[画像]背広の内ポケットのマニフェストを見せる、長妻昭・法案提出者、2012年6月22日(金)、衆議院社会保障と税の一体改革特別委員会、衆議院インターネット審議中継からキャプチャ。
【衆議院社会保障と税の一体改革特別委員会 2012年6月22日】
3党合意による、新規提出衆法2法案と、提出済み閣法7法案の修正案(うち1法案は撤回の見通し)が審議入りしました。
答弁席には、きょうから、民主党から長妻昭さん、古本伸一郎さん、和田隆志さん、柚木道義さん、泉健太さん、江端貴子さん、自民党から鴨下一郎さん、田村憲久さん、野田毅さん、加藤勝信さん、馳浩さん、公明党から西博義さん、池坊保子さんが座りました。ちなみに、参議院でも100時間審議になれば、この人たちが法案・閣法修正案提出者として座ることになるんでしょうが、選挙区は(油断しなければ)大丈夫そうな人がそろいました。なお、公明党は3党協議参加者は答弁者に入っていないようです。
きょうは、3党協議に参加していない、各党の質問がありました。
長妻昭さんは、新党きづなの小林正枝さんから、「マニフェストを持っているのか」と聞かれ、内ポケットを見せ、きょうは持っております」と答弁しました。
これに先立つ、日本共産党の佐々木憲昭さんの質問に対して、「政権交代可能な政治体制になったが、ねじれ国会という現状がある」として、マニフェストの修正実現が必要だとしたうえで、年金制度に関しては「政権交代のたびに制度を変えることになっては国民の迷惑になる」とも指摘しました。
長妻さんはあくまでも第45期衆議院で勝利したマニフェストを土台にして、第22期参議院での直近の民意である衆参ねじれの下、3党で粘り強く修正マニフェストを実現させようとの気概を見せました。
これについては党内手続きにおいて、厚生労働委員の民主党・三宅雪子さんから「マニフェストを持っているのか」との指摘を受けたと報じられており、三宅さんの指摘を受けて「きょうは持っている」と発言したと思われます。
[写真]民主党議員で衆議院厚生労働委員の三宅雪子さん、本人公式ホームページから。
佐々木さんは、「支えあう社会」という言葉が年金の最低機能強化法案から3党修正したのはどの政党かと質問しました。民主党の古本伸一郎さんに聞きました。古本さんは「違う」。公明党の西博義さんも「違う」と答弁しました。ここで、伊吹文明筆頭理事(自民党)から「西さんは実務者に入っていないよ」とヤジを飛ばしました。そのうえで、佐々木さんは「だったら自民党ですね」と質問すると、野田毅さんが支えあう社会という言葉は公助の意味合いが強く、「自助・共助・公助」の自民党の新綱領を入れ込んだ、と受け取れる答弁をしました。まるで、裁判の尋問のような質問でした。
3領域を4者(政府と民主党、自民党、公明党)に質問するので、質問者も能力が問われます。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
[写真]記名投票を前提に報道する、2012年6月21日のNHKニュース7
社会保障と税の一体改革については、勘違いした報道を国会議員が鵜呑みに、その国会議員の情報を報道が伝えるという恐ろしい状況が起きています。具体的には「3党実務者による修正協議」とは法案の修正協議なのだから、法案が出ていない「最低保障年金」「後期高齢者医療制度の廃止」を「撤回する」というのは極めておかしな話です。「修正協議」は法案の修正であり、自民党や公明党が民主党のマニフェストを修正するわけがない。それを理解しない民主党議員の未熟さを分かっていて、自民党や公明党は高めのボールを投げていることにまんまと食らいついてポップフライを上げているわけです。
筆者は日経新聞政治部記者出身なので、政治部記者が法案を読み込むという作業をしていないということが分かっているのですが、それでも恐怖心を覚えました。太平洋戦争に転落していった時期と重なるものがあります。
で、このエントリーはマスコミも小沢グループも鳩が豆鉄砲を食ったようになるだろうし、読者の中には恐怖心すら覚えるでしょうが、これが日本デモクラシーの現実です。
社会保障と税の一体改革法案の衆院本会議での採決について、小沢グループから造反者が出て、離党ないしは除籍、新党結成という観測報道があります。しかし、この報道には、「無知の涙」、各社政治部のデスクや与党キャップ、票読みに回る兵隊(記者)が決定的な勘違いをしています。
それは、「記名投票」(堂々巡り)を前提にしていることです。
例えば「ホテルでの会合には「確実に反対票を投じる議員が呼ばれた」とされ、結束は固い。」という表現が大手紙(ネット版)でありました。
本会議の表決(採決)は起立投票が基本です。衆議院規則第151条第1項は「議長が表決を採ろうとするときは、問題を可とする者を起立させ、起立者の多数を認定して、可否の結果を宣告する」としています。ですから、衆議院側の本会議では、起立採決が基本です。
そして同条第2項は「議長が起立者の多少を認定しがたいとき、又は議長の宣告に対し出席議員の5分の1以上から異議を申し立てたときは、議長は、記名投票で表決を採らなければならない」としています。
「起立者の多少を認定しがたいとき」は、民主党、自民党、公明党から150人程度の造反者が出た場合しか想定できません。
「出席議員の5分の1以上の異議」ですから、これは96議員以上の署名が必要です。現在反対票を投じると見られる政党は30~40議席です。仮に小沢グループが協力するなら、60人程度が署名しないといけません。が、これは本会議前に署名する必要があるので、表決前に離党するのが「筋を通す」ことになります。
ケージの前で格好良く青票(反対票)を掲げて参事に渡し、その後、離党して、新党参加という流れにはならないでしょう。
消費税法案が衆議院を通過した昭和63年11月16日の第113臨時国会本会議の議事録を調べてみましたが、このときも起立採決です。ただし野党第1党の日本社会党は欠席していた模様です。
[国会会議録検索システムから抜粋引用はじめ]
第113回国会 本会議 第16号
昭和六十三年十一月十六日(水曜日)
午前一時開議
(略)
─────────────
○本日の会議に付した案件
日程第十二 税制改革法案(内閣提出)
日程第十三 所得税法等の一部を改正する法律案(内閣提出)
日程第十四 消費税法案(内閣提出)
日程第十五 地方税法の一部を改正する法律案(内閣提出)
日程第十六 消費譲与税法案(内閣提出)
日程第十七 地方交付税法の一部を改正する法律案(内閣提出)
午後一時三十七分開議
○議長(原健三郎君) これより会議を開きます。
────◇─────
○自見庄三郎君 日程第一ないし第十一は延期されることを望みます。
○議長(原健三郎君) 自見庄三郎君の動議に御異議はございませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(原健三郎君) 御異議なしと認めます。よって、日程第一ないし第十一は延期するに決しました。
(略)
○議長(原健三郎君) 日程第十二、税制改革法案、日程第十三、所得税法等の一部を改正する法律案、日程第十四、消費税法案、日程第十五、地方税法の一部を改正する法律案、日程第十六、消費譲与税法案、日程第十七、地方交付税法の一部を改正する法律案、右六案を一括して議題といたします。
委員長の報告を求めます。税制問題等に関する調査特別委員会理事海部俊樹君。
〔海部俊樹君登壇〕
○海部俊樹君 ただいま議題となりました六法律案につきまして、税制問題等に関する調査特別委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
(略)
○議長(原健三郎君) 六案中、日程第十二、第十三及び第十五の三案に対しては、それぞれ渡辺美智雄君外一名から、成規により修正案が提出されております。
この際、修正案の趣旨弁明を許します。野田毅君。
〔野田毅君登壇〕
○野田毅君 ただいま議題となりました税制改革法案、所得税法等の一部を改正する法律案及び地方税法の一部を改正する法律案、以上三案に対する修正案につきまして、提出者を代表して、提案の趣旨とその内容を御説明申し上げます。
(略)
─────────────
○議長(原健三郎君) 質疑の通告があります。順次これを許します。
(略)
○議長(原健三郎君) これにて質疑は終局いたしました。
─────────────
○議長(原健三郎君) この際、国会法第五十七条の三の規定により、日程第十三に対する渡辺美智雄君外一名提出の修正案について、内閣の意見を聴取いたします。大蔵大臣宮澤喜一君。
〔国務大臣宮澤喜一君登壇〕
○国務大臣(宮澤喜一君) この修正案につきましては、政府といたしましては、諸般の事情に照らし、異存ございません。(拍手)
─────────────
○議長(原健三郎君) 討論の通告があります。順次これを許します。小谷輝二君。
〔小谷輝二君登壇〕
○小谷輝二君 私は、公明党・国民会議を代表いたしまして、ただいま議題となりました税制改革六法案に対して反対、修正部分に対して賛成の討論を行うものであります。(拍手)
(略)
○議長(原健三郎君) 羽田孜君。
〔羽田孜君登壇〕
○羽田孜君 私は、自由民主党を代表して、ただいま議題となりました税制改革関連六法案につき、賛成の意見を申し上げます。
(略)
○議長(原健三郎君) 米沢隆君。
〔米沢隆君登壇〕
○米沢隆君 私は、民社党・民主連合を代表し、ただいま議題となりました政府提案の税制改革関連六法案についての委員長報告に反対、公明、民社のそれぞれの修正合意にかかわる本会議修正案に賛成の立場から討論を行うものであります。
(略)
○議長(原健三郎君) これにて討論は終局いたしました。
─────────────
○議長(原健三郎君) これより採決に入ります。
まず、日程第十二に対する渡辺美智雄君外一名提出の修正案につき採決いたします。
渡辺美智雄君外一名提出の修正案に賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(原健三郎君) 起立多数。よって、渡辺美智雄君外一名提出の修正案は可決されました。
次に、ただいま議決されました部分を除く他の部分につき採決いたします。
この部分を委員長報告のとおり修正議決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(原健三郎君) 起立多数。よって、さきに議決された部分を除く他の部分は委員長報告のとおり修正議決いたしました。
次に、日程第十三に対する渡辺美智雄君外一名提出の修正案につき採決いたします。
渡辺美智雄君外一名提出の修正案に賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(原健三郎君) 起立多数。よって、渡辺美智雄君外一名提出の修正案は可決されました。
次に、ただいま議決されました部分を除く他の部分につき採決いたします。
この部分を委員長報告のとおり修正議決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(原健三郎君) 起立多数。よって、さきに議決された部分を除く他の部分は委員長報告のとおり修正議決いたしました。
なお、ただいまの議決の結果、附則中に条項の整理を要するものがありますので、衆議院規則第百二十条により、この整理を議長に一任されたいと思います。これに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(原健三郎君) 起立多数。よって、そのとおり決しました。
次に、日程第十四につき採決いたします。
本案の委員長の報告は修正であります。本案を委員長報告のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(原健三郎君) 起立多数。よって、本案は委員長報告のとおり決しました。
次に、日程第十五に対する渡辺美智雄君外一名提出の修正案につき採決いたします。
渡辺美智雄君外一名提出の修正案に賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(原健三郎君) 起立多数。よって、渡辺美智雄君外一名提出の修正案は可決されました。
次に、ただいま議決されました部分を除く他の部分につき採決いたします。
この部分を委員長報告のとおり修正議決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(原健三郎君) 起立多数。よって、さきに議決された部分を除く他の部分は委員長報告のとおり修正議決いたしました。
次に、日程第十六及び第十七の両案を一括して採決いたします。
両案の委員長の報告はいずれも可決であります。両案を委員長報告のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。
〔賛成者起立〕
○議長(原健三郎君) 起立多数。よって、両案とも委員長報告のとおり可決いたしました。(拍手)
────◇─────
○議長(原健三郎君) 本日は、これにて散会いたします。
午後三時二十九分散会
[引用抜粋おわり]
このように、消費税を導入したときですら、起立採決です。
政治部記者と小沢グループは水をかぶって頭を冷やした上で、延長会期末までに予想される内閣不信任案採決まで、「新・国会事典 第2版」(浅野一郎・河野久著)を読んでおいた方がいいですね。のたれ死にしますよ。
情けない!
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
政府は、社会保障と税の一体改革関連7法案のうち「総合こども園法案(180閣法76号)」を撤回する方針を固めました。技術的には衆・社会保障と税の一体改革に関する特別委員会(中野寛成委員長)が会期末まで採決せず、廃案となる見通し。代わりに、議員立法の「認定こども園法改正案」が成立するはこび。
これに先立ち、民主党、自民党、公明党の衆議院3党は、
社会保障制度改革推進法案(180衆法24号)
と
認定こども園法「就学前の子どもに関する教育、保育などの総合的な提供を推進する法」の改正案(180閣法25号)
を提出しました。法案の発議者には、長妻昭・社会保障と税の一体改革関連法案修正協議社会保障分科会実務者代理が名を連ねました。
小宮山洋子内閣府少子化担当大臣は5月10日の本会議で「子供は、社会の希望、未来をつくる力であり、安心して子供を産み育てることのできる社会の実現は、社会全体で取り組まなければならない最重要の課題の一つです。」としたうえで、「子ども・子育て支援法と総合こども園法の施行に伴い、就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律を廃止する」と演説しました。
この、 「就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律を廃止する」のを止めて、「改正する」にしたのが、長妻昭さんらが提出した衆法です。
これは、認定こども園法を小渕報告に基づいて、補助金の統合や保護者への給付(実質的にバウチャー)で現行制度を修正するというのが、長妻さんの考え方です。児童福祉法24条の「市町村の保育の最終責任」も表現は変えながら残りました。「保育に欠ける子」から「保育が必要な子」になりましたので、拡充なのかもしれません。新法と法案の議員修正は委員会で審議されますので、与野党とも質問してほしいところです。
小渕報告は自民党麻生内閣の小渕優子・内閣府少子化担当大臣がまとめた認定こども園の修正案です。認定こども園を認定するのは市町村長ですが、市町村長は政治家なので、支持者に幼稚園経営者、保育所経営者がいる場合があり、認定こども園に慎重な姿勢をとる首長が多く、これまで移行が遅れてきました。このため、定員割れしている幼稚園が保育に進出できなかったりして、待機児童対策が遅れています。
関連エントリー)
村木厚子さん「小渕報告が出発点」子ども子育て新システムは自公案が基との認識を答弁
「育児休業中の大学院進学のため事業所内保育所の整備を」 山内康一さん(38)
保育の最終責任者はだれ? 児童福祉法24条改正で答弁混乱 岡田副総理、法制局長官を叱責
◎幼保一元化の「子ども子育てシステム法案」審議入り 一体改革 第2の郵政法案か?
2009年3月と言えば、長妻さんは「年金王子」と呼ばれていたころ。あのときの長妻さんに「現行法を修正する」という考え方があったでしょうか。なかったと思います。それが責任与党政治家としての長妻昭さんの挫折であり、成長だと考えます。
いわば、自民党政権の法律を父とあおぎ、父から子へ、子から孫へと受け継いでいく。それが国家であり、社会保障と税の一体改革です。
これは日経新聞木曜夕刊の政界面に載った長妻さんとお父さんの写真です。日経新聞の政界面が日曜朝刊に移動したことはみなさんよくご存じのことと拝察します。乱闘国会の警備を経験したこともある警察官だった長妻さんのお父さんは警視庁世田谷警察署長を務めました。今も長妻さんは立派なお父さんと住むために、郷里(選挙区外)である練馬区に住んでいます。
野田佳彦総理のお父さんは国家公務員で自衛官でした。野田さんも長妻さんと同様に、お父さんの近くに家があります。地方公務員や国家公務員は大変だなと思いますが、優しく立派な子を持てて幸せだと思います。いや、親が子を育てたんだから、立派なのは親の方です。それこそ、いわばもっとも安心・安定の年金です。
国家公務員ということでは、小宮山洋子さんのお父さんは元東京大学総長の加藤一郎さん。ちなみに小宮山さんは生まれたときも、今も「加藤洋子さん」が本名です。加藤一郎さんは私立の成城学園長を務めて、4年前に亡くなっています。
地方公務員では、安住淳財務大臣のお父さんは、石巻で中学校・小学校の校長先生や町長さんをやりました。そして、昨年、多くの仲間から半年遅れで、海に帰りました。
岡田克也副総理・一体改革担当大臣のお父さんは、イオン創業者の岡田卓也さん。岡田卓也さんは四日市商工会議所の新年賀詞交換会で、「私も歳ですから、こうやってみなさんの前にあいさつするのも今年が最後になるかと思います」と切り出すあいさつをここ数年続けているそうです。毎年必ずこのフレーズが入るようですから、ある意味、笑点の歌丸さんのようです。やはり太平洋戦争従軍(鹿島灘に塹壕を掘っていた)後は、ずっと民間人一筋の方は長生きということになるのでしょうか。岡田克也さんは59年の人生で、おばあさんを100歳で亡くしたこと以外には、近親者の臨終に立ちあった経験はないようで、そのため、つっけんどんなところがあるようです。
で、私のことをよく知っているなと思った方は、そこに重大なイメージギャップがあることをよく理解して下さい。例えば、小渕優子さん、小泉進次郎さん、安倍晋三さん、福田康夫さんらの父は思い浮かぶ人は多いでしょう。それはこの自民党議員たちが二世議員だからです。一方、民主党幹部は二世議員が少ないので、親のことをあまり知らないというだけのことです。そういう政党の構造そのものを理解せずに感情的に投票行動を決めると損をするのは自分自身です。
3党協議を談合といわず、それが政権交代可能な2つの政党が存在しているかをつねにチェックすべきです。それならば、民主党が下野して、自民党が政権を担う機能はきょう時点で確保されています。だから、衆参ねじれを突破するために、3党協議で一体改革を実現し、延長国会で3党協議で特例公債法と補正予算を成立させることは当然のことです。
6月5日の一体改革特別委員会で次のようなやりとりがありました。
篠原孝委員は「立派なおばあちゃんを持っていると、孫も立派になりますね。ちゃんと子育てを手伝っているんですね」として、「私は純農村で生まれました。母親は農家の主婦です。幼稚園とか保育園は行ったことがありません」とし、「季節保育園というのが公民館でできたんです。私が小学校一年になったとき。一つ違いの弟が保育園に行っていました」としました。
明治23年に新潟県で赤沢鐘美・仲子夫妻が経営する「静修学校」が授業が終わるまで生徒が連れてくるより子どもを預かったことが日本における保育所の始まりです。子どもがより小さい弟妹をつれてくるわけで、当然にして、親は子どもを連れていく余裕すらない貧困者です。同じく明治23年のに筧雄平が鳥取県に農繁期保育所をつくり、一気に全国的に広がりました。これが都会にも広まり、明治27年には東京紡績に企業内託児所ができ、明治33年には鐘淵紡績(カネボウ)などがどんどんつくっていきました。
一方明治9年に、お茶の水女子大学が附属幼稚園をつくっています。こちらは、園児をつれてくるお手伝いさん用の待合室がありました。
このように保育所の「親」と幼稚園の「親」もまた大きく違います。当然にして、幼保一体化は民主党政権の方が自民党政権よりも前に進める力があります。それが「(法案の)修正協議」であり、それが一体改革です。
篠原さんの質問に対して、川端達夫総務大臣は次のように答えました。
「この前、ある助産師さんとお話をする機会が、ベテランの方なんですが、そうしたときに、子育て、こども園とか、いろいろな部分の制度は非常に大事なことだけれども、お母さんが、一人産んで、二人目を産むときに非常に悩みを抱えているというふうなことが多いというときの心のケアとか、そういうことというのもぜひとももっと力を入れてほしいという、今、要するに子育てノイローゼとかたくさんあります、そういう意味でいったときに、何か建物とか制度とか手当とかいうことと違う切り口の議論が少し平板というか薄くなっているのではないかという話を、この前地元に帰ったときにしていました」
その上で、
「今、先生が言われた部分も、やはり、心のあり方というか社会のあり方の根幹にかかわる物の考え方だと思うんですね。非常に手前みそな話をいたしますと、私は近江商人の末裔なんですけれども、近江商人というのは、質素倹約とか誠心誠意とかいうことの普通の家訓以外に、三方よしということを言っているのです。売ってよし。もうけなければ商売にならないから、売ってよし。買ってよし。買った人は、いいものをいい値段で手に入れたということで、よかったと。普通それで終わりなんですけれども、そして、世間よし。
いわゆる地域社会というものと自分たちの商売のかかわりというものを考えたということで、そこの部分がどうも最近希薄になっていることは大変私も感じておりますので、先生がおっしゃるようなそういう議論は、いきなり制度がどうかということではない、教育の問題とか社会のあり方とかいうことは、実は非常に力を入れて政治の世界で議論すべき課題だというふうに私は感じております」
三方(さんぽう)よし。
売ってよし。買ってよし。そして世間よし。
売り手も買い手もよし。でもそれだけでない。取引だけではない。自分たちの商売がどうやって成立しているのか。世間よし。社会ではない。世間です。言ってみれば、民主党は社会を知っているけど、世間をしらない。自民党は世間を知っているけど、社会を知らない。そのためには、民主党議員も世間を知る。世間よし。世間体の善し悪しということを肌身で感じなければならない。
そういう意味では与党になった長妻さんは世間を知るようになったのではないでしょうか。
例えば、父親が蒸発したショックをバネに東京大学に進学し、政治家になって、厚生労働委員をしているような人は、自民党にはいないでしょうが、民主党にはいます。そういう人間が、苦労は知っていても世間知らずの仲間を「拉致」して、一体改革に反対するようしむけてはいけません。東京大学では見逃しても、世間は見逃してくれません。 人生経験のある有権者は、人生経験の少ない国会議員を諭すことも大事なことです。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
第180回通常国会は2012年6月21日(木)までの会期を79日間延長し、2012年9月8日(土)までとなりました。
会期は229日間で、昨年の第177通常国会(震災国会)の220日間を上回ることになりました。
民主党の城島光力・国対委員長が自民党、公明党などに伝えました。会期の延長は1回までで、衆議院の優越規定があるので、衆議院多数派である民主党の方針が国会の議決となります。
通常国会の会期が229日間となるのは、鈴木善幸内閣の第96回通常国会の244日間に次ぎます。第3次吉田茂内閣の第13回通常国会は235日間でしたが、これは5回にわたって五月雨式に延長したもので、国会法改正につながりました。ただし、第96回通常国会も年末召集で1ヶ月近い「自然休会」があった時期です。議会制度百年史(衆議院・参議院編)の「国会史(下)」によると、第96回国会は12月21日召集で、22日に院の構成を終えて自然休会。翌年1月25日に開会式、政府4演説をしていますから33日間の自然休会がありました。
ですから第96回通常国会は244日間の会期でも自然休会を除くと211日間でした。第180通常国会の229日間は実質、最長の通常国会といえそうです。最長の国会は第2次田中角栄内閣の第71回特別国会の280日間。
関連エントリ)
2011年 第177通常国会(衆参ねじれ震災、菅内閣・岡田幹事長) 70日間延長決定 第177通常国会は2011年8月31日(水)まで 220日間は国会史上5番目の長さ
2010年 第174通常国会(鳩山・小沢政治不信国会) 第174通常国会が閉会(延長なし)
2009年 第171通常国会(追い込まれ解散、麻生内閣) 55日間延長で任期満了総選挙は「8月11日公示23日投開票」
2008年 第169通常国会(ガソリン、福田内閣) 第169通常国会6日間延長、6月21日が会期末
延長国会は、社会保障と税の一体改革修正法案(民自公提出)と平成24年度特例公債法案、改正区割り審設置法・公職選挙法の成立が必須。このため、日本国憲法60条にもとづく「衆院で可決した法案を参院で否決した場合に参院送付後60日後以降に衆院の3分の2以上で再議決すれば法律として成立する」という60日ルールを会期内に使うためには、7月11日(水)までの衆院本会議での可決が必要になります。
政府・与党首脳は一体改革を確実に成立させる意思を示したと受け取れます。直近の民意である衆参ねじれのもと、小沢グループ(小沢一郎会長)と参議院自民党(中曽根弘文会長)の妨害により法案審査が大きく遅れています。責任政党と有権者はは力強く、この国会で小沢グループを成敗しなければいけません。
延長国会は同時に「議連方式」による全会一致での議員立法のチャンスにもなります。今国会は閣法の成立率は最低ですが、衆参ねじれの下、委員長提出の衆法、参法の成立件数は多い状況にあります。
内閣法制局のホームページによると、今国会召集後の新規提出法案は閣法が82本で21本が成立。前国会以前に提出した継続審査法案は23本中3本成立。衆法・参法は新規提出50本のうち11本が成立しています。閣法24本に対して、衆法・参法が11本成立しているのは対比としては異例。衆参ねじれの熟議のもと、議員立法が増えています。小沢グループも、口だけでなく、法案を出したらいかがでしょうか。
府省によっては、事務次官など幹部級職員の人事異動が9月にずれこむ可能性があります。
小沢グループにより、労多けれど実少ない国会になって、とても残念です。
衆議院が解散された場合のみ、9月8日より早く会期は終了します。
その辺のことは、今後の政治日程でお伝えしていきます。
野田さんは信じた道を一歩一歩前に前に進むしかありません。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
【2012年6月18日(月)19日(火) 参・環境委員会】
平成24年度予算ですでに歳出(予算執行が可能な限度額)が盛り込まれている「環境省原子力規制庁」(当初・原子力安全庁の名称が民主党内手続きで改称)の法案。政府案の「環境省設置法改正案」と自民党の塩崎恭久さんらの衆法「原子力安全委員会設置法案」を3党修正して「原子力規制委員会設置法案」(180衆法19号)となり、衆院を通過し、参院に送付されています。
3党合意を反映した法案は、衆議院環境委員長提出法案となっているので、生方幸夫(うぶかた・ゆきお)さんが参議院環境委員会に出向いて答弁しています。東京生まれで千葉6区(松戸市など)選出の生方さんは、ご存じの通り、小沢一郎幹事長に物を申した民主党らしからぬ正義漢。
その生方さんですが、参議院環境委員会では再三再四叱られました。
原子力行政に関してはナーバスになっている方が多いので、あまり笑い話にもできませんが、生方さんは法案の趣旨説明の後、どういうわけか、委員会室からたびたび外出してしまいました。
[画像]趣旨説明する法案提出者の衆議院環境委員長の生方幸夫さん、参議院環境委員会、2012年6月18日、参議院インターネット審議中継からキャプチャ。
生方さんの他にも、民主党の近藤昭一さん、大谷信盛さん、横山北斗さん、自民党の吉野正芳さん、田中和徳さん、公明党の江田康幸さんらの各衆院議員も提出者として答弁に当たりましたが、やはり委員長の指名が多くなります。
公明党の加藤修一さん(全国比例、任期は来夏まで)は、「(法案)提出者である(衆議院)環境委員長が(今)いないというのは、参議院の軽視だし、相当重い法案なので、そういう行動はとらないでほしい。委員長がいないことに抗議します」と語りました。
みんなの党の参院国対委員長の武闘派議員、水野賢一さん(千葉選挙区、2016年改選)から、法案の参院送付が遅いと指摘された生方さんは、「法案の付託は(参議院の)議院運営委員会の考えだ」とすると、議運理事でもある水野さんは「あなたは付託をするのではないが、提出者なんだから、もっと早く送付しないといけない」とまくし立てられると、生方さんは「会期が22日まで、いや21日までとなっていますから」としどろもどろ。次に与党である「新党大地・真民主」の参院議員、平山誠さん(全国比例で旧・新党日本の名簿で繰り上げ当選して民主党を離党、来夏改選)からは「提出者は何も言わずに(委員会室から)出ていかないでくださいよ」と怒鳴られました。
2日目となる19日の審議。環境委員会は20人しかいないので、各党とも同じ顔ぶれが質問しました。
加藤修一さんは前日の審議を経て、質問の冒頭でペーパーを見ながら、「5つのお願い」をしました。まず「審議のあり方に不満があります」として「審議中に法案提出者の(衆議院)環境委員長がいない。参議院軽視ともいえ、このような無様な委員会審議にならないよう、衆議院に猛省を求めます」としました。これを受けて、自民党の松村祥史(まつむら・よしふみ)参議院環境委員長は「加藤委員のご指摘はごもっともだと思う」と応じました。
この後は、さすがに生方さんは委員会室に長くとどまったようです。
一方、法案の趣旨説明で、「(東京電力福島第一原子力発電所の)事故により、国内外の信頼が大きく損なわれ、信頼を回復するためにも、行政の体系を見直す必要がある」と述べたことについて、公明党の加藤さんは「違和感がある」と指摘しました。これは、与党議員でありながら、当事者意識が薄いことを批判したものと思われます。
同じく2日間、答弁者席に座ってた細野豪志環境大臣(兼)原子力事故の再発防止担当大臣が、原子力規制委員会の職員のノーリターン・ルール(採用府省に戻らない人事)について、「1人1人の人生がかかっていますので」と繰り返し言及したところに、実際に部下を持つようになって1年経つ細野さんの責任感との違いが際だった感じがします。
「王様は裸だ」と言った生方さんにはがんばって欲しいです。生方さんの対抗馬である、自民党千葉6区支部長の渡辺博道さんを赤坂で見かけたことがあります。平成研の先輩議員である閣僚経験者と2人で食事をしていたようで、赤坂議員宿舎方面に帰る閣僚経験者が肩を叩いて去っていきました。帰りの松戸方面まで乗り入れている地下鉄で偶然渡辺さんと同じ車両になりましたが、「ようし、捲土重来してやるぞ」という表情をしていました。 帰ってから議員要覧をみたら、当選4回の61歳ですから、国政復帰し、党が政権奪還すれば閣僚も視野に入ってきます。松戸市役所職員から県議を経て、国会議員になったたたき上げのようです。最近の自民党では市役所職員から地方議員を経てたたき上げてきた人が多い傾向にあります。
ぜひ、生方さんも、与党に必要な一言居士、政策調査会復活という役割を果たしたことを有権者の方が判断できるように、一定の土台をしっかり残してもらわないと、私も困ります。
これじゃ困りますね。こんなことでは、生方さんは小沢グループにクラス替えです。
原子力規制委員会設置法案は18日、19日の2日間の質問を経ても終局せず、20日以降も質疑あるようで、やはり重要法案だし、一体改革に一意専心してきたけど、こういう深刻な問題に刮目しないといけないと感じました。高嶋良充筆頭総括副幹事長(参院議員、自治労出身、引退)が小沢一郎幹事長を批判したかどで、生方副幹事長解任騒動なんてやっていた平和な時代が懐かしいけど、歴史は後戻りできません。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
【参院内閣委員会 2012年6月19日(火)】
参院内閣委員会は「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律の改正案」(180閣法46号、参院先議)の参考人質疑を行いました。
参考人として、北橋健治・北九州市長が久しぶりに国会に登場。北橋さんは1986年の衆参ダブル選挙で初当選してから、7回連続当選しましたが、郵政選挙後に北九州市長に転じました。
北橋さんは「国会議員の先生方にお話しする機会を得られて感謝します」として、全国の26ある指定暴力団のうち、福岡県内に5つの暴力団の本部があり、暴力団員による発砲件数は毎年全国ワーストで有里続けていると説明。そのうえで、経済界のリーダーに手榴弾が投げ込まれる事件があり、自治体、警察、経済界などが協議して、国に対して暴力団対策法の改正を要望したり、地域でパトロールしたりしている実態を陳述しました。
その上で、「私のまちに本部を置く指定暴力団」として、工藤会の名指しを避けながらも、特徴として「自分たちの意に沿わない者は殺傷もいとわず、市民からはテロ集団と呼ばれている」と強く批判しました。
工藤会に関しては、前警察庁長官が北九州市に乗り込み、「警察庁は工藤会を撲滅する」とテレビカメラの前で宣言するなど、警察庁の協力も大きいものと感じます。
北橋さんは兵庫県の高級住宅地の出身で、北九州は、同盟系労組が強いことから落下傘候補として1986年の衆参ダブル選挙で民社党公認で初出馬初当選して以来、7回連続当選。郵政選挙の敗退を党幹部として共有している時期に突如、北九州市長に転じて驚きました。北九州経済地帯に強い影響力を持つ、麻生太郎さん(後に首相)がつれてきた国交省幹部職員を大差で破り当選。2回目は、民自公相乗りで当選しました。
北橋さんは北九州のことを「私のまち」と呼び、トップリーダーとして危険もいとわぬ、強い姿勢を感じさせました。 国対委員長代理、政調会長代理、幹事長代理と「スーパーサブ」と呼ばれ、「未来の官房長官」と呼ばれた衆議院議員時代と違い、強いリーダーのあり方を感じました。
[写真]芝博一・参議院内閣委員長
参議院内閣委員会は、「新型インフルエンザ対策特措法(180閣法58号、平成24年法律31号)」の審議で、衆院にはなかった参考人質疑で、医師など専門家の意見を聞いたり、同委員会に議席を持たない新党改革の舛添要一代表の「委員外質問」を認めて、パンデミック発生時に厚生労働大臣としての経験を交えた質問を受け付けるなど、第180通常国会で、独特の存在感を発揮。芝博一(しば・ひろかず)委員長の名裁きが目立っています。
北橋市長は衆議院議員時代のようにメガネをかけていないこともあり、少し印象が違ったような感じがしなくもありませんが、気のせいでしょう。北橋市長にはたびたび、脅迫状が送りつけられています。日本国民全員の力で勇気あるトップリーダーを守りましょう。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
【衆議院社会保障と税の一体改革に関する特別委員会 2012年5月31日(木)】
会期末ということもあり、昨日はやや久しぶりに有名誌の取材を受けました。各社経費節減を徹底しているようですが、よろしくお願いします。ありがとうございます。
さて、一体改革特別委員会(中野寛成委員長)の5月31日、石川2区(小松市など)比例の田中美絵子さんが「第一委員室デビュー」(TV中継無し)を果たしました。田中さんは、昨年末の民主党選挙区情勢調査で、ライバルの森喜朗さんに「勝るとも劣らず」。巷間噂があるように、森さんから、義理の息子の岡田直樹・参議院国土交通委員長にバトンタッチすれば、「世襲批判」で、金星もあるのではないかと党選対は期待しています。
小沢グループにもかかわらず、一体改革特別委員に抜擢された田中さんが大物ぶりを見せました。
田中さんは、地元周りの中で吸い上げた要望を早口で詰め込みました。社会保障と税の一体改革関連法案の質問としてやや方向性が違う面もあったかもしれませんが、とにかく地元を回っていることはよく分かります。こういうのは、地元を回っていないのに、国会に来て地元を回っているふりをしている議員というのは、見る者によると、バレバレです。この3年間、「衆議院議員」の名刺で、お礼参りや新規開拓をしていなかった人が3度目の会期末を迎えて、あわてて回り出しても見苦しいだけです。バレバレです。
田中さんは地元巡りの蓄積が度胸につながるのか、最後にひと言、質問通告なしで次のような質問をしました。
「それでは、通告しておりませんが、岡田副総理にお伺いをさせていただきたいと思います。申しわけございません。岡田副総理の御実家は大手のスーパーを経営されているというふうに思います。今回の消費税の増税は、家計に大変大きな負担感を与えるものではないかと思うところでございます。そんな中、岡田家では、お子さんがお二人いらっしゃって、奥様もいらっしゃるということでございますけれども、奥様は消費税についてどのようにお考えなのか、もし御家庭内でそういった家族の会話がございましたら、教えていただきたいと思います」
このように、大手のスーパーということで、「イオングループ」という固有名詞は言いませんでした。岡田家ではお子さんが2人いてと言っていますが、実際には3人です。
副総理(兼)一体改革担当大臣の岡田克也さんは次のように答弁しました。
「私は、野田総理とともに、この社会保障・税一体改革を必ず実現するということで頑張っておりますが、それを一生懸命サポートしてくれていますので、同じ考えだと思います」
岡田さんは政権交代直後に鳩山由紀夫代表から幹事長解任という屈辱を受け、1年1日間、外相をしました。その後、菅直人総理・代表から幹事長就任を要請された際は「外務省の人には申し訳ないねえ」「これも天命なのかな」と発言しました。が、奥さんからは「なんか外務大臣になったときに、(幹事長を外されたと)ずいぶん憤慨していたじゃない」と言われたと明かしています。そして、「そういうこともあったかな、と思い出しただけです。私は仕事をやると全力でやりますので、いったん始めると次に入るというのは抵抗があります。もう少ししっかりやりたい、という傾向があるのかな、と思った次第です」「そういうこともあったのかな、と。また振り出しに戻ったような感じですよ、(政権交代した)1年前の」(岡田克也さん、幹事長就任会見で“内助の功”を認める)と語っています。もちろん、岡田さんが思った以上に、第45期衆議院第21期・第22期参議院の「衆参ねじれ」だけど「衆院で3分の2数がない」という「憲法(59条など)が想定していない憲政の隙間」は深刻。岡田克也さん、玄葉光一郎さん、安住淳さんらがつくった3党協議体制も、マスコミどころか身内議員もいまだに理解できないという泥沼。鳩山総理・代表の岡田幹事長解任事件は、取り返しのつかない大失敗だったことになります。
ところで、4月からNHKの連ドラで堀北真希さん主演の「梅ちゃん先生」を放送しています。 オープニングで「協力 東京女子医科大学」というクレジットが出ています。私も東京女子医科大学病院、ただし私なんかは「附属第二病院」ですが、この世に生を受けた縁のあるところなので、毎朝、頑張ろうという気になります。
岡田さんの答弁に面食らった田中さんも、代議士として懸命に言い返しました。
「子供たちの瞳が輝く社会、年金や介護など老後の安心な社会、そうした暮らしやすい日本の国づくりに社会保障と税の一体改革法案が大いに貢献することを祈念いたしまして、私の質疑を終わらせていただきます。ありがとうございました」
田中美絵子さんも志のある政治家だということが分かります。一川保夫後援会に乗っているという選挙区事情、元上司の河村たかし応援弁士の関係上、小沢グループ・小沢ガールズの田中美絵子さんですが、本人は小沢卒業を望んでいます。政治家として独り立ちする会期末と第46回衆院選。
岡田さんは政権交代直後の幹事長記者会見で、田中さんの週刊誌報道について「本人が説明する問題だ」と発言しました。これは、議員数が倍増し初の政権政党になった民主党の責任と田中議員の責任を分離してあげたもので、突き放しているようで、実は田中議員の重荷を軽くしている、岡田流やさしさ自由主義によるものです。それは今でも変わりません。
頑張れ!
[衆議院会議録から引用はじめ]
第12号 平成24年5月31日(木曜日)
会議録本文へ
平成二十四年五月三十一日(木曜日)
午前九時四分開議
(中略)
次に、田中美絵子さん。
○田中(美)委員 民主党・無所属クラブの田中美絵子でございます。
本日は、質問の機会をいただきまして、本当にありがとうございます。
社会保障と税の一体改革法案につきまして、私も、最近地元を回っておりまして、進めてほしいという声と、そうではない声、両方伺っているわけでございます。国民の皆さんには改革の内容がまだ十分御理解いただいていないというふうに私も思っております。
そこで、本日は、この社会保障と税の一体改革関連法案による改革の内容、そして関連する事柄について幾つか質疑をさせていただきたいと思います。
まず、地元の皆様から一日も早く実現してほしいという御要望をいただいておりますのが、学童保育の充実でございます。
私は、厚生労働委員会の委員、そして学童保育の議連のメンバーということもございまして、地元の学童保育をおよそ三十カ所程度回らせていただきまして、さまざまな御意見を伺ってまいりました。本当に、子供たちが元気にされている姿を見て大変感激もいたしましたが、一方で、保護者やまた指導員の皆様方が大変な御苦労をされているということも実感をしたわけでございます。
そんな中で、今回の児童福祉法改正による学童保育の充実は、一日も早く実現してほしいと皆さん方も心待ちにしていただいているところでございます。ただ、いつから実現するのかということになった場合、消費税が上がってからですよといったお答えをしますと、やはり皆様方は、二年間も待てないといったことをおっしゃるわけでございます。学童保育は、一般的には小学校一年生から三年生が通っておりますので、改革の恩恵を受けられるのは小学校一年生だけだというふうに思います。
何かサービスを買うときには、サービスと同時にお金を払うならいいんですが、お金を先に払ってください、サービスは後ですということだと、お金を払うのにはもちろん抵抗があるわけでございます。消費税も、増税後にどんなふうに生活がよくなるのか体験していただく、これが御理解を得るのに大変重要なことだと思うところでございます。
そこで、学童保育を例にとって、何か消費税増税前から改善できるところはないかということをお伺いしたいと思います。
まず、現在、お手元の資料一ページのように、十人未満の小規模学童保育、これは国の補助制度の対象とならない学童保育でございますが、市町村が行う支援事業は、地方交付税のうち特別交付税で国、総務省からお金が出されております。全体の金額は四億四千万ほどでございますが、各都道府県の市町村の実施状況を都道府県別に集計した金額を見ますと、富山県の一億円から広島、新潟の二千万円、そして沖縄県のゼロ円まで、かなりのばらつきがあるわけでございます。
学童保育をつくるときに、最初からたくさんのお子さんを集めるのは難しい場合もあります。小さく産んで大きく育てるということで、厚生労働省のホームページの活用も含めて、この特別交付税制度の市町村そして学童保育関係者への周知を図り、まずは小規模学童保育から量的、質的な拡充策をとっていただけないかと思いますが、厚生労働大臣、いかがでしょうか。
ちなみに、大臣はこの特別交付税制度を御存じだったでしょうか。
○小宮山国務大臣 この学童保育の問題というのは、私も自分の経験もございましたし、ガイドラインづくりなど、私自身もいろいろ努力をしてきたところで、もちろん、この制度があることは知っています。
今回、新システムの中にきちんと盛り込んでいますけれども、おっしゃるように、その前からできること、今もできることとして、その十人未満の放課後児童クラブに、今御紹介があったように、国庫補助要件を満たさない、小規模なところを支援するための特別交付税が交付をされています。ただ、全国ばらつきがあるということも事実ですので、自治体とか関係者の皆様に、いろいろな機会を捉えて周知に努めていきたいというふうに思います。
○田中(美)委員 ありがとうございました。
また、学童保育では、都道府県の単独事業で、いわば都道府県の持ち出しで国庫補助対象外のクラブへの補助ですとか国庫補助の上乗せを行っている事例が、調査していただいたところ、二十九都道府県ございます。資料の二ページ目でございます。
これもかなりばらつきがございます。国庫補助対象外のクラブへの運営費補助を見ますと、鳥取県が一億九千万円で一番多く、国庫補助対象クラブへの上乗せ補助では東京都が十一億円という数字もございます。全体の金額は十七億円ほどでございますが、東京都の十一億円は、地方交付税不交付団体でございますから、それを除くと六億円でございます。この県などの単独事業を地方交付税で支援すれば、もっと多くの自治体がいろいろな事業を行えるようになると思います。六億円くらいのお話だと思います。
消費税が上がるまでの間で結構でございますので、厚生労働大臣、総務大臣に、地方交付税で支援していただけないかと頼んでみていただけないでしょうか。
○小宮山国務大臣 放課後児童クラブに対する地方単独の支援につきましては、二十九都道府県で国庫補助に対する上乗せなど十七億円を補助していると承知をしています。
これに対する国の支援につきましては、国庫補助のあり方とあわせて、地方自治体の実情をよく伺いながら、総務省初め関係府省と連携をして検討していきたいと思います。
○田中(美)委員 ありがとうございました。
学童保育は、大変厳しい財政状況の中で、保護者の皆さん方が中心となって運営をされているわけでございます。その中の指導員の皆さんも、平均三年未満で収入の面からやめてしまうといったケースもあるというふうに伺っております。ぜひ国の手厚い支援をお願いしたいと思うところでございます。
それでは、消費税本体のお話を少しさせていただきます。
学童保育の量的拡充には、消費税で百億円を手当てすると伺っております。また、消費税収のうち七千億円が子育て関係に充てられるとも伺っております。他方、消費税を上げると、物価が上がり、景気が後退して、全体の国税収入や十三・五兆円という消費税収そのものが減ってしまうと指摘されている方もいらっしゃいます。
そこで、素朴な疑問ですが、消費税を上げた後、景気が悪くなり、全体の国税収入や十三・五兆円と予定されている消費税収が減ってしまった場合でも、子育て関係の七千億円とか社会保障改革メニューには予定どおりの予算がつくのでしょうか、それとも削られてしまうのでしょうか、予算は削らず国債の発行でしのぐのでしょうか。岡田副総理、お答え願いたいと思います。
○岡田国務大臣 まず、経済への影響ですけれども、普通に考えれば、そう大きくはないというふうに考えております。これは、前回の橋本政権のときにはかなりの影響があったことは事実で、私も、野党のときにそのことについて国会で取り上げたことを思い出します。
ただ、後から考えてみると、数字的には消費はそんなに減っていないんですね。統計上は後からこれは出てくるわけですけれども。むしろ、やはり全体の経済規模が、不良債権の存在などによって全体の貸し渋りなどがあった、そのことによって経済が縮んだということが、消費税収にももちろん、全体の税収にも影響したということであります。
基本的に、いずれにしても、それは後からわかることでありまして、消費税収が減る、減らないということも事後的にわかることで、そのことによって当初予定した予算がすぐに変わる、こういうことはございません。
○田中(美)委員 ありがとうございました。
一応、念のためですが、消費税と景気の関係についてお伺いいたします。
消費税を上げると物価は何%上がると予想いたしておりますか。また、その物価上昇だけ捉えると景気への影響はどう出ますか。経済財政担当大臣、お答え願います。
○古川国務大臣 お答えいたします。
消費税率の引き上げ前後には、駆け込み需要及びその反動減による影響が見込まれるものの、引き上げ前後の期間をならしてみると、成長率については、消費税率の引き上げがない場合と大きな差はないというふうに考えられます。
内閣府で経済財政の中長期試算をしてみましたが、消費税率引き上げ前後に当たります二〇一三年から一六年度におきまして、消費税率の引き上げを含む一体改革を考慮した場合と考慮しない場合について比べますと、消費者物価上昇率は年平均〇・九%程度の差が生じるのに対しまして、経済への影響については、実質GDP成長率について見ると、年平均〇・一%程度の差が生じる程度というふうに試算をいたしております。
○田中(美)委員 ありがとうございました。
社会保障改革を実現するには、景気対策を頑張って消費税収を確保しなければならないということはよくわかりました。
そこで、景気対策ですが、財政出動するのは本末転倒ですし、規制緩和は効果が出てくるのに何年かかかると言われております。金融の緩和が大切だと思います。日銀にもっと金融緩和してもらえるよう政府としてメッセージを発していただけないでしょうか。
総理が一生懸命景気対策を頑張ると国会で表明されておりますが、日銀がそれと連携して金融政策を行うという姿勢を見せてもらわないと、総理の決意も説得力を欠いてしまうと思います。岡田副総理の御決意を伺いたいと思います。
○岡田国務大臣 突然の御指名だったんですけれども、基本的に、日銀と政府の関係はきちんとコミュニケーションができている。これは、総理と日銀総裁の間、私も総裁と時々お話をすることはありますが、もちろん、財務大臣や古川大臣との間も含めて、コミュニケーションできております。基本的認識も変わりません。
ただ、もちろん、それぞれの役割というものがありますから、その独立性をきちんと担保しつつ、お互いに共通の問題意識を持って、共通の目標に向かってそれぞれの役割を果たすということで、私は、現時点ではかなりうまくいっているというふうに思いますし、これからもそこにそごが出ないようにしっかりとやってまいりたいと思います。
○田中(美)委員 景気対策をしっかりとっていただいて、税収が期待どおり上がってくるのを期待したいと思います。
では、消費税との関連で、介護保険について少し伺います。
まず、平成二十四年度の介護報酬改定については、介護報酬が引き上げられた分野もあれば、下げられた分野もあると伺います。事業所の収益状況も勘案して上げ下げが行われたとも伺いますが、どのような方針で行われたんでしょうか。厚生労働大臣、お答え願います。
○小宮山国務大臣 平成二十四年度の介護報酬改定では、介護職員の処遇改善の確保、地域包括ケアの推進などを図るために、一・二%プラスの改定を行いました。
改定の主な内容は、施設から在宅介護への移行を図る観点から、在宅サービスの充実と施設サービスの重点化を推進する評価を行ったということ、また、介護予防、重度化予防の観点から、リハビリや機能訓練などの自立支援のためのサービスを適切に評価したということ、また、医療と介護の機能分担、連携を推進する評価を行ったこと、そして、介護人材の確保と介護サービスの質の向上に向けた取り組みを強化したことなどです。
○田中(美)委員 ありがとうございました。
政策的な配慮もあって介護報酬改定が行われたと伺いますが、事業主側からすると、介護報酬から見て高い収益が見込まれるから投資したにもかかわらず、その後、介護報酬が下げられると不測の損害をこうむってしまう場合もあろうかと思います。
次回改定は、消費税の増税に絡む時期でもあり、国民の皆様にも納得していただける方策を考えなくてはいけないと思いますが、厚労大臣、事業主から見てもわかりやすい改定の方向性を考えていただけませんでしょうか。
○小宮山国務大臣 社会保障・税一体改革の大綱では、二〇二五年に向けまして、地域包括ケアの構築を目指しています。これによりまして、介護が必要な状態になっても、なるべく住みなれた住宅、地域で在宅を基本として生活が継続可能なようにしていきたいと思っています。
次期の介護報酬改定は、こうした将来の方向性に向かって行う予定でして、おっしゃるように、もちろん、関係者の御理解を得なければいけないので、事業主を初め関係者の御意見も十分伺いながら行っていきたいと思っています。
○田中(美)委員 ありがとうございました。
それでは、消費税との関連で、医療保険制度について一つだけ質問させていただきます。
人工乳房の薬事承認と保険適用の問題です。
人工乳房と申しますのは、女性が乳がんなどで乳房を切除せざるを得ないという場合に、乳房を切除した後の胸に埋め込んで乳房を再建する器具でございます。乳房を切除するということは、女性にとっては大変な精神的苦痛を伴うものでございます。この精神的な苦しみを少しでも和らげる手段として、人工乳房が注目をされております。
しかし、薬事法の承認がない、医療保険の適用がないということが大変な問題になっておりまして、今現在、片方で百万以上もかかってしまっております。そのために、乳がんの切除手術をためらって命を縮めてしまう患者さんもいるのが現状でございます。そして、このような中、人工乳房の薬事法承認の手続がなかなか進まないという現状がございます。
何とかこの人工乳房の薬事承認と保険適用を進めてほしいというのが全国の乳がん患者さんたちの悲願でございますが、厚労大臣の今後のお考えを伺いたいと思います。
○小宮山国務大臣 乳がんになった方、それから専門の学会などから、人工乳房インプラント、この早期の薬事承認と保険適用を求める声があることは承知をしておりますし、私も直接そういう要請も幾つかいただいています。
委員からの御指摘も含めまして、厚生労働省としても、患者さんや専門家の皆さんの願いに少しでも早く応えられるように、薬事承認に向けまして、審査をできる限り早く進めていきたいと考えています。
また、このインプラントが薬事承認された場合には、保険適用に向けた手続を進めていきたいと思っています。
○田中(美)委員 ありがとうございました。ぜひよろしくお願いいたします。
では、消費増税や社会保障改革の中心的な課題であります年金について少し伺います。消費税率のあり方とも関係する運用についてです。
まず、平成十三年から公的年金の積立金の自主運用というものが始まっております。
直近年度の運用成績と平成十三年度からの通算の運用成績はどうなっていますでしょうか。資料三ページにも出ておりますが、厚生労働大臣、御確認願います。
○小宮山国務大臣 厚生年金と国民年金の積立金は、平成十三年度に自主運用が開始されています。
それ以来の運用状況は、収益率につきましては、平成二十二年度末まで一・五七%のプラスとなっています。また、累積の収益額については、平成二十三年十二月までで、およそ十九・七兆円のプラスとなっています。
今後とも、長期的な観点から、安全で効率的な、そしてまた確実な運用に努めていきたいと思っています。
○田中(美)委員 ありがとうございました。
お手元の資料四ページと五ページのように、国家公務員共済や地方公務員共済の積立金の過去十年間の収益率平均は二・〇二%ということでございますが、厚生年金、国民年金は一・五七%ということで、公務員共済に比べて見劣りがいたしております。
何かと恵まれていると言われております公務員の年金でございますが、積立金の運用についても成績がいい。被保険者である民間サラリーマンとしては不公平感も募るのではないかと思います。
公的年金一元化も控えておりますので、公務員共済並みの二%ぐらいの利回りが出るように何とか頑張っていただきたいのですが、厚労大臣の御決意を伺います。
○小宮山国務大臣 年金積立金の運用利回り、これは主に資産構成割合によって決まってきます。
GPIFの基本ポートフォリオでは、国内と外国の株式の割合が合計二〇%で、国共済と比べまして株式の割合が高いんです。平成十三年度から二十二年度までの期間は、国内と外国の株式の収益率が債券を下回ったために、株式の割合が低い国共済の運用利回りが高くなっていると考えられます。
他方で、厚生年金と国民年金の積立金の運用では、平成十三年度から二十二年度までの間に、年金財政上必要な利回りは確保をされています。
引き続き、効率的で安全な観点から運用をしていきたいというふうに思っています。
○田中(美)委員 御決意の表明、ありがとうございました。
ただ、利回りを確保するために乾坤一てきでハイリスク・ハイリターンの運用に打って出るということはどうかとも思います。
新興国株式での年金資金の運用を始めるというような報道もありましたが、新興国の株式というものは企業倒産のリスクや為替変動のリスクが高いと伺います。この新興国株での運用について、検討状況や今後の方針を、厚生労働大臣のお考えを伺います。
○小宮山国務大臣 年金積立金の管理運用、これは、厚生年金保険法などで、専ら被保険者の利益のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行うこととされているところです。
このため、新興国の株式での運用は、GPIFの運用委員会で慎重に検討されましたが、一つは、新興国の株式市場は世界の株式市場全体で一四%を占めていて、新興国株式への投資が一般的となっているということ、また、外国株式の運用でこのような成長市場に投資しないということはかえって収益機会を失うことになるということから、基本ポートフォリオの外国株式の割合の範囲内で新興国株式での運用を拡充するということにいたしまして、今準備を進めているところです。
また、実際に運用を担うことになります運用受託機関でも、取引量が少ないなど新興市場の特徴に配慮いたしまして、運用の開始については慎重に行っていきたいと考えています。
○田中(美)委員 ありがとうございました。手がたい運用をぜひお願いいたしたいと思うところでございます。
それでは、通告しておりませんが、岡田副総理にお伺いをさせていただきたいと思います。申しわけございません。
岡田副総理の御実家は大手のスーパーを経営されているというふうに思います。今回の消費税の増税は、家計に大変大きな負担感を与えるものではないかと思うところでございます。
そんな中、岡田家では、お子さんがお二人いらっしゃって、奥様もいらっしゃるということでございますけれども、奥様は消費税についてどのようにお考えなのか、もし御家庭内でそういった家族の会話がございましたら、教えていただきたいと思います。
○岡田国務大臣 私は、野田総理とともに、この社会保障・税一体改革を必ず実現するということで頑張っておりますが、それを一生懸命サポートしてくれていますので、同じ考えだと思います。
○田中(美)委員 ありがとうございました。
いろいろと伺ってまいりましたが、そろそろ時間となりましたので、結びとさせていただきたいと思います。
子供たちの瞳が輝く社会、年金や介護など老後の安心な社会、そうした暮らしやすい日本の国づくりに社会保障と税の一体改革法案が大いに貢献することを祈念いたしまして、私の質疑を終わらせていただきます。
ありがとうございました。
○中野委員長 これにて田中さんの質疑は終了いたしました。
[引用おわり]
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
報道によると、民主党の城島光力・国会対策委員長は2012年6月18日(月)午前、国会内で自民党の岸田文雄・国会対策委員長に会い、第180回常会の会期を延長する方針を伝えました。
国会法第13条で会期の延長議決では衆議院の優越が認められているため、衆議院民主党の独断で延長を決めることが可能です。国会法第12条により、常会の延長は1回のみ。このため、6月21日の会期末には、延長国会の会期末スケジュールが確定します。国会法第12条ただし書きにより、衆議院解散の場合のみ、会期が早く終了します。
通常国会の延長は昨年の第177通常国会(震災国会)に続き、2年連続。
延長は会期末当日の前日に議決することが多いのですが、民主党政権になってから、会期末当日に議決する落ち着かない国会運営が続いています。
今後は延長幅の調整に移ります。
6月15日の3党合意で、年金交付国債の取り下げが決まりました。平成24年度特例公債法案(180閣法2号)の修正や年金交付国債発行法案(180閣法26号)の撤回などで3党協議が必要になります。年金交付国債については、平成24年度一般会計予算(4月5日成立)の総則に定めがあることから、第1次補正予算案編成の可能性もあります。その場合は、歳出の減額修正と増額修正のメリハリを付けて、民自公の3党の細かい要望をあわせて社会保障改革の一部前倒しや円高対策などを盛り込んだものになるかもしれません。いずれにしろ、もう一度3党協議が必要ということになることは間違いなさそうです。
民主、自民に会期延長方針伝える 延長幅は改めて協議(朝日新聞) - goo ニュース
民主党の城島光力国会対策委員長は18日午前、国会内で自民党の岸田文雄国対委員長と会談し、21日までの国会会期について「21日で会期を閉じるわけにはいかない」と述べ、会期延長の方針を正式に伝えた。延長幅については「20日をめどに整理して決めたい」として明言しなかった。
岸田氏は「20日には(延長幅を)示してほしい」と応じたという。野田佳彦首相は消費増税関連法案を21日までに衆院で採決したい考えで、会期延長は参院での法案の審議時間を確保するのが狙い。延長幅について民主党執行部は、野田首相がメキシコで開かれている主要20カ国・地域(G20)首脳会議から20日に帰国するのを待ち、改めて協議する方針。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
2012年1月24日(火)に召集された第180常会も、会期末を木曜日に控えて、最終盤国会を迎えました。
ちなみに小選挙区導入後、
第41期衆議院では、4度目の通常国会135日目の6月2日に森首相が解散(神の国解散)。
第42期衆議院では、3度目の通常国会(190日間)を終えて、秋の臨時国会(15日目)の10月10日に小泉首相が解散(マニフェスト解散)。
第43期衆議院では、2度目の通常国会200日目の8月8日に小泉首相が解散(郵政解散)。
第44期衆議院では、4度目の通常国会198日目の7月21日に任期4人目の麻生首相が解散(政権選択解散)。
第45期衆議院は、3度目の通常国会の延長含みの会期末になっています。
民主党・新緑風会は参議院で第1会派で、自民党・公明党・たちあがれ日本の3党が束になっても、民主党が2議席上回っています。この構成は2013年7月まで続きます。平成になってからの参院選は野党第1党は6勝、与党第1党はわずか2勝です。野党第1党では、土井社会党、小沢新進党、結党3ヶ月の菅民主党、岡田民主党、小沢民主党、谷垣自民党が勝っています。与党第1党が勝ったのは、宮澤自民党(東京サミット開催中の参院選)と小泉首相就任3ヶ月目の自民党の2回だけです。この国会で解散し、野党として第23回参院選に臨むという選択肢があります。あるいは、第46期衆議院が宙ぶらりん議会(衆院で単独過半数を持つ政党がない議会構成)になったら、衆参含めて政権構想を提示した上で第23回参院選にのぞむという手もあります。
ですから、民主党は今年中に解散すれば、「2段構え」で闘えることになります。
さて、衆議院議員で、任期4年満了前に解散して欲しい人など実は一人もいません。例えば、前回比例復活だった自民党議員が「早く解散して与党に戻りたい」「次は小選挙区で通りたい」と言っていても、来年の7月にやればいいわけで、1年前倒しすれば歳費は2000万円減るし、政治資金管理団体に繰り越してきた政治資金も1年前倒して使わなければなりません。例えば、9月に総裁改選を迎える自民党の谷垣禎一・衆議院議員は極めて稀に早く解散してほしいかもしれません。でも地元福知山の谷垣事務所の中心スタッフのなかにも、例えば、来年4月に子ども2人が進学するので入学金がいるという人は口には出さなくても、任期満了をのぞんでいるでしょう。
そのようななか、会期末というのは人間が見られます。人間の本性がでます。
私たちは第46回衆院選で、人を選ばなければなりません。マニフェストも大事です。が、参院の構成を横目に見ながら、安定した政権をつくらなければなりません。世界的な通貨・国債危機は10年から15年続きます。
仕分けが必要です。その前に会期末、燻り出すことが必要です。
「燻り出す」ーー「いぶして中にいる虫・獣などを外に追い出す」という意味です(大辞林)。
金曜日(6月15日)の参議院本会議は、連休前の4月27日以来の法案採決のための委員長報告がありました。日程第一です。ここで参議院議員立法の「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律案」(第180国会参法21号)の委員長報告がありました。このとき、前の国会から参議院議長になっている平田健二さんが「文部科学委員長、野上浩太郎君」と発言する場面がありました。参議院事務局職員トップの橋本雅史事務総長が平田さんに訂正を求めますが、平田さんは何を間違えたか気付かなかったようで、時間がかかりました。「参議院文部科学委員長」というのはいません。「参議院文教科学委員長」です。事務総長は将来的にも、「元参議院事務総長」の肩書きが最重要ですから、「参議院」の看板にこだわります。それは当然です。
しかし、平田さんは、「参議院文教科学委員長」を「参議院文部科学委員長」と言い間違えて、それを事務総長に指摘されて、しばらく気付きませんでした。いったい、参議院とは何なのか。4月27日以来1ヶ月半ぶりに法案を採決する「日程第一」でなぜ、議長が委員長の名前すら言えないのか。休みがたっぷりあったのに。このようなことなら、「参議院文教科学委員長」ではなく「第二衆議院文部科学委員長」に改めるべし。こんな話を242人の参議院議員に話したって、9割以上は他人事。当事者意識がないんですよ。つまり、国を背負い込んで政治家になっていない。ところが、やはり国を背負い込んでいないと、会期末のような正念場(性根場)で、どう行動すればいいか悩んでしまうことになります。国を背負い込んだ志がある人は強いです。
翻って、野党15年、1000兆円の政府債務のうち、一分以下の責任しかないと思われるのに、弱音を吐かずに責任を背負い込んでいる野田佳彦という男は大したものだと思います。一ミリもぶれずに信念を貫き通すべきです。偽者を燻り出せ、突き飛ばせ、息の根を止めろ。ポスターの笑顔にだまされないストイックな厳しさで、次の政権作りの材料を集める1週間です。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
[写真]3党合意をまとめた(左上から時計回りに)細川律夫・社会保障分科会長、長妻昭・実務者、古本伸一郎・実務者、藤井裕久・税制分科会長。
衆参ねじれは直近の民意。
2010年7月11日の国民のお灸にもとづき、民主党は2009年マニフェスト(鳩山・小沢詐欺フェスト)の修正実現を図っています。
2012年6月15日(金)、ことしも3党合意が成立しました。まさに憲政史に残る名場面。震災後国会の一番長い一週間は大成功に終わりました。
今回修正したのは、社会保障と税の一体改革関連3領域7法案。
年金領域2法案は、「被用者年金一元化法案」と「年金の最低保障機能強化のための国民年金法など改正法案」。
子ども・子育て新システム(幼保一元化・幼保一体化)領域3法案は「子ども・子育て支援法案」、「総合こども園法案」、「関係法律を整備する法案」。
消費税領域2法案は、「社会保障の安定財源を確保するための税制抜本改革のための消費税など国税改正法案」と「同じく地方税・地方交付税改正法案」。
これら合計7法案で、来週の国会で修正案を提出し、趣旨説明、審議のうえ、しめくくり質疑を経て採決し、可決。本会議に緊急上程し、可決。参院に送付し、延長国会で可決・成立します。
ちなみに、最低保障年金設置法案や後期高齢者医療保険制度廃止法案は初めから提出されていません!
衆参ねじれ(第45期衆議院・第21期22期参議院)での3党合意は、第177通常国会の2011年4月29日の平成23年度第1次補正予算(復旧補正)について、3党政調会長(玄葉光一郎さん、石破茂さん、石井啓一さん)がまとめたのが端緒。
次に6月下旬の会期末に延長国会をめぐり、3党幹事長(岡田克也さん、石原伸晃さん、井上義久さん)が「辞任3条件」をまとめたことで、国会運営全体に波及しました。このときは、原案を菅直人総理・民主党代表が突き返したため、温厚な岡田幹事長がぶち切れ、連帯感ができていた3党幹事長が「菅おろし」で合意するものの、8月末まで岡田さんが面従腹背で菅総理の名誉ある退陣を演出するという震災後憲政史に残る名場面(「岡田勧進帳」)がみられました。
そして、平成23年度の特例公債法案をめぐって、「実務者協議」というレイヤーが発生。城島光力・政調会長代理、鴨下一郎・政調会長代理、坂口力・副代表という「旧新進党厚生族議員トリオ」が寄せ木細工のような協議を積み上げました。そして、政調会長レイヤーを経て、3党幹事長・政調会長が8月9日に合意。特例公債法案、第2次補正予算案に加えて、再生可能な自然エネルギー特別措置法(来月1日施行)のおまけつきで、菅直人首相の退陣と引き替えに、第177震災衆参ねじれ国会を前に進めました。
2012年6月15日の3党合意(社会保障と税の一体改革7法案の修正協議)のこちらのページから全文みることができます。
6月15日の3党合意の実務者は、民主党が前原誠司さん、藤井裕久さん、細川律夫さん、長妻昭さん、古本伸一郎さん。自民党が伊吹文明さん、野田毅さん、町村信孝さん、鴨下一郎さん、加藤勝信さん、宮沢洋一さん。公明党が石井啓一さん、斉藤鉄夫さんがまとめました。
法案に関しては、自民党が提案していた「社会保障制度改革推進法案」をおそらく民自公共同提出の衆法として提出。社会保障と税の一体改革関連8法案となり、一体的に採決し、参院に送ります。人生前半の社会保障である子ども・子育て新システムでは、現行の「幼保連携型認定こども園」を単一の施設として認可・指導監督などの行政を一本化します。認定こども園の設置主体は国、自治体、学校法人、社会福祉法人のみとし、株式会社の参入はできないよう法案を修正します。
政府案の「ミソ」だった認定こども園、幼稚園、保育所、小規模保育を通じた「給付」の創設に民自公が合意し、「チルドレン・ファースト」の前提としての「保護者ファースト」が実現します。地方議員から反発の声が出てきた「児童福祉法24条」については、引き続き保育の実施義務は市町村とし、民間保育所に委託費を支払う場合は利用者負担の徴収は市町村がすることになりました。政府案では、10年間は暫定的に一体化することになっていた、幼稚園教諭免許と保育士資格については、一体化を含めて、そのあり方について検討を加え、「所要の措置」を加えることになりました。できる限り、幼稚園と保育所で働いている方が経済的負担がなく、給与水準も高い方に統一できるようなしくみを私からは期待したいです。
年金の最低保障機能強化法案に関しては、低所得高齢者と障害者への年金額加算の規定は削除されましたが、消費税10%(2015年10月から)から、「税率引き上げで増加する消費税収を活用して、新たな福祉的な給付措置を講ずるものとし」、「公布後6ヶ月以内」、おそらく来年1月頃までに、「必要は法制上の措置を講ずる旨を規定する」ということになりました。少し後退しているようにも思えます。しかし、消費税改正法案の方に「社会保障の機能強化との関係も踏まえつつ、対象範囲、基準となる所得の考え方、財源の問題、執行面での対応の可能性などについて検討を行い、簡素な給付措置を実施する」となっていますので、当面の間は、簡素な給付措置で下支えとなりますから、心配ご無用です。ちゃんと手続きしてください。マイナンバー法案(衆院提出済み、付託委員会未定)の成立・施行・定着後は、「関連する社会保障制度の見直しおよび所得控除の抜本的な整理とあわせて、総合合算制度(医療、介護、保育などに関する自己負担の合計額に一定の上限を設けるしくみ)、給付つき税額控除などの施策の導入について、総合的に検討する」となりました。実現すれば、国内資源(マネー)がもっとも必要なところに流れるしくみになります。支え合う日本。バブル期よりももっと(心が)豊かな生活が可能になるでしょう。
平成24年度の年金交付国債法案(衆院厚生労働委員会付託)は撤回することになりました。これにより、平成24年度当初予算の一般会計予算総則や、歳入の組み直しが必要になったことから、延長国会で第1次補正予算案が提出されることになるでしょう。これが平成24年度特例公債法案とあわせて、延長国会の焦点になるのではないでしょうか。この辺の予測は「今後の政治日程 by 下町の太陽」に譲ります。
話題の生活保護。「不正な手段により保護をうけた者などへの厳格な対処、生活扶助、医療扶助などの給付水準の適正化、保護を受けている世帯に属する者の就労の促進その他の必要な見直しを早急に実施する」と合意しました。「生活困窮者対策および生活保護制度の見直しに総合的に取り組み、保護を受けている世帯に属する子どもが成人になった後に再び保護を受けることを余儀なくされることを防止するための支援の拡充を図る」としており、民主党、国民新党、自民党、公明党、たちあがれ日本の責任5党が、与党にいるときも、野党にいるときも、一貫して取り組まねばならない政策課題をお互いに共有しました。
3党合意は「法案修正の条文イメージ」と付けました。55年体制下では、官僚が書いた条文には「野党日本社会党が修正するのりしろ」があって、そこを社会党が修正した上で賛成・可決という八百長があったようです。今回の修正協議はガチンコでした。ただ、6月15日までに3党合意できなければ、民自公とも傷つくし、「一部先送り」「一部棚上げ」という手法を使えば、合意にいたるのは当然のことで、私は泰然自若としてみていました。村木厚子・内閣府政策統括官ら官僚が実務者協議にも出ていたようですが、条文は政治家がつくったことになるでしょう。内閣法制局は月曜日に採決してもいいぐらいに修正法案をしっかりとつくってください。
今回は初めて、分科会方式ということで、実務者協議が行われました。報道によると、「社会保障分科会の実務者を各党1人にしてほしい」と言ったのは自民党の鴨下一郎さんだったようです。これは自民党内が幼稚園族と保育所族で分裂していることを分かっていたから、各党1人にすることで、自民党内で分裂の芽をつみ遠心力を内包することで党の存在感を高めるという戦術を鴨下さんがとったのでしょう。鴨下さんは1993年に日本新党から初当選。野田佳彦総理と同じです。そして1996年新進党公認で再選。野田さんは落選しました。こういった人材が自民党に行ってしまったことは言うまでもなく100%小沢一郎さんのせいです。
3党合意により、日本は滅亡の瀬戸際から救われました。
会期末、私たちは小沢一郎さんをマリー・アントワネットと同じ結末にもっていかなければなりません。歴史の流れはとめられません。それにしても、議員と記者はもうちょっと筋の良い情報源を持たないといけません。振り回される国民がかわいそうです。
衆参ねじれをロータリーエンジンのように前に進む力にする。そのためには、1990年初当選組、旧新進党などの枠組みを活用しながらも、やはり志と実力のある政治家にまかせることが大事です。昨年の3党合意は、「1年間で40兆円を動かす」というこれまでの政府外議員では考えられないような巨大な案件でした。社会保障と税の一体改革関連8法案は「日本の国が続く限り、毎年10兆円を動かし続ける」ので、より恒久的かつより巨大な政治案件です。当然のことながら、党議に違反した議員は、はじき飛ばされて、政治生命を失います。
日本の政治はこれでも少しずつ前進しています。これからも知恵を絞り、少しずつ議論と実績を積み重ねていくことで諸懸案を課題していきましょう。維新や憲法改正はその後です。政権交代ある二大政党政治で、政治を国民の手に取り戻しましょう。新進党を解党した小沢一郎さんの息の根を止めましょう。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
社会保障と税の一体改革関連7法案の修正協議は、きょう2012年6月15日(金)に期限を迎えます。野田佳彦総理(民主党代表)は一ミリもぶれずに突進するしかありません。要は、有権者や歴史家にハッキリ見える選択肢と材料を提示する。その一点につきるでしょう。何もおそれることはありません。
【相続増税は先送り】
さて、15日付朝日新聞1面によると、当ブログが指摘し、個人的にも地元選出衆院議員に要望書を出していた「社会保障の安定財源を確保するための税制抜本改革のための消費税法など改正案(180閣法72号)」の第5条「相続税の課税ベースの拡大と税率アップ」に関して、秋の税制改正以降に見送ることで、民主党と自民党が合意する方向になったと伝えています。これは、衆院社会保障と税の一体改革に関する特別委員会(中野寛成委員長)の実質的な初日だった5月21日(月)に、自民党幹事長の石原伸晃さんが指摘したものです。この「石原提案(ノブテル・プロポーザル)」の実現により、石原総裁・シャドウ首相の可能性がぐっと高まりました。もちろん、谷垣禎一総裁は9月に再選しても、党規約からして、2016年9月の総裁選には出られません。ですから、石原さんが谷垣さんを総裁に推せば、2016年9月の時点でも伸晃さんは59歳。今の岡田克也さんと同い年になります。石原さんは様々な選択肢を手に入れたことになります。ぜひがんばってほしい。
このときの議事録は次の通りです。
[会議録から引用はじめ]
衆議院社会保障と税の一体改革に関する特別委員会 第180回国会 第4号 平成24年5月21日(月曜日)
(前略)
○石原伸晃委員(自民党・無所属クラブ)
あと、税法の話もちょっとさせていただきたいんですが、余り時間がないので一方的になるかもしれませんが、今度の改正の中で、かなり乱暴な改正が含まれています。それは、一つは相続税ですね。
これは東京プロブレムと言われるかもしれませんけれども、基礎控除を一気に六割にしちゃった。普通、そういうものは段階を追って、最終的な目的がどういう税制であるからどうなんだということで仕組んでいくけれども、これは乱暴ですね。だって、相続税というのは、明治三十八年のロシアとの戦争までなかったんですよ、日本で。今、アングロサクソンの国々は、相続税というものをなくしたり、軽くしたりする方向で動いています。
やはり基礎控除を、五千万、一人一千万というものを三千万、六百万に引き下げたことでどういうことが生ずるかというと、例えば、基礎控除が、一億円の資産を持っていて八千万だった人は、四千八百万、四割引き下げられる。例えば、坪百万、二百万、そういう土地は東京はざらざらあるんですね。そういう人たちが、五十坪、百坪の家を持っていて、相続の平均発生年齢というのは、ちょっと調べてきたら、今東京で六十七歳、もうほとんどの方々が、六三%の人が公的年金、要するに年金収入を中心に生活している人たち。その分、資産に見合った、固定資産に見合ったフローを持っていて、そこで相続税を払えるならいいんですけれども、これは現に、地価高騰時代に起こって、物納がふえて困ったじゃないですか。財務省理財局が不動産屋みたいなことをやっていて、財務省、財務省、財務省というのが、東京じゅうに土地があふれた、そういうことが起こるわけですよ。
ですから、そういうことは、やはり、どういう最終的な相続税のあり方にするのかというものがあって、そこにいきなり四割、ばんと減らすみたいなことじゃなくて、段階的にやるというのが税の世界の常識である、このこともまた後ほど議論をさせていただきたい。
(略)
○安住淳・財務大臣 相続税については御議論のあるところだと思います。つまり、控除額を五千万から三千万に下げた。それで、相続人、子供も含めて一千万を六百万に下げた。
ただ、幹事長、現在相続税を納めておられるのは、百人亡くなったとすれば四人なんですね。(石原(伸)委員「地域差がある、千代田区は五十人」と呼ぶ)いや、地域差はあるかもしれません。ただ、富は誰のものか。お父さんは一生懸命稼いで大金持ちになりました、そのお子さんも金持ちであっていいかどうかというのは、私は議論のあるところで、そういう点では、亡くなった時点で、その稼いだ方の富を社会にどういうふうに還元するかというのは、ぜひお時間をいただいて議論させていただければと思っております。(発言する者あり)
○石原(伸)委員 今、やじが出ましたけれども、これは要するに、相続税はやはり半分、取っても五割だねということで大幅な改正をやったんです。その議論をずっと十年間やって、私、そのときの税制改革特別委員会の理事をやっていましたから質問させていただいた。(後略)
[引用おわり]
【児童福祉法24条および39条「保育に欠ける児童」から「保育が必要な児童」を公明党が提案】
法案修正の3党協議のテレビニュースでは、「子ども・子育て新システム関連3法案」の事務方の当事者である村木厚子・内閣府共生社会担当政策統括官の姿をよく見ます。入省年次や年齢からして、法案を修正して、衆議院通過、参議院可決・成立したところで、花道という頃合いかもしれません。ただし、民主党政権のシロアリ退治により天下りがしづらくなったのでキャリアは続くかもしれませんが、集大成でしょう。公明新聞はきのう付の紙面で、修正協議に提出したペーパーを全文公開しました。
このなか、児童福祉法24条、39条を改正し、市町村の保育の最終責任について、現行法の「保育に欠ける児童」から「保育を必要とする児童」=児童とは乳児と幼児のこと=へと拡大するとしました。それだと「おいおい財政負担はどうするんだよ」という市町村関係者の声も聞こえそうですが、「今後の幼児教育・保育の量的・質的拡充を見すえた1兆円超の財源確保が必要であり、その財源確保の全容を明確化する」としています。これについては、委員会で、岡田克也・社会保障と税の一体改革担当大臣は消費税増税では0・7兆円の確保にとどまり、0・3兆円の財源の見通しはないと答弁しています。基本的には、消費税10%では足りない、ということを岡田さんは言っています。この辺で公明党の支持母体である創価学会は低所得者・高齢者も多く、消費税のすえおきを優先して欲しいと意識もあるようです。ただし、パラダイム(日本の国を良くするための基本的考え方)は、公明党と野田・岡田民主党はまったく同じです。もともと新進党という同じ政党員でしたから。「チーム3000(人)」と呼ばれるほど地方議員を多く抱える公明党だけあって、「待機児童が50人未満の市町村は従来通りの保育計画の作成は義務づけない」としています。こういう地域もあるんです。そして、保育計画の作成義務がなければ、その分税金が浮きます。待機児童が一人もいない市町村はいっぱいあります。そして、幼稚園経営者は「定員の半分以下なので、保育もやりたい。預かり保育はやりたいけど、0~2歳児保育は事故があったら困るからどうしようかな」という本音があります。その背中を押すのが、子ども・子育て新システムです。主役は子どもであり、保護者であり、市町村です。実は昨日、公明党員ご夫妻が保育所経営者の方と3人で当家をご訪問いただきました。前日に私が地区後援会役員を務める我が党の現職衆院議員の連合後援会設立総会のもようがNHKはじめテレビニュースで報じられたこともあるのでしょう。あいにく私は外出中でしたが、ぜひ保育所経営者の方とお話ししてみたかったです。また来て欲しいな。
幼稚園教諭と保育士についても、政府提出法案の「10年間の暫定措置」ではなく、公明党案では「資格の一本化を行うべきだ」としました。そして、「資格の違いに伴う施設間の格差解消」。おそらくこれは保育所の給料を上げよう、という意味合いも含まれていると考えます。「より質の高い幼児教育・保育の提供を実現するため、資格の一本化を行うべきであり、そのために必要な支援と環境整備に向けた検討を進める」としています。昨日ご来訪いただいた保育所経営者の方も、当家で「保育士は100%体力」という趣旨のお話しをしておられたそうです。ぜひ直にお話うかがいたかったな。幼稚園教諭の方は、0~2歳児保育について不安を感じられるでしょうが、それは保育士免許をとりに学校に通うことよりも、仕事の中で教えてもらったり、自分で気付いたりする方が万事いいように感じます。
【年金の最低保障機能強化は「早急に実施する」ことが3党に課せられた使命だ】
それから公的年金の最低保障機能を強化する法案(180閣法74号)です。公明党の「考え方」では、当ブログが求めてきた受給期間の25年間→10年間への短縮について、「無年金者の早期救済を図るため、早急に実施する」としました。この「早急に実施」がいつか。まさか法案の附則第1条の2015年10月ではないでしょう。ちっとも早急ではありません。2014年4月の消費税8%時以前であることは至極当然です。ぜひ、事務方も、細川律夫さん、長妻昭さんら与党の社会保障分科会実務者に詳細なデータを挙げて、実現可能であることを示してほしいです。
ところで、繰り返しますが、「最低保障年金創設法案」と「後期高齢者医療保険廃止法案」は提出されていません。提出されていない法案をどうやって修正するのでしょうか。国会議員、新聞記者の猛省を求めます。
会期末政局では、人間も仕分けられていることを心すべし。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
小沢一郎さんが2011年3月中旬の東日本大震災や東京電力福島第一原子力発電所の水素爆発の後、東京を出て避難したり、岩手県庁訪問を「党員資格停止中だから」と断ったり、塩の買い占めを秘書に指示したり、千葉の漁協で「風評がひどい」と陳情を受けて釣りを中止した上、もらった魚を捨てさせ、産地から届いた野菜とともに鳥の餌にしたり、長野の別荘地に秘書出身の衆院議員が経営する建設会社名義で土地を買ったりしていた疑惑が浮上しました。
小沢一郎さんと結婚していた新潟県最大の建設会社「福田組」の前会長の令嬢である、小沢和子さんが岩手4区の複数の支援者に昨年11月に送った手紙のうちの1部として、週刊文春2012年6月21日号が報じました。14日発売。定価380円。ぜひ、書店、コンビニ、キオスクなどでお買い求めください。あるいは公共図書館にも週刊文春が多いので、次号発売後は、コピーも可能となりますので、ぜひお手にとっていただきたく存じます。
小沢一郎さんは衆議院岩手県第4選挙区選出の衆議院議員で、小沢グループ(新しい政治研究会)の会長。1997年12月に新進党を解党しました。
小沢和子さんから後援者への手紙は便箋11枚に自筆でしたためられています。一部は写真になっているほか、受取人が特定される部分と隠し子の母親の実名部分以外はすべて活字にして掲載されています。
「まだ強い余震がある中、お変わりございませんか。」で始まる文面。
「被害の余りの大きさに胸がつぶれる思いです」「何もできない自分を情なく思っています」。書かずにはいられないという和子さんの思いを感じます。そのためか、虚心坦懐にすべてをぶちまけている印象。
「このような未曾有の大災害にあって本来、政治家が真っ先に立ち上がらなければならない筈ですが、実は小沢は放射能が怖くて秘書と一緒に逃げ出しました。岩手で長年お世話になった方々一番苦しい時に見捨てて逃げだした小沢をみて、岩手や日本の為になる人間ではないとわかり離婚いたしました」。この「離婚」が法律上の離婚成立かどうかは現時点では不明。
そのうえで、8年前の隠し子発覚について、触れ、小沢一郎さんが小沢和子さんに対して「田中角栄先生が紹介したから」和子さんと「結婚した」と言われ、「どうせお前も地位が欲しかっただけだろう」と言われたそうです。
このようなきっかけで、11枚の手紙になったわけですが、先に放射能について。手紙の終盤には「(当時官邸で首相をしていた)菅さんが放射能の情報を隠していると思ったらしく相談を始めました。自衛隊幹部や文科省の役人に情報収集をしたようですが、発表以外の事実は得られず、それなら菅内閣を倒し、誰でもいいから首相にすえて情報を入手しようと考えたようです。この結果、不信任決議をだされ政治が停滞したことはご存じだと思います」。
小沢さんは自民党時代は防衛族議員ですし、文部科学省の前身組織の一つである「科学技術庁」の科学技術政務次官を三木内閣で務めています。このときは、就任前に放射能漏れ事故があった原子力船「むつ」の再稼働に関する法案(日本原子力船開発事業団法の一部を改正する法律案)について、佐々木義武・科学技術庁長官(国務大臣)の代わりに、第77回通常国会で趣旨説明しています。
とはいえ、発表以外の情報は得られなかった、と小沢和子さんは証言しています。
放射能に関しては、2011年3月16日朝、公設第1秘書が小沢和子さんに「内々の放射能の情報を得たので、先生の命令で秘書たちを逃がしました」「先生も逃げますので、奥さんも息子さんたちもどこか逃げる所を考えて下さい」と行ったとのこと。和子さんは秘書に「国会議員が真っ先に逃げてどうするの!なんですぐ岩手に帰らないのか!内々の情報があるならなぜ国民に知らせないのか」と聞き返したそうです。
和子さんが避難しない意向を秘書が小沢一郎さんに伝えると、小沢一郎さんは「じゃあしょうがない。食料の備蓄はあるから、塩を買い占めるように」と書生に買いに行かせた、と和子さんの手紙には書いてあります。
3月15日に、国会議員6人が県庁に行き、知事と会談した際には、「一緒に岩手に行こう」と誘われたものの、小沢一郎さんは「党員資格停止処分を理由に断っていたこともわかりました。知事に止められたのではなく放射能がこわくて行かなかったのです」と和子さんは手紙で支援者に明かしています。
されに、3月21日には、秘書が和子さんに東京の水道は汚染されているので料理は買った水でやってくださいと言われて、「私は他の人と同じように水道水を使います」と言うと、秘書は「先生のご飯は僕達でつくります」と言ったそうです。さらには、「洗濯まで買った水でやろうとしていました」。
「3月25日になってついに小沢は耐えられなくなったようで旅行カバンを持ってどこかに逃げだしました。去年(2010年)、京都の土地を探していたようですのでそこに逃げたのかもしれません」。「実は小沢は、数年前から京都から出馬したいと言い出しており、後援会長にまで相談していました。もう岩手のことは頭になかったのでしょう」
ところが、マスコミが多少余裕ができてきた時期なので、「小沢さんが所在不明だ」ということになり、自宅前に20人くらいのマスコミが殺到。「あわてて避難先から3月28日に岩手県庁に行ったのです」。
「天皇・皇后両陛下が岩手に入られた日には、千葉に風評被害の視察と称して釣りに出かけました。千葉の漁協で風評(被害)がひどいと陳情を受けると、『放射能がどんどんひどくなる』と発言し、釣りを中止し、漁協からもらった魚も捨てさせたそうです。風評(被害)で苦しむ産地から届いた野菜も放射能をおそれて鳥の餌にする他は捨てたそうです」。
和子さんは書いておかねばならないことが多かったのでしょう。その気持ちは察するに余りあります。
2010年夏にも、佐藤泰介・元民主党財務委員長(元参院議員、日教組)、高嶋良充・元民主党・新緑風会幹事長(元参院議員、自治労)らと京都・鴨川沿いで遊ぶ姿が日本テレビの望遠レンズで撮影されたことがありました。
ぜひ、小沢さんは説明してください。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
社会保障と税の一体改革関連法案の会期内(6月21日)衆院通過と第180通常国会での成立が確実になったことから、政府首脳・民主党幹部は、採決の混乱による党分裂を静観する構えとなりました。
許しがたい動きも出てきました。日本共産党国会対策委員長の穀田恵二衆院議員のホームページによると、6月14日(木)の午後6時から、衆議院尾崎行雄記念憲政記念館で、「消費税増税に反対し採決阻止に向けた総決起大会」を実施するとしています。驚くべきことには、民主党常任幹事の川内博史衆院議員や、小沢自由党応援団で前回の参院選にも民主党公認で出馬したライフストア社長の清水信次さんが音頭取りだということです。昨年6月の「成案」、12月の「素案」、3月の「大綱」、そして法案の100時間審議を6月中旬に終えようとしているなか、「採決阻止」とは非生産的。川内議員はすでに小沢グループオブザーバーとなるなど、5期15年の議員生活をどぶに捨てる自暴自棄な行動に出ていますが、ついにここまで堕落してしまったか。川内さんは、真人間(まにんげん)に戻って欲しい。
「ガソリン値下げ隊長」に限らず、国交省公用車談合疑惑を衆院国交委のさいちゅうに公正取引委員会に申告した輝いていた野党時代(きっかけは“ガソリン値下げ隊長”だった 公取動く、国交省の公用車談合問題 川内博史さん)(公取、国交省の公用車談合で排除勧告へ 川内博史さんの告発から1年)。与党5期生として人事面で不遇をかこい、自暴自棄になって小沢グループオブザーバーに。そして、なれの果てが、共産党とともに「採決阻止」の集会を開くところまで堕落してしまいました。だいたい、ここまできたら、採決阻止ではなく、条件闘争でしょう。
鹿児島1区では自民党支部長の保岡興治(やすおか・おきはる)元法相(73)がかなりポスターを貼っているようです。昨年都内でお見受けしましたがお元気そうでした。
[写真]自民党鹿児島1区支部長で元法相の保岡興治さん
第1次民主党の遊説局長として、新橋駅前の街頭演説で、「中野寛成先生はだじゃれの名手です。それもご期待ください」と前振りされた寛成さんは司会の川内さんを無視して、いっさいだじゃれなしに演説しました。カンセイさんは当時、党の長老格から、だじゃれを禁止されていました。
1期生のころは、新・民主党の代議士会で、挙手し、「新進党分裂後、新党平和など旧公明党がどうもこちらに来ない。ひょっとして自民党についてしまうのではないか。その点どうなっているか執行部の情報を教えていただきたい」と質問。まさにオープンでクリーンな民主党らしかったのですが、石井一国対委員長は「なかなかこういうマスコミも入った満座の前ではお答えしづらいですね」と困ると笑い声。終了後すばやく公共放送局の番記者がピンさんにかけより、「何なんですかねえ、あの第1次民主党の1期生は」とご機嫌伺い。しかしその記者はその後、民主党が与党になったとき、謙虚さに欠ける行為があり、会社内の立場が悪くなっています。
鹿児島市出身で鹿児島県内に3つ工場をもつ京セラ稲盛和夫創業者も与党になった当初は川内さんに「民主党内で、鳩山総理・代表、小沢幹事長、菅副総理に等距離で話せるのは君なんだから、裏の官房長官をやってくれ」と言われ、実際にその通りに動きました。稲盛さんの言葉に川内さんは純粋に顔を赤らめました。
[画像]稲盛和夫京セラ創業者、2008年民主党大会の民主党ホームページ内中継動画からキャプチャ。
それも含めて、川内さんの無邪気さは僕にとっては、民主党の11年間の苦難の歴史に重なるので、なんでこんなもったいないことするのかなあ。与党になってから政務三役入りを逃し、衆院国土交通委員長更迭、衆院予算委理事更迭、衆院科学技術・イノベーション特別委員長更迭、衆院政治倫理審査会長更迭が続き、衆議院公用車もなくなり、自暴自棄になるのも分かります。でも、共産党国対委員長と「採決阻止集会」だなんて。私は「小沢一郎さんと交わった人間は必ず不幸になる」という人生訓をもっていますが、5期生になってから、小沢グループオブザーバーなどという中途半端な立ち位置になってどうするんでしょう。ちょっと川内さんは終わりだなあという感じがします。雄弁会同級生の安住淳財務相、渡辺周防衛副大臣と差がついただけでなく、政治生命の危機だと感じますし、もう無理なんではないでしょうか。
民主党主流派と反主流派の感情的な対立は第45期衆議院中の融和は不可能な状態になっており、グランドキャニオンより深い溝ができています。政府首脳関係者は「小沢グループの名前や顔を見たり、対応を練るのも嫌だ」「一体改革法案が、成立するかどうかよりも、採決時に大小は別としていずれにしろ不正常なことが起こるのが耐えられない」としています。
小沢グループの説得に関しては、どうせ次の選挙でいなくなるのだからやりたくないというのが主流派の本音。そんななか一人気を吐くのは、国会対策委員会の筆頭副委員長の三日月大造さん。ただ、「三日月さんのように苦労すれば、党内出世する。 それが分かっていても、党内出世よりも、小沢グループと話すのはもっと嫌だ」(主流派)というところまで来ており、もうこの任期中は無理です。
とにかく、21日までの衆院通過と延長会期内の成立を、国家のため、未来のために強行するしかないでしょう。
民主党の総支部ごとの現職を含めた予備選挙の導入も第46期衆議院以降は検討課題になりそうです。
3党合意は15日(金)にととのう見通しで、ポイントは消費税法案第5条の相続増税の秋の税制改正以降への先送りと、年金の最低保障機能強化法案の附則第1条、施行日を2014年4月以前に前倒すことになるでしょう。手堅い答弁で存在感を示している五十嵐文彦財務副大臣も、社会保障の安定財源を確保するための税制抜本改革法案の相続課税ベース拡大については、「以前は6%だったのが、今では4%に下がっている。もうそろそろ(6%に戻しても)いいのではないか」という趣旨の、彼らしくないあやふやな答弁をしていました。ここは、激変緩和措置や地域特例を盛り込んでしっかりと制度設計をし直すべきでしょう。最低保障機能強化法案の附則第1条も、無年金者の年金は、そもそも積み立てた保険料を返す作業から始まるので、単年度の財政負担が大きくなるのならば、政府が借り入れてでも払うべき性質です。これは民主党にとっても、自民党にとっても、公明党にとっても、厚労省にとっても、財務省にとっても、2014年4月以前に前倒した方が得策です。
「総合こども園」に関しては、子ども・子育て新システム法案のミソは「子ども・子育て支援給付」です。すべての保護者に給付をすることで幼保一元化の呼び水にすることですから、認定こども園を市町村が認定しやすいようにすれば、政府民主党からみても、名を捨て実を取ることが可能です。あくまでも保育の現場や最終責任者は市町村であり続けます。被用者年金一元化法案はほとんど原案のまま採決されるでしょう。
また、法案が出ていない「最低保障年金」「後期高齢者医療制度廃止」を撤回するという意味が分かりません。なぜここで混乱が出るかはよく分かります。それは議員も記者も法案を読んでいないから混乱するのです。これは主流派の議員にも言えることで、税制2法案だけ先に採決して、だれが得をするのでしょうか。民主党も自民党も公明党も財務省もだれも得をしません。私は5月22日のエントリーですでに、消費税増税2法案よりも、子ども・子育て新システム3法案の方が修正の焦点になると指摘していました。これも私が法案を読んでいたから分かることです。法案を読まないと、自分の政治生命が危うくなることを自覚すべきです。
大人の事情より、子どもの事情。
前へ進むしかありません。
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]
民主党、自民党、公明党は15日(金)の3党合意に向けて、社会保障と税の一体改革関連3領域7法案の修正を進めています。税制分科会の自民党実務者は町村信孝さん。第45期衆議院では、北海道5区で落選し、比例北海道で復活当選しましたが、その議席をかなぐり捨てて、北海道5区の補欠選挙で圧勝したので、現在は当選10回生、二ケタになっています。
イヤミなマッチー。
第45期衆議院の50人委員会で自民党理事の配分は2人だけ。攻撃的なマッチーは自民党第2次野党期最初の予算委筆頭理事として、次席理事に先輩の加藤紘一さんを従え、イヤミぶりを発揮。先陣を切って自ら質問に立ち、「これ以上質問できませんな」といすに座り審議拒否しようとしたところ、加藤次席理事が第一委員室にいないことに気付きました。場内協議をする理事がいないので、あわてて質問を続けるという野党慣れしていない場面もありました。
衆議院社会保障と税の一体改革特別委員会(中野寛成委員長)でも、理事の座は伊吹文明元幹事長と逢沢一郎前国対委員長の谷垣禎一総裁と仲が良い2人組にとられました。町村さんは委員として審議を見ていました。自民党税制調査会は会長が野田毅さんで、伊吹さん、町村さんは顧問です。野田毅さんも一体改革特別委員を務めていますが、3党修正の実務者の座は、町村さんが取りました。このレイヤー(3党協議税制分科会)は、衆参ねじれ(第45期衆議院・第21期22期参議院)以降、民主党の藤井裕久、公明党の斉藤鉄夫、自民党の野田毅の各党税調会長の指定席でした。ただ、これは新進党トリオなので、会期末の「ハプニング解散」も期待して、イヤミなマッチーが自民党実務者になったんだと思います。
副総理の岡田克也さんは、2012年6月8日(金)の定例記者会見で、通産省時代に町村さんの部下として2回働いたことがあることを明かしました。町村さんは昭和44年(1969年)入省、岡田さんは昭和51年(1976年)入省。
岡田さんが24歳のころ、産業政策調査課で、杉山弘課長(後に事務次官)のもと、町村信孝課長補佐、岡田克也総括係長として、直属の上司、部下の関係だったとしました。このときは河本敏夫通産大臣で、「名目GDP7%成長」をかかげて、その経済政策の立案に関わったとしています。新成長戦略の「名目3%成長、実質2%成長」に四苦八苦の今では考えられない時代です。
やはり余裕のある時代だったようで、岡田さんは「大変マージャンのお好きな課長だったので、課長さん命令の下、マージャンのメンツを揃えるのも私の重要な仕事だった」と述べました。
「もう一回はもう少し時間が経って、(資源エネルギー庁)石油部というところで私が計画係長、町村さんが石油企画官という、これはラインは一緒ではないのです。我々は総括ラインで、町村さんはもう一つ違うラインだったので、同じ部屋の中で仕事をした、同じ課の中でということです。このときもイラン・イラク戦争とか、第2次オイルショックのときでしたので、大変忙しくしてましたので、マージャンをやる暇なかったのですが、楽しく仕事をさせていただきました」と語りました。
岡田さんは11年前、当選4回生のころ、朝日新聞の早野透編集委員のインタビューについて次のように答えています。(朝日新聞社 1冊の本 8月号政治家の本棚「世界の名著に線を引き引きトライ」早野 透 Hayano Toru 朝日新聞編集委員から)
[引用はじめ]
(前略)それが終わって第二次オイルショックで石油を扱って、緊急事態法制をつくったり、灯油とかガソリンの配給切符をつくって倉庫に仕舞い込んだりね。
◎―――そんな事態まで行ってたんでしたっけねえ。
岡田――そうです。あんまり表に出しませんでしたけど。
◎―――珍しい話だな、それ。
岡田――第二次オイルショックの役所の対応は、隠れた成功物語だと僕は思いますけどね。情報開示をしなかったと言われればそれまでなんですが、「大丈夫」だと言い続けながら配給のための法律とかの案は全部つくって、かなり忙しかった。かなり厳しい実態をそう大きな混乱なく乗り切ったんですね。(後略)
[引用おわり]
朝日新聞の有名な政治記者だった早野透さんが知らないほど、第2次石油危機(オイルショック)は瀬戸際まで行っていたということになります。世界的には、「オイルショック」とはこちらの第2次(1979年)のことの方をさすのですが、我が国では1973年の第1次オイルショックをさすことが多いでしょう。きょうの日経新聞2面にもヨドバシカメラの取締役・店長が「33年間、売り場に立っているけど、今が一番苦しい。オイルショックの時よりひどいね」と語っていますが、このオイルショックも第1次を念頭に置いているのでしょう。もちろん、過去33年間で一番苦しいのですから、第1次も第2次も含めてということでしょうが。
岡田さんは著書『政権交代-この国を変える』のなかで、石油部計画係長のころ、「いたずらに買い占め騒動を起こさせないために、秘密厳守が徹底され、石油行政に関して報道されることはほとんどなかった」「当時、この配給制度のことを知っていたのは、通産省でも限られたスタッフだけだったはずだ」「このときの大きな国家的試練をさしたる混乱なく乗り切った当時の通産省の対応は、情報開示をしなかったという批判はまぬがれないとしても、秘められた大きな成功物語だったと思う。こうした経験から私は、緊急事態において、国民の生活を守る最後の砦であることを実感していた」。
私はオイルショックについては記憶にないので、今の国難とどう違うのか、質問してみました。
岡田さんは次のように答えました。
[記者会見録から引用はじめ]
(記者)
すみません。
2度目の石油部石油課のときは、例のオイルショックで、石油の配給切符を実は印刷していたと、そのころですね。
(岡田副総理)
ええ、そうですね。
(記者)
あのとき、かなり国難だったと思いますが、当時の国難と比べて、今どんな時代状況だと思われますか。
(岡田副総理)
それは比較は難しいですけれどもね。ただあれは一時的なショックで、今は財政など見ると、もう少し重い、風邪にかかったのではなくて、肺炎みたいな感じではないですか、今は。相当思い切って、時間をかけないと治癒しないということではないかと思います。
[引用おわり]
[岡田克也公式ホームページから引用はじめ]
朝日新聞社 1冊の本 8月号
政治家の本棚 62
岡田克也氏 おかだ かつや
衆議院議員
民主党政調会長
元通産省企画調査官
1953年7月14日生まれ
◎インタビュー:早野 透 Hayano Toru 朝日新聞編集委員
「世界の名著」に線を引き引きトライ
◎―――昭和二十八年生まれでしょう。戦争の傷跡はほぼどうやら癒えてきた時代ですよね。
岡田――たまに家族で名古屋の動物園に連れていってもらったりというのが楽しみだったんです。まだ引揚者みたいな人が地下道なんかに並んでいて、非常に印象に残っていますね。戦争の傷跡というとそれぐらいですね。
◎―――育った三重県四日市市は?
岡田――「四日市」ですからね、もとは商業の町です。戦後、旧海軍廠の跡にコンビナートができた産業都市で、「発展する若い町」というイメージだったんですが、小学生の頃に公害問題が顕在化して、同級生でぜんそくに悩んでいた人もいたし、後に亡くなった人もいました。「公害の町」というイメージをいまだに引きずっていますよね、もういまはないんですけれども。
◎―――父上のジャスコはその頃もう動き出したんですか。
岡田――もともと呉服屋を二百年ぐらい続けてきた家が戦後、売るものがなかったものですから、何でも売るようになって地方百貨店だったんですね。
◎―――戦後社会的発展のなかにいたわけですな。小学校は。
岡田――地元の中部西小学校から中部中学校です。父もそうだし、私の子どもも同じですけどね。
◎―――その頃は、本なんかは。
岡田――小学三年生のときに交通事故に遭いまして、骨折して二カ月ぐらい入院したんですよ。田舎で交通事故ってそんなに多くなかったですからテレビニュースになりました。そのときに読んだのが『シートン動物記』とか『ファーブル昆虫記』。
◎―――勉強家でしたか。
岡田――母親に言わせると、学校では優等生のふりをしていた、家では違ったと言うんです。僕、三人兄弟の真ん中なものですから、かなり生存競争は厳しかった。男三人の真ん中というのは『次郎物語』と同じ構図なんですね。だから『次郎物語』って好きだったんです。でもまあ、小・中学校は地方都市でわりと暢気に過ごしましたね。
◎―――学校の生徒会なんかは。
岡田――小学校のときは生徒会長とかに立候補して百七対百で当選した記憶がありますね。
◎―――接戦だな、こりゃ。
岡田――ええ、負けた相手は後期の生徒会長をやりました。中学校はテニスクラブでかなり熱心にやりましたので、立候補しませんでした。
◎―――勉強は?
岡田――いやなものはいやなんですね。やらないんですよね。覚えるのが非常に苦手なものですから。社会とか得意じゃなかった。英語はもう不得意でしたね。
◎―――現在の民主党政調会長ぶりとはぜんぜん違うじゃないですか、それは。
岡田――中学校で英語で「5」だったのは一年生の一学期だけで、ずっと「4」だったですね。僕、家の都合で高校から大阪に行ったんですよ。中学校の友だちが「岡田が東大へ行くとは思わなかった」って言いますから。
◎―――大阪教育大付属池田高校ですね。
岡田――父が大阪で新しく会社を合併してつくる、それがジャスコなんです。兄は高校三年生で、弟が小学六年生だったものですから、きりが悪いから一年間待つ。「おまえはどうするか」と言われて「それじゃ大阪へ行くか」と。国立大学ですから受験も公立より早かった。それに受かれば北野高校を受けようかと思っていたんですが、通った途端に面倒くさくなってそこは受験しませんでした。一年間は大阪で父親と二人で生活して、父も半分くらいしかいませんでしたから、多少自炊みたいなことをして。一年は寂しかったですね。高校は紛争で二カ月ぐらい閉じちゃうし。
◎―――どうしてですか。
岡田――大学紛争の生き残りが高校に来て叱咤激励した。三年生に西川ってのがいましてね、後に「ハーグ事件」を起こした、あれは赤軍派ですか。ある日学校に行ったら閉まってて、封鎖ですね。私は田舎から出てきた一年生で、目が回るような、よくわからないような......。
◎―――バリケードつくったり、閉じこもっていたりしてたわけですか。
岡田――そうですね。学校の授業はやっていなかった。授業がないから集まって討論です、僕らは反対派ですけどね。三年生になって、日本史の先生が「君らが紛争のときに言ったような受験教育一辺倒の授業は私はしない」って宣言して、「私は近代しか教えないから、明治より昔は君たち自身で教科書を読んで勉強しろ」って言って、大学レベルの授業をやってくれたんですよね。いま同級生が集まると、「あの授業がいちばん印象深い」という話になりますね。
◎―――その頃は勉強はどうでした?
岡田――一年生は勉強しなかったし、成績はよくなかった。二年生はスランプで最悪でしたね。四十人でずうっと三十番台でしたものね。三年生になって心を入れ替えて勉強したということですね。
◎―――なるほどねえ。その頃は少しは記憶に残っている本はありますか。
岡田――あまり読んでいないですね。いろいろ考えごとはしてたような記憶はあるんですが。ともかく大学に滑り込みセーフでした。
◎―――何か本番に強いんだなあ。
岡田――わりと私、頑固ですので、例えば歴史なんかも「絶対おれは年号は覚えないぞ」って決意しましたので、一つも年号は覚えなかったんですね。
◎―――なんでそんな......。
岡田――「そういう無意味なことを強いる教育はおかしい」と。私、東大へ行きたかった理由って、東大の過去問を見ると、年号が出なかったというのが大きかったんです(笑)。うちは代々早稲田で、「なぜ官学なぞに行くのか」っていって怒られたんですが。
◎―――しかし、変わった決意だな。普通は「まあ年号も覚えとこう」というふうになっちゃうけれど。何か自分で方針を立てて実行するという感じがその頃からあったのかしら。
岡田――そうかもしれませんね。
◎―――東京ではまた一人でしょう。
岡田――賄い付きの下宿でしたので食事つき。当時、大学紛争の自主ゼミみたいなものがまだ残っていたんです。折原浩先生のもとで僕らはマックス・ウェーバーを読んでいたんですけれども。『職業としての政治』とか『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、わからないなりに印象を受けて。自主ゼミでしたので単位にはたぶんならなかったんじゃなかったかなと思うんですが。
あと、佐藤誠三郎さんがアメリカから帰ってきた新進気鋭の政治学者で、まだ三十代だと思うんですね。彼のゼミは毎週、四、五冊読まされるんです。
◎―――佐藤誠三郎さんは官界、学界のいろんなところに弟子がいますね。
岡田――当時、エズラ・ヴォーゲルの本なんかを読みました。彼が日本に来たときに書いたものかな、『日本の新中間階級』。ぜんぜん有名じゃなかったんですけど、後に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を書きました。のちに私のハーバード留学のときの先生です。あと、ロナルド・ドーア。
◎―――そのへんの学統がつながっているわけか。
岡田――「世界の名著」ってありましたよね。それでキルケゴールとかパスカルとかデカルトとか、全く歯が立ちませんでしたが、何か一生懸命トライしていた時代ですね。小説もずいぶん読みましたけれども、ドストエフスキーがいちばん。最近『カラマーゾフの兄弟』を読み直してみようかなと思ったんですが、全く読めなかった。感受性がたぶんなくなっているんだと思うんですけど。一、二年生は本の虫だった。「世界の名著」などいま読み返すと線があちこちに引いてある。でも、なぜそこに線を引いたのかが全くわからなくて(笑)。小林陽太郎さんの日本アスペンのエグゼクティブ・セミナーというのがありまして、おもに企業人が古典を読む研修なんですね。二年ぐらい前に参加したんです。「週に一時間は読んだほうがいいよ」とそのときアドバイス受けたんですが、なかなかね。
◎―――就職は。
岡田――司法試験は落ちました。もう二度と受ける気がしませんでした。
◎―――あれもめちゃめちゃ記憶しなくちゃいけないからなあ。通産省に入られてどんなことをしていたんですか。
岡田――最初は、中小企業政策。二年目で法律をつくれと言われてから、役所時代はわりと法律をつくることが多かったですね。
◎―――法律をつくるのは、見込みのある若手にやらせる仕事でしょう、霞が関全体を掴むために。
岡田――まあ、各省折衝など一通りありますからね。三年目、四年目はマクロ経済の担当で、福田内閣の河本敏夫通産大臣の頃ですね。課長が杉山弘さんって後の次官、最近、電源開発社長を辞めました。課長補佐が町村信孝自民党幹事長代理で、私が係長。麻雀とかずいぶん遊びましたけど、当時のマクロ経済の勉強、いま役に立っていますね。それが終わって第二次オイルショックで石油を扱って、緊急事態法制をつくったり、灯油とかガソリンの配給切符をつくって倉庫に仕舞い込んだりね。
◎―――そんな事態まで行ってたんでしたっけねえ。
岡田――そうです。あんまり表に出しませんでしたけど。
◎―――珍しい話だな、それ。
岡田――第二次オイルショックの役所の対応は、隠れた成功物語だと僕は思いますけどね。情報開示をしなかったと言われればそれまでなんですが、「大丈夫」だと言い続けながら配給のための法律とかの案は全部つくって、かなり忙しかった。かなり厳しい実態をそう大きな混乱なく乗り切ったんですね。大平首相の「東京サミット」のときですよ。
◎―――その後は。
岡田――機械情報産業局で、いま資源エネルギー庁長官の河野博文さんが企画官で、その下でコンピューター・ソフトウェアの法的保護の問題をやっていました。アメリカが著作権で保護するというのに、われわれが異論を唱えた。富士通、日立事件とかありましてね、IBMのソフトウェアを盗んでいたとかいう事件です。われわれは「著作権法では保護が厚すぎる。独自の法律をつくるんだ」と壮大な構想だったんですが、最後はアメリカ議会を抱き込んだIBMにこてんこてんにやられちゃったんです。いろいろ議論して面白かったけれど、そこで私は若干ナショナリスティックになったんです。それが終わって、アメリカに一年間行ってこいと言われて、ハーバードのヴォーゲルのもとで過ごしたんですね。しかし英語不得意ですから......。
◎―――どうなりました?
岡田――悲惨だったですねえ(笑)。最初の一カ月間、語学研修のときは地獄ですね。三十代になって行くのはしんどいですね。当時、家内と二人でしたから、家はソニーの盛田昭夫さんの話にならって、少し大きめの部屋を借りて、そこへいろんな人を呼びましたね。竹中平蔵も来たことがあるんですよ。みんな食べ物を持ち寄るときに、彼がちらし寿司を持ってきたのを家内が覚えていて、「竹中さんの顔をテレビで見るたびにちらし寿司を思い出す」と。彼は当時、日本開発銀行から来ていた。
◎―――いまの時代を背負う人たちの梁山泊でもあったわけだな。
岡田――僕がアメリカで買った家具は慶応の島田晴雄さんに売って帰ってきたんです。アメリカにいるときに、「ああ、政治もなかなかいいな」と。そのとき初めて「政治家にひょっとしたらなろう」と思った。それまでは全くそういう気持ちはありませんでしたので。
◎―――なんでそう思ったんですかね。
岡田――当時、レーガン大統領の時代ですよね。まあ、日本よりは政治家は尊敬されていますよね。政治への参加意識もあるし、それはハーバード、ボストンという独特の雰囲気はあったかもしれませんが、政治家が、あるいは政治が世の中を動かしているという、これは日本ではなかった新鮮な驚きですよね。
◎―――日本ではとりわけ派閥抗争の時代でしたからね。
岡田――それで帰国して、地元の四日市出身の山本幸雄先生と最初は喧嘩するつもりで地元へ帰っていたりしていたんですね。通産省を辞めて、選挙まで一年八カ月ぐらいでしたね。途中で山本先生の後継となりました。山本先生、党を変わってもずうっと応援演説してくれています。
◎―――それで当選。このときはしかし、自民党竹下派でしたね。いきなり政治改革と竹下派分裂がやってきた。
岡田――私、自民党総務会で亀井静香氏と取っ組み合いして新聞に載ったりしました。先頭切って小沢一郎氏擁護で自民党を出て新生党に行きました。
◎―――だけど、のちに新進党を小沢さんが解党したときに、岡田さんが反対する激しい演説をぶたれていましたね。
岡田――ビラ配りまでしましてね。「解党はおかしい」って。あれが小沢さんとの決別だったんですね。解党はもったいなかったですね。その前に羽田孜・小沢一郎の闘いがあって、私は母親と父親が喧嘩して、その子どもみたいな状況でした。なんとか仲直りさせようと思ったんですけど、だめでしたね。そこで二大政党に行くコースが逸れました。
◎―――そして民主党をつくる。
岡田――それから三年。僕はわりと落ち着いて、政局からは少し身をおいて、政策の勉強を中心にしてきたつもりなんですが、自分なりの基本的考え方の形が取れてきたので、少し政局のほうもと思ってはいるんですけどね。
◎―――「小泉ブーム」が出てきちゃって民主党は......。
岡田――僕は政権を取りに行ける党だと思っています。政策面では、自民党を超えたと思っているんです。小泉さんが出てきたのは、従来の自民党に対して国民は「ノー」と言ったということなのです。次の衆院選挙は本当に政権を取りにいく選挙になると思いますね。
◎対談後記◎
岡田克也氏は民主党のポスト「鳩菅」のエースである。衆院予算委員会での小泉内閣への岡田氏の質問は緻密で幅広い政策知識を身につけていて、一種の余裕さえうかがわせた。 ウェーバーを読み、「世界の名著」にトライし、エズラ・ヴォーゲルに学んだ岡田氏のたどった道を聞けば、かつての野党にありがちな反体制といったおもむきは全くない。それはかえって日本政治でのこだわりのない政権交代の可能性を期待させる。(早野)
[引用おわり]
[お知らせ1]
会員制ブログで今後の政治日程とそのポイントを解説しています。
今後の政治日程 by 下町の太陽
最初の1ヶ月は無料で試し読みできます。取材資金にもなりますので、ぜひご協力下さい。
[お知らせ2]
「国会傍聴取材支援基金」を設けました。他メディアにはない国会審議を中心とした政治の流れをこのブログで伝えていきます。質素倹約に努めていますが、交通費などがかかります。
「国会傍聴取材支援基金」の創設とご協力のお願い
ご協力いただきますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。
[お知らせおわり]