上掲の作品は、今どこにあり、誰が寄贈したものでしょうか。この問に直ぐに答えられ方は、相当の美術館通でしょう(答は以下に)。
富豪たちの競う場
アメリカには実に多数の美術館があるが、その代表というべきものが、ここで話題としているニューヨークのメトロポリタン美術館である。ルーブル、プラドなどと並ぶ世界的な美術館である。美術館としては、巨大すぎて取りつきにくいのだが、さまざまな点で別の興味を引き出してくれる。いわば百科事典のような存在だ。個人的にも思い入れのある場所である。脳の奥底に埋もれてしまった記憶を引き出す糸口として、書き出したら次々と思い出すこともあり、止まらなくなってしまった(?)。
この巨大なメトロポリタン美術館も、1872年にニューヨーク市5番街681番地のダンシング・アカデミー跡に開館した時の所有点数はわずか174点だった。それが、今では200万点を超えるというから信じがたいほどの驚異的な増加である。その発展の過程で個人などの寄贈、寄付が果たした役割はきわめて大きいことはこれまでにも記した通りである。
寄贈者の名前が記されている銘板を見ると、富豪や名士ばかりではない。しかし、第二次大戦前についてみると、アメリカ史を飾る大富豪たちが所蔵していた素晴らしいコレクションが遺贈、寄贈などの形で美術館へ譲り渡され、その後の発展の基盤を築いたといっても過言ではない。 とりわけ、ここでとりあげているレンブラント、ヴァン・ダイク、フェルメールなどの17世紀オランダ絵画の名品は、富豪たちが競って収集する対象であった。
「金ピカ時代」の産物
多数の富裕層が登場、活躍した「 金ピカ時代 Gilded Age (ca. 1875–1900)」と呼ばれる繁栄の時を含む19世紀末から20世紀初頭の美術品市場は、こうした富豪たちの財力、知力を駆使しての競り合いの場だった。その内側を少し覗き込んでみると、興味深い事実が浮き上がってくる。
日本人が好きなフェルメールを例にしてみよう。現在、フェルメールの真作とみられるものは世界で35点前後といわれているが、アメリカ国内には12点が所蔵されている。そのうち8点はニューヨークにあり、その中の5点はメトロポリタン美術館が所蔵している。残りの3点は、フリック・コレクション(The Frick Collection, 1 East 70th Street, New York, N.Y., www.frick.org)の所蔵である。ちなみに、フリック Henry C.Frick(1949-1919) は、20世紀初頭に鉄鋼業で財を成した実業家である。
さて、メトロポリタンの所蔵するフェルメールはすべて寄贈あるいは遺贈によるものだ。最初の寄贈は1889年、今のところ最後の寄贈は1979年ということになっている。参考までに、年代順に記すと:
「水差しを持つ若い女」1889年、ヘンリー・G・マルカンド寄贈
「リュートを弾く女」1900年、コリス・P・ハンティントン遺贈
「眠る女」1913年、ベンジャミン・アルトマン遺贈
「カトリック信仰の寓意」1931年、マイケル・フリードサム遺贈
「若い女の肖像」1979年、ライツマン夫妻寄贈
こうした絵画のコレクターであった寄贈者たちは、いずれもアメリカ史に残る実業家たちであったが、その仕事の傍ら美術品の収集に力を入れてきた。その動機は個人的な楽しみ、投機的な対象、自らのコレクションの評価を向上させるためなど、さまざまであった。 マルカンドのように、純粋に美術を愛し、1870年の美術館設立の際に、1000ドルの寄付をしていたほどの富豪もいた。
2点目のフェルメール寄贈者コリス・P・ハンティントン(1821-1900)については、以前のブログで記したが、成功した鉄道経営者だった。彼の妻のアラベラは、コリスのコレクションを充実させるに力を注いだ。1900年にハンティントンは亡くなったが、遺言でコレクションのすべてをアラベラに、アラベラの死後は息子アーチャーに、さらにその後はメトロポリタン美術館に寄贈するようにと、最終的な落ち着き先まで記されていた。こうなると、相続人も大変ですね。
ベンジャミン・アルトマン(1940-1911)についても、前回記した。3点目の寄贈者である。アルトマンは、仕事以外は趣味の美術品収集だけが関心事だったともいわれる。とりわけレンブラントがお気に入りだった。アルトマンは1913年に亡くなる以前にコレクションのメトロポリタンへの遺贈を決めていた。その数は実に1000点以上、総額1500万ドルに達した。文字通り、美術館もびっくり!
彼の事業を引き継いだのは甥のマイケル・フリードサム(1860-1931)だった。彼は美術への関心もアルトマンから受け継いだようで、4点目のフェルメールは彼の寄贈となっている。
そして5点目は戦後であり、オクラホマの石油王チャールズ・B・ライツマン(1895-1986)の寄贈によるものだった。ちなみに夫妻は共同して多数の名品を獲得し、作品をメトロポリタンへ寄贈した。ルーベンスの「ルーベンスと妻と息子」、ラ・トゥールの「悔い改めるマグダラのマリア」*も、このライツマン夫妻の寄贈である。
*The Penitent Magdalen 1638-43 Oil on canvas, 133,4 x 102,2 cm Metropolitan Museum of Art, New York
もちろん、メトロポリタンについても、富豪ばかりでなく、美術を愛好する一般市民を含め、寄贈、遺贈、寄付など、さまざまな形で貢献した人々は、数え切れないほど多い。しかし、美術館の創成期の基盤が、多くの富豪たちの善意によって築かれたことは、ほとんど明らかである。現世の毀誉褒貶を帳消しにし、後の世にその名が残る確実な方法だ。世のお金持ちの方々に、ご一考をお勧めしたい。