ロレーヌ、リュネヴィル城郭地図(17世紀)
劣化する文明の兆候
2016年の新年は、世界規模での大きな波乱で始まった。中国経済の減速、中東の大国イランとサウジ・アラビアの突如の国交断絶、さらに1月6日には北朝鮮が水爆の実験を実施したと発表。こうした動きを反映して、世界各地の株式市場は年初から株価下落、総崩れとなった。不安に満ちた年明けである。
EUの難民は文字通り「問題」のレベルへと深刻度を深め、昨年はほとんど沈静化への対応を提示できないままに、新年へ持ち越された。難民以外にも、昨年は世界的に多くの問題が生まれた(DER SPIEGEL chronik 2015の巻頭論説は、2015年を回顧し「新しい不安」 Die neue Angstと題して、歴史に特記される年としている)。
シリア難民、そしてこのたびのイラン・サウジアラビアの国交断絶に象徴される問題の根源となった宗教(派)間の争いは、しばしば激烈な様相を見せ、平静化には長い時間を要する。シリア内戦の行方が見えない状況で、今回の中東の両大国の衝突によて、中東情勢はさらに混迷し、新たな火薬庫が生まれるような危機感がある。世界各地で報じられる異常気象などの問題を含めて、21世紀は「危機の時代」というべき特徴が、すでに多方面で露呈している。
この「終わりの始まり」と題するシリーズは、当面EUにおける難民・移民問題を対象としているが、実はかなり広い問題領域を想定している。人類そしてそこに生まれた文明が「進歩」(progress) していると手放しにいえる時代は、すでに過去のものとなった。今世紀に入っても自然科学の一部を別にすれば、さまざまな「文明の劣化」、「歴史の退行現象」ともいうべき事態が多数発生している。難民問題へのEU諸国の対応を見ても、そのことは歴然としている。
現在EUに起きている以上の問題が、突如として日本や周辺諸国に起こる可能性も十分考えられる。しかし、この国の受け取り方には、報道のあり方を含めて、しばしばあたかも「対岸の火事」であるかのように、問題を離れて見ているような、あるさめた感じを受ける。これまで長年、かなり多くの移民・難民の調査、その映像記録などを目にしてきたが、今回のEUにおける難民問題のドキュメンタリーな記録にしても、BBCや他のヨーロッパ諸国の作品★は、概して現場に密着した迫真力がある。それに比して、このたびの問題についての日本の報道は、切迫感、臨場感がない。番組自体が他国のメディアの力を借りて、隙間を埋めているようにも見える。ひとたび、こうした事態が日本に起きれば、いかなる問題が生まれ、対応をどうすべきか。真剣に考えるべき問題であると思う。年初でもあり、これまでの記事との重複を覚悟の上で、状況を整理してみよう。
戦争が惹起した難民昨年、2015年にヨーロッパを目指し中東やアフリカ諸国などから移動した移民・難民の数はおよそ100万人、そのなかで地中海をトルコやアフリカからボートなどで渡った数は約972千人、陸路をたどった数は34千人に達したと推定されている。そして特に海上では3,771人が地中海で命を落とした(UNHCR, IOM)。すでに20世紀末くらいから地中海は「移民・難民の海」と化してきた。ILOなどの場で、議論はされたが、実効性のある対応はながらくイタリア、ギリシャなど当事者となった国まかせであり、EUが本格的に関与するようになったのは比較的最近のことである。
問われる政治家の責任
今回のEUへの難民の大規模な流入は、ある時期からメルケル首相の人道主義的発言で急速に加速化した要素がある。しかし、パリ同時多発テロによって、難民に紛れてテロリストが、入り込む危険が明らかとなった。現在は有効なてが打てぬままに泥沼化し、膠着状態になっている。
EUの主導的な政治家となったドイツのメルケル首相の立場、そして評価も急激に変化した。早い段階で、難民の受け入れに天井はないと明言していたメルケル首相だが、その人道主義的発言は、EU加盟国、そして足下の国内から沸き上がった強い反対に、短時日に取り下げざるをえなくなった。たとえば、チェッコ共和国の首相ボフスラフ・ソボトカは、メルケル首相が寛容な受け入れ方針を掲げたことが、中東、アフリカからヨーロッパへの不法移民・難民に期待感を抱かせ、大移動を誘い、拡大させたと批判した。これまでの経緯を見る限りでは、経験豊かなメルケル首相にしては、事態を楽観視していたとの評価も下せるだろう。
確かに、シリアなどからの難民が到達目標とする国はドイツが圧倒的に多い。推進力を失いつつあるEUをなんとか支えてきたドイツとしては、歴史的背景もあって、際だって突出することなく、しかし実質的にEUを主導し、支えてきた。受け入れを渋る加盟国を説得し、多数の難民・移民を率先受け入れてきた。
人道的観点から独自の寛容さを示してきた加盟国にも限界が見えてきた。これまで国民ひとり当たりの外国人受け入れでは、EUでも突出していたスウエーデン、デンマークも、新年早々1月4日に、移民の流入を抑制するため国境管理の導入に踏み切った。オーレスン・リンクといわれる両国間に横たわるエーレスンド海峡を結ぶ、鉄道道路併用橋と併用海底トンネルの通行を制限することになった。
刻々と変化する状況の下、難民は少しでも可能性があると見られる地を目指す。ドイツまで行けば、しばし祖国の戦火を忘れ、子供の教育を含め、安住することができるのではとの不確かな情報の下に、2000km近い旅をしている。その流れは、ドイツといえども入国管理を厳しくし、受け入れの許容度が不透明となった現在も進行中である
国境が復活するEU域内
シリア内戦などで戦場と貸した祖国を離れた難民は、EUの予想をはるかに上回り、しかも受け入れなどの準備などが整わない前に目的とする地へ到達してしまった。政治・経済上も不安定なバルカン・東欧諸国は、突如として押し寄せ、入国を求める難民の流れに対応できず、国境管理を強化し、急造の有刺鉄線、バリケードなどで実質的な国境封鎖に踏み切った。
事態の変化はドイツでも急速に進んだ。絶え間なく押し寄せ、言葉もよく通じない難民に対応することになった地域住民の反対も高まった。移民・難民問題の難しさのひとつは、地域的な偏在であり、住民の負担も平均化しないことにある。(南バヴァリアのヴァッサーシュタインでは、旧臘クリスマス・イヴに、2つの難民を収容したホステルで放火と思われる火災が発生、12人が被災、負傷した 。犯人はたたちに逮捕された。2015年だけでもドイツ国内の難民収容施設へのいやがらせや放火事件は200回を越えた。2015年12月24日 BBC)。
メルケル首相も、自らの与党である中道右派政党CDUの内部からの批判に答えて、12月中旬にはドイツは「はっきり分かるくらい難民を減らす」と言わざるをえなかった。政治家としての現実認識の弱さを突かれ、メルケル首相の国民の評価も急速に低下した。わずか3ヶ月ほどの間での激変である。それでも「政治はタフな仕事」、「難民危機はヨーロッパにとっての’歴史的危機‘」と彼女は感想を語っている。
退行するEUの理念
ヒト、モノ、カネ、サービスの国境を越えての自由な移動は、EUの掲げてきた共同体としての理想であった。しかし、この国境なきヨーロッパ実現の理想は、難民(移民)、テロリズムを抑止する目的のために、断絶を余儀なくされている。国境管理の強化という形で、かつての国境が復活し、EUの理念は大きく後退しつつある。
近年、ユーロの破綻がEUを破滅させるといわれてきたが、今回の難民・移民問題の方がEUを分裂させ、歴史のスケールを逆行させる危険性をはらむことが明らかになった。EUはシェンゲン協定(EU域内のヒトの移動のフリーゾーン、1974年には域内で国境を越えた人は170万人)、ダブリン協定(難民は最初に到着した国で難民として庇護申請する)の一時的な停止との考えをとっているが、域内各国は自らの国や地域の利益を最重視する方向に移りつつあり、短時日にEUの理想を目指す、以前の状態に戻るとは考えがたい。EUは地域住民や国民の利益擁護を前面に出した国々によって、国境の復活を図り、各国が17世紀の城砦都市のごとく、国境を復活させ、分断化の道を歩む可能性が高い。
EUの基本的理念の柱が大きく揺らぎ、後退することで、苦難を強いられるのは、行き場を失うことになる難民である。国境という壁で遮られる域内諸国で、彼らは戦火が収まらない祖国へ戻る術もなく、域内をさまよい歩くロマ(ジプシー)人のごとき漂泊の民となる。
★下記のいずれもNHK BS1で放映
'A long Jourey' (2015, 制作 BBC)
'The Crossing’ (2015, 制作 Norway)
text copyright(a) Yasuo Kuwahara 2016