[写真]総務省(左、2017年5月)、厚労省(右、2015年7月)、ともに東京・霞が関、宮崎信行撮影。
総務省と厚労省が並んだ写真を初めて作ってみたら、ほとんど同じような建物だということに初めて気づきました。
きのう、平成30年2018年8月15日(水)、全国戦没者追悼式が、日本武道館(東京・千代田区)で開かれました。
しかし、8月15日正午=日本時刻=が、太平洋戦争及び第二次世界大戦の終戦日なのでしょうか。韓国、北朝鮮などではそうでしょう。東南アジア諸国でもそうですが、独立に向かった日、という意識も強いでしょう。日本が降伏文書に署名したのは、1945年9月2日(日)です。我が同胞でも、満蒙団などで、15日以降に戦闘で没した人もいます。
ことしも、100歳以上の遺族や、6歳の遺族も参加した式典。日本遺族会は47のうち30の県支部に「青年部」があるそうです。でも戦没者ばかり慰霊する。現在92歳の傷痍軍人で、杖無しに参列できる人もいるでしょうが、傷痍軍人はいたわらなくていいのか。
文部科学省検定済み高等学校地理歴史科用の「三省堂・詳解世界史B」の2003年版では「日本は8月15日にポツダム宣言受諾を公表して、9月2日に降伏文書に調印し、ここに大戦が終結した」とあります。もっとも使われている山川出版社「詳説世界史」の2018年版では「日本は8月14日ポツダム宣言を受諾して降伏し、15日国民にも明らかにした。こうして6年にわたる第二次世界大戦は終わった。」とあります。この教科書の1987年版では「そして8月6日、アメリカは広島に原子爆弾を投下し、8日、ソ連邦はヤルタ協定にもとづいて日ソ中立条約を無視して日本に宣戦し、中国東北地方をはじめ朝鮮・樺太に進撃した。9日、アメリカ軍は長崎にも原子爆弾を投下し、14日、日本側は御前会議でポツダム宣言受諾による降伏を決定し、15日国民にこれを明らかにした。ここに6年にわたる第二次世界大戦が終わった」とあります。どうやら、8月15日を終戦の日ととらえる教科書はなく、この30年間、文部科学省が検定で意見をつけたことはないように思われます。
この背景には、宮内庁長官を数人だしてきた厚生省の「利権」が考えられます。傷痍軍人への恩給は総務庁恩給局→総務省人事・恩給局(廃止)、戦没者の遺族への年金は、厚生省援護局→厚生労働省社会・援護局が所管してきました。
上の2つの画像は、今年度一般会計予算書からのスクリーンショットです。赤字は私の加筆です。総務省は恩給を2000億円出していますが、厚労省の遺族年金は100億円強です。厚労省は年金特会からも、基礎・国民年金等を出してそれに、税金分の一般会計から遺族年金を上乗せしているんだと思います。
恩給に比べると、20分の1に過ぎない遺族年金の権威づけのために、厚生省が影響力を持つ宮内庁、内閣官房を通じて、8月15日を終戦の日としているのではないか。厚生省は旧内務省です。そして、それに呼応して、宗教法人靖国神社が戦犯を合祀する暴挙に出たのではないか。その触媒が日本遺族会なのではないか。
8月15日に戦没者慰霊式をやるようになったのは、昭和50年代の閣議決定だそうです。自民党長期独裁政権のもと、法案も出さずに一方的に閣議決定したのが、根拠のようです。そして現在、軍恩連盟が全国組織に限っては既に解散して靖国神社に旗を奉納したのに対して、日本遺族会は30県支部で青年部を設けている。92歳の傷痍軍人は招待されず、100歳の遺族や6歳の遺族は招待される。
ずっと心に引っかかっていたので書きました。終戦の日を9月2日とせず、8月15日正午を終戦の日だと信じて疑わない島国根性は、80年前の日本人と変わらないような気がします。
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