国会最後の本会議で挨拶を述べることができませんでした。これは対決法「IRカジノ実施法」の採決が参議院で残っていたため、不測の事態に3分の2再議決ができるように、議題が終わった後も、休憩のまま、散会したからです。

 大島議長はきょう、平成30年2018年7月31日(月)、「衆議院議長談話(今国会を振り返っての所感)」を発表。

 この中で、先の国会は、「議院内閣制における立法府と行政府の間の基本的な信任関係に関わる問題」があったと指摘し、

 (1)財務省の森友問題をめぐる決裁文書の改ざん問題
 (2)厚生労働省による裁量労働制に関する不適切なデータの提示
 (3)防衛省の陸上自衛隊の海外派遣部隊の日報に関するずさんな文書管理

 の3省を名指しして、「一連の事件はすべて、法律の制定や行政監視における立法府の判断を誤らせるおそれがあるものであり、立法府・行政府相互の緊張関係の上に成り立っている議院内閣制の基本的な前提を揺るがすものである」と激しく批判しました。

 そのうえで、まずは行政府(政府、内閣)の問題としながら、立法府(国会、衆議院など)は

「憲法及び国会関係諸法規によって与えられている国会としての正当かつ強力な調査権のより一層の活用を心掛けるべきであります。そして、必要とあれば、その実効性を担保するため、それら国会関係諸法規の改正も視野に入れつつ、議会制度協議会や議院運営委員会等の場において、各党各会派参加の上で、真摯で建設的な議論が行われることを望むものです」としました。

 議長談話により、秋の第197回臨時国会では、議院運営委員会で、「議会制度協議会」設置に向けた話し合いがなされそうです。

 大島談話の全文は以下の通り。

[衆議院ホームページから全文引用はじめ]

衆議院議長談話(今国会を振り返っての所感)


まず、今般の西日本の豪雨災害により亡くなられた多くの方々に対し、心より哀悼の意を表しますとともに、御遺族の方々にお悔やみを申し上げます。また、被災された方々に対し心よりお見舞い申し上げます。衆議院では、10日の本会議で決議を行いました。先日の台風12号により、被災地の皆様には、二次災害の危険など更なる過酷な状況が続きますが、政府におかれましては、この決議の趣旨を十分尊重して、被災者の方々に寄り添いながら、対応に万全を期していただきたいと思います。

先般の通常国会は、1月22日にはじまり、7月22日まで、延長を含めて182日間の会期となりました。


1.この国会において、①議院内閣制における立法府と行政府の間の基本的な信任関係に関わる問題や、②国政に対する国民の信頼に関わる問題が、数多く明らかになりました。これらは、いずれも、民主的な行政監視、国民の負託を受けた行政執行といった点から、民主主義の根幹を揺るがす問題であり、行政府・立法府は、共に深刻に自省し、改善を図らねばなりません。


2.まず前者について言えば、憲法上、国会は、「国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関」(憲法41条)として、「法律による行政」の根拠である法律を制定するとともに、行政執行全般を監視する責務と権限を有しています。これらの権限を適切に行使し、国民の負託に応えるためには、行政から正しい情報が適時適切に提供されることが大前提となっていることは論を俟ちません。これは、議院内閣制下の立法・行政の基本的な信任関係とも言うべき事項であります。

しかるに、(1)財務省の森友問題をめぐる決裁文書の改ざん問題や、(2)厚生労働省による裁量労働制に関する不適切なデータの提示、(3)防衛省の陸上自衛隊の海外派遣部隊の日報に関するずさんな文書管理などの一連の事件はすべて、法律の制定や行政監視における立法府の判断を誤らせるおそれがあるものであり、立法府・行政府相互の緊張関係の上に成り立っている議院内閣制の基本的な前提を揺るがすものであると考えねばなりません。


3.また、行政・立法を含む国政は、「国民の厳粛な信託によるもの」であり(憲法前文)、民主主義国家においては、国政全般に対する国民の信頼は不可欠なものであります。

にもかかわらず、行政執行の公正さを問われた諸々の事案や、行政府の幹部公務員をめぐる様々な不祥事は、国民に大いなる不信感を惹起し、極めて残念な状況となったのではないでしょうか。


4.政府においては、このような問題を引き起こした経緯・原因を早急に究明するとともに、それを踏まえた上で、個々の関係者に係る一過性の問題として済ませるのではなく、深刻に受け止めていただきたい。その上で、その再発の防止のための運用改善や制度構築を強く求めるものであります。


5.以上のような問題を生起せしめた第一義的な責任は、もちろん行政府にあることは当然でありますが、しかし、そのような行政を監視すべき任にある国会においても、その責務を十分に果たしてきたのか、国民の負託に十分に応える立法・行政監視活動を行ってきたか、については、検証の余地があるのではないでしょうか。国会議員は、私自身も含め、国民から負託を受けているという責任と矜持を持たねばなりません。このような観点から、最近、各党各会派や議員グループから、国会改革に関して具体的な提言がなされていることも、衆議院議長として、承知しているところであります。

今国会を振り返り、私たちは、国民から負託された崇高な使命とあるべき国会の姿に思いをいたし、憲法及び国会関係諸法規によって与えられている国会としての正当かつ強力な調査権のより一層の活用を心掛けるべきであります。そして、必要とあれば、その実効性を担保するため、それら国会関係諸法規の改正も視野に入れつつ、議会制度協議会や議院運営委員会等の場において、各党各会派参加の上で、真摯で建設的な議論が行われることを望むものです。


(平成30年7月31日)

[衆議院ホームページから全文引用おわり]

このエントリーの本文記事は以上です。

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[訃報]吉田公一・元新生党衆議院議員、享年77、肺がん、吉田先生と秘書のみなさまには感謝、感謝、感謝ばかり

2018年07月31日 02時36分59秒 | 素晴らしき新生党保存会

 吉田公一・新生党衆議院議員(元民主党衆院議員の吉田公一氏死去)が77歳で、おととい亡くなった、という報道が夕べでました。衷心よりの哀悼。そして、吉田公一・東京9区総支部長とその秘書・スタッフのみなさまに、元新生党東京11区総支部員より、心より感謝、感謝、感謝、感謝、感謝を申し上げます。注・9区と11区は小選挙区比例代表並立制移行後であって、新生党時代(中選挙区時代)とは一致しません。

 新生党・民主党衆議院議員、農林水産副大臣を歴任された、吉田公一先生は、おととい、平成30年2018年7月29日(日)午後10時40分、肺がんのため東京都内の病院でお亡くなりになりました。享年77。葬儀は8月4日午前11時から東京都練馬区春日町4の17の1の愛染院会館で。喪主は妻和子(かずこ)さん。

 私は大学生・改革フォーラム21(自民党羽田派)→新生党時代に、ご指導いただいた先生をあまり言及しませんが、これは、松下政経塾出身の古山和宏さんで、大学5年間、ぞっと板橋区内の総支部には通っていました。ご存知の通り、古山さんが当選することはありませんでした。古山さんが永田町事務所を持つことがあれば、私のキャリアパスは、やや違ったものになっていたかもしれません。

 東京9区総支部はドタバタでしたから、吉田先生率いる、東京11区総支部(板橋区の4割の区界は練馬区と接している)のスタッフのみなさんにはお世話になりました。まず、出馬歴では1期先輩の古山さんは、吉田都議のパーティに出席。私も同伴。ここで、吉田都議を支える区議のみなさんは「あれ、中村先生からのお花が来てないな」。吉田都議は、系列の中村靖衆議院議員(中村梅吉元衆議院議長の子、その後未入閣のまま引退)から離れる格好で、新生党公認で衆院選に出馬。4人区でしたが、新生党ブームの中で初当選。この選挙区では公明党さん公認の石井啓一・現国交大臣も初当選し、自民党は新人の小林こうきさんが初当選し、中村さんは入閣適齢期・都連幹事長ながら落選しました。他の選挙区では、新生党の西川太一郎都議(現・荒川区長)も初当選し、議員会館は隣同士でしたが、両先生の折り合いは良くなかったようです。

 私は、月刊都議会リポート(行革で廃刊)を読んでいましたが、吉田先生の都議時代の質疑は、リベラルそのもの。我々新生党は連立をともにした公明党さんから「極右政党」という誤ったイメージを持たれましたが、吉田先生はリベラルそのものでした。我々政治改革派に共鳴して、宮澤解散のかなり前から、小沢一郎先生の公認内定をとっていたと思います。

 東京11区のパーティーでは、吉田代議士が応援に。吉田先生は下町のミッチーともいっていいほど、渡辺美智雄さんのように演説がうまく、笑わせ上手で、親しみやすく、政策通でした。あるときは、「狂犬病の注射をしているが、実は日本で●●年も狂犬病は発生していない。これは獣医師会の利権なんです。こういうのを改革したい」と聴衆の関心を呼びながら、「実は先ほど挨拶して、今ほど退席したばかりの、先輩の北村直人先生、あの人獣医師さん」と笑わせながらも、私は「勇気のある先生だな」と感じました。このときは、私たちの連絡ミスで、北村先生ら退席後に、吉田先生到着まで、数分間の時間があると勘違いしてしまい、早めに乾杯をしてしまい、食事をとりだす数十秒前に吉田先生到着ということになりましたが、「どうぞみなさん、お召し上がりながら聞いてください」と機転を利かせてくださり事なきを得ました。

 羽田孜・小沢一郎軍団の強さの象徴、箱根での新生党合宿。夜は酒盛りですが、この場でも、なんとなく都連中心に集まりますから、吉田先生の秘書と、古山さんの秘書が小学校の同級生だということが私によって判明する、という機縁もありました。だからどうしたという機縁ですが(苦笑)。

 以前も書きましたが、私がまさに冷や汗を書いたのが新進党時代の参院選。11区は、旧公明党出身の太田昭宏代議士が自ら比例転出を表明するというおどろくべき展開で、両者とも地盤の、小選挙区9区・11区での次期衆院選の公認を取れました。そして、新進党は組織を束ねるために、参議院東京選挙区で、魚住裕一郎候補(現公明党参議院会長)1人だけを擁立。夜の選対で、西新宿の事務所に行った際は、東京1区から、25区まで順にその日の情勢を報告。1区、2区、3区・・・と順に来て、でも、11区の私は当時学生で日中は入れてなかったので何も話せませんよ。以前にも書きましたが、この会議の司会役は、9区総支部で、新生党時代から旧知の秘書さん。何も話せない11区の私に、一般的に答えられるはずの自民党都議2人の対立(田中晃三、下村博文両都議)状況について質問してくれて、別に年中話せるはずの、田中、下村両都議の対立を説明して、さまになりました。これは、もう感謝、感謝、感謝、感謝の一言です。この選対は本部長、事務局長、そして夜の選対司会役まで旧新生党がやっていて、このことが、その後の東京都連での大敗、新進党分裂の遠因になったかもしれないとも思います。

 その後、吉田先生は、選挙区で自民党公認のガッツ石松さんと、96民主党さん公認の小川敏夫さんの挟み撃ちにあいながらも、強靭な足腰で再選。さらに、自民党で満を持して登場した、菅原一秀さんにも次の選挙で勝ちました。しかし2003年の選挙では、どういうわけか、吉田vs菅原なら、若い菅原さんの方がフレッシュというイメージが選挙区内でできてしまったようで敗れました。また、諸事情があったんでしょうが、私が取材できない時期に、吉田先生は、民主党羽田グループから民主党鳩山グループに移ったようですが、これはまあ賢明だったのかもしれません。そして、2009年に比例で復活。農林水産省の政務三役として、両院議員総会で発言し、「前日、日程表に3つぐらい官僚のレクシャーが入っていると、全部切っちゃうんだよ」との政治主導をスピーチ。これには、民主党議員は大爆笑。私は、吉田先生の言う通りだと思います。民主党政権は、総理大臣まで財務省のレクチャーに洗脳されてしまい、大惨敗を喫します。

 その後、吉田先生は、政治資金管理団体を解散。このとき、全国で気づいたのは私一人でしょうが、百数十万円ほどの残金を国庫に返納していました。通例、百数十万円でも、個人に寄付したり、自著を購入したりして、ゼロ円にしてから解散するのが普通です。吉田先生は、「吉田パイプ工業社長」の肩書もあったため、お金にクリーンではないのではないかとの予断を持ち、東京だから取材しやすいと勘ぐる記者もいて、私は2~3度そういう趣旨の質問をされたことがあるような気もしますが、この百数十万円国庫返納をみても、クリーンだった。上述で、細川・羽田連立内閣の頃に公明党さんから「極右政党」という間違ったイメージを持たれましたが、新生党結党時に、河野洋平官房長官(のちに自民党総裁)から「自民党が改革しなければならないのはなにか。それは出て行ったあの人たちの体質そのものではないか」と新生党を官房長官会見で批判し、自民党内も含めて批判・賛同が出ました。私も学生の立場で、新生党はクリーンでなかったかもしれません。ただ、それは、バブル末期で、自民党竹下派にはお金がある人が集まっていて、あの時の議員・秘書会青年部で逮捕された人はいるでしょうか。学生塾の3代目の代表だった石川知裕さんだけです。学生ながら、クリーンではないかもしれないが、我ら改革派だという意識は強かった。羽田内閣では、新生党・新生党秘書会青年部・学生塾は鬼の団結を示しました。これは、少数与党だったからですが(苦笑)、あのころの、都連の3区のメンバーで、「実はあのとき、宣車で怪我して羽田内閣の2か月間は病院に居たんです」という告白を聞いて、「それ言わなきゃ分からないですよ、先輩はみんな、我々新生党の仲間だというイメージしかないから大丈夫」。まあ、私は当時大学3年生の末席ですが、今でも新生党の仲間では、そういう話をします。

 吉田先生は、私が知る1993年ごろから、ずっと、脚をひきずっておられました。

 吉田先生。吉田先生の秘書のみなさまが今どうしているのか一人も分からないのですが、本当に、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝ばかりです。

 このエントリー記事の本文は以上です。

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