1930年代大不況の光景から
この問題に「特効薬はない」 There is no panacea. という表現は、英語ではよく使われる。今回の金融危機についても、そのまま当てはまりそうだ。そして、高まる不安を前に、「次はなにか」 What’s next? も流行語になりつつある。
アメリカ議会下院が金融安定化法をなんとか可決したことで、暗雲はかなり取り払われるかに見えた。しかし、ニューヨーク株式市場は、1万ドルを割る4年ぶりの低水準でこれに応えた。日本の日経平均株価も10月7日にはついに1万円を割り込んだ。先行きへの不安が急速に拡大している。
新法は当面の対処にすぎず、危機の解決には不十分だという受け取り方が一般化している。どれだけの実効性があるか、関係者の間でも、かなりの見解の違いがある。市場を覆う大きな不安は払拭されていない。誰にも今回の危機の行き着く先は見えないからだ。
IT時代、情報流通が迅速化したといっても、世界が見通しやすくなったわけではない。むしろ世界は見えにくくなっている。さまざまな情報が行き交い、多くのプレイヤーがそれぞれに行動する。錯綜した動きが生まれ、予想外の方向へも展開する。サブプライム問題について、1年前、このような展開になることを予想した人は、ほとんどいなかった。
現状が恐慌といわれる状況に当てはまるか否かは、議論があろう。頻繁に起きる現象ではないこともある。しかし、1930年代の世界大恐慌がウオール街の株価大暴落から瞬く間に世界へ拡大したように、今回の金融危機の拡大速度も驚くほど早い。もっとも、危機の潜伏期間はかなりあったのだが、理由なき楽観と対応の遅れが今日を招いた。危機は当面二つの領域で深刻の度を深めている。
金融不安は震源地のアメリカから大西洋を渡り、ヨーロッパに激震を与えている。ドイツ、フランス、オランダなどで次々と銀行が破綻している。ヨーロッパの金融システムは、多分に脆弱性を残している。預金保護をめぐるアイルランドの対応は、たちまちにしてドイツ、デンマーク、イギリスなどに波及している。しかし、EUとしての統一的対応はまだ生まれていない。
もうひとつ、経済活動の後退は、金融経済の次元から実体経済へと浸透しつつある。9月のアメリカの自動車販売は前月比マイナス26%、農業以外の雇用もマイナス15万9千人と、大きな減少だった。経済不振は先進国から新興国へも拡大し、すでに香港、ロシア、インドなどへ浸透しつつある。危機感を深めた各国政府はそれぞれに対応しているが、個別の問題への対応はあっても、真の問題がどこにあるかは見えていない。症状は緩和できても、危機から逃避はできない。
今回の金融危機がいかなる帰結をもたらすかは、現時点では誰もわからない。しかし、少なくも2-3年は予断を許さない危機的状況が継続すると考える論者が多い。現在の段階では、金融危機の進行途上で、いわば病状は昂進の過程にある。いくつか注目すべき点がある。
グローバル化に伴い、国家の制御機能が低下し、アメリカなどが掲げていた金融立国戦略も行き詰まった。カジノ資本主義の発信地、ウオール街は決定的にその信頼を失った。
アメリカの影響力低下は拭いがたいが、「ポスト・アメリカ」の担い手も見えていない。多極化時代の到来ともいわれているが、まだ具体像は描きがたい。北京五輪を踏み台に、「昇竜のごとく」発展するといわれた中国も、環境・食品問題など思わぬことでつまづいている。態勢立て直しに躍起となっているが、かなりの時間がかかることは間違いない。世界金融危機の影響はほどなく、この国へも及ぶだろう。「神船7号」のニュースが、メディアを飾っているが、まもなく画面は大きく変わるはずだ。
あの失われた10年からなんとか立ち直った日本だが、グローバルな危機から逃れることはできない。株式市場はすでに激震を経験している。あの公的資金の投入でかろうじて救われた銀行は、無理な資金繰りをしなかったことでが幸いし、ダメージが少なかった。この間資金力を蓄えた銀行が、今回のグローバル危機の救済に寄与することは望ましいが、ここにたどり着いた経緯を忘れることはできない。
見えにくくなかった世界、最も考えねばならないことは、疑心暗鬼が増幅し、不安の連鎖を生むことだ。これだけは避けねばならない。
グローバルな金融危機の中、個々の人間は嵐に翻弄されるままだ。英誌 The Economist が興味深い比喩を提示している。金融システムは正常に機能している時は、あたかも健康な人が呼吸していることを意識していないように、そこに流れる信用の存在を人々は意識しない。しかし、ひとたび機能不全が起きると、呼吸の重要性に気づくことになる。今は、深呼吸をして、その重要性を十分認識する時だという*。いたずらに不安を増長させることなく、落ち着いて来るべきシステム、カジノ資本主義の後に生まれる世界へ思いを馳せるべき時なのだ。
* 'World on the edge.' The Economist. October 4th 2008.