FDRへの関心の高まり
アメリカ大統領選も大詰め近く、行き着く先がかなり見えてきた。しかし、最後まで予断は禁物。なにが起こるかわからない時代だ。世界中で株価は暴落。日本でも東証日経平均株価は28日、26年ぶりの安値を記録した。
ところで、アメリカの歴代大統領の中で最も人気がある上位3人とは、誰でしょう。答を先に言ってしまうと、世論調査などの結果をみるかぎり、ジョージ・ワシントン(George Washington 初代)、アブラハム・リンカーン (Abraham Lincoln、第16代) そして、フランクリン・デレノ・ローズヴェルト(Franklin Deleno Roosevelt (FDR)、第32代)ではないかといわれている。
最初の二人はともかく、FDRも少なくとも上位5人の中には入るとされる(こうした世論調査?の妥当さや詳細については、ここでは取り上げない。FDRの表記についても、日本ではルーズヴェルトが多いが、アメリカ英語ではローズヴェルトに近い。ちなみに第26代大統領のセオドア・ローズヴェルトは従兄弟に当たる)。
FDRのイニシャルは、昨今の金融危機との関係で、アメリカのメディアに頻繁に登場している。あの大恐慌の時代、「ニューディール」政策を展開した大統領であり、第二次大戦の終結に向けたヤルタ会談の3人、チャーチル、ローズヴェルト、そしてスターリンと、世界史を書き換えた立役者の一人だ。世界史の教科書には必ず出てくるおなじみの顔である。
伝記コーナーから
ところで、欧米の書店にあって日本ではほとんど見かけないのは、伝記 biography のコーナーだ。あまり好みのジャンルではないので、立ち寄る機会はそれほど多くはないが、何人かご贔屓の人物がいないわけではない。そのひとりがFDRだった。特に際だって好みというわけではなかったが、強く印象に残った。かつてこの時代の労働・社会保障政策の立案過程について多少調べごとをした時に、興味を惹かれて関連文献を読んだ。その折りに当然とはいえ、最も耳目にした人物であった。加えて、指導教授の中にニューディール実施にかかわった人たちが何人かいたので、FDRにまつわる興味深い話をいくつか聞いた。
「私の知るローズヴェルト」
FDRについての伝記のたぐいは、かなりの数が出版されているが、個人的にはFDR政権下、女性として初めて労働長官を務めたフランシス・パーキンス女史の回想録「私の知るローズヴェルト」 The Roosevelt I Knew* が残した印象が最も強い。
ひとりの親しい友人として、そして後年閣僚の一人として、FDRを近くで見知っていた女性の回想録だ。伝記ではないこと、そしてFDRびいきであることも彼女自身認めている。
パーキンス女史は、FDRがニューヨーク州知事の頃に見出され、FDRが大統領に当選後、労働長官として登用され、FDRの任期のほぼすべて12年間にわたり同ポストを務めた。ちなみに、当時の労働長官は、彼女が記しているように、閣僚の中では最も低いポストだった。ワシントンDCの労働省ビル本館は、彼女を記念した名前がつけられている。
評価が分かれた大統領
FDRは歴代アメリカ大統領の中で、ただ一人四選された人物である。それだけ国民的人気があったといえよう。しかし、ニューディールという、政府が大きくかかわり、しばしば問題を含む政策を次々と実施したこと、ソ連への寛容な対応などもあって、支援者も多いが、批判者や政敵も多かった。アメリカ現代史におけるFDRの評価は複雑だが、比較的人気が高いのは、大恐慌の中からアメリカをなんとか救出した功績によるのだろうか。もっとも、それは第二次世界大戦勃発による軍需景気によるところが大きかったのだが。
さて、FDRは、四選されてまだ日が浅い1945年4月12日、保養先のジョージア州ウオーム・スプリングスで脳出血を起こし、急死してしまった。大恐慌、第二次世界大戦という未曾有の危機に、アメリカの大統領として絶大な国民的信頼を得ていただけに、国民の衝撃は大きかった。しかし、幸い大戦は間もなく終結に向かう。
パーキンスは、FDRが急死する二週間ほど前に会った時に、「ヨーロッパの戦争は5月末までに終わるよ」と内緒の話を告げられたと記している。その言葉通り、同年4月30日、ヒットラーはドイツの防空壕で自殺し、5月8日にはドイツ軍無条件降伏の報せが伝わった。そして8月には日本が降伏した。(ちなみに、FDRは戦争が終わり次第、エリノア夫人とともに、イギリスを訪れる予定をもっていたらしい)。
FDR晩年の健康
FDRの生涯とその時代については、大変興味深い話が多いのだが、ここではパーキンス女史が見た晩年のFDRの健康状態について記してみたい。あまり、他の伝記には出ていない話である。ご存じの通り、FDRの容貌は、ヤルタ会談のチャーチルと並べてみると明らかなように、かなり印象に残るものだ。
晩年のFDRのについて、パーキンスは次のように語っている:
「大統領の時代、ローズヴェルトは齢を重ねた。皆それは知っていた。われわれも皆年を取った。彼の髪は薄くなり、白くなった。顔の皺も増えた。1933年(大統領就任時)の写真と1940年の写真は驚くほどの違いだ。容貌もふっくらとして、デラノ家の家系に特有の顔つきになって、彼の叔父や母親に似てきた。33-34年の頃は大変似合っていた、あの細身の若者の面影はなくなった。これは座っている仕事が多くなったこと、加齢、働きすぎ、よく食べたためなどの要因が重なったからだ。」(Perkins 388)
「ローズヴェルトは食欲旺盛だった。何を食べたか気づかないほど、なんでも食べた。好き嫌いなく食べ、食べ過ぎることをあまり心配しなかった。医師たちはいつも少しでも減量させるように努めていた。というのも、体重が多くなり、松葉杖を使うのが難しくなっていた。少しでも体重が減れば、良いと思われた。
彼は風邪を引きやすかった。加えて、ワシントンは気候がよくない。しかし、閣僚の誰もが風邪を引いたし、時にはかなり寝ついてしまう人も多かった。大統領のちょっとした冗談のひとつは、私は”かよわい女性で”というものだったが、彼自身は風邪で寝つくようなことはなかった。」(389)
パーキンス女史が見たかぎり、FDRは昨今話題のメタボ状態がかなりひどかったようだ。さらに1944年の冬頃から少しずつ体力を失っていたらしい。実はFDRは大統領に選ばれる前、1921年、小児麻痺に罹病し下肢の自由を失い、松葉杖や車いすの補助なしでは歩行できなくなっていた。座った写真が多いのはそのためだが、FDRはメディアにできるかぎりその事実を隠していた。大きなハンディキャップを負いながらも、長年にわたる激務をこなしていたのは、彼が強靭な精神力の持ち主であったことを示している。それでもヤルタ会談から帰国後の写真を見ると、憔悴の色がありありと感じられる。
危機の時代の政治家
FDRの大統領としての仕事ぶりについて印象に残るのは、決定と実施の迅速なことだ。とりわけ危機の時代には、政策実行の逡巡や遅滞は、不安や憶測を呼び、予期せぬ結果につながりかねない。
流行語となった「最初の100日間」の成果が、FDRの政権前半の国民的人気を支えた。未曾有の経済危機の下、図らずも政権交代期を迎えた日米両国。いま、「最初の100日間」になにをなすべきかが問われている。
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Frances Perkins. The Rosevelt I Knew. New York: Harper & Row, 1946
FDRに関する数多い伝記や回想の中で、比較的バランスがとれていると思われるのは、ベストセラーともなった下掲の「FDR」かもしれない。最近もPB版が刊行されている。
Jean Edward Smith. FDR. New York: Harper & Row, 1952.
その他関連資料:
William E. Leuchtenburg. Franklin D Roosevelt And The New Deal, 1963.
Robert H. Jackson, William E. Leuchtenburg, and John Q. Barrett That Man: An Insider's Portrait of Franklin D. Roosevelt, 2004
Alan Winkler. Franklin D. Roosevelt and the Making of Modern America, 2006.
Richard D. Polenberg. The Era of Franklin D. Roosevelt, 1933-1945: A Brief History with Documents, 2000.
Joseph P. Lash, Jr Arthur M. Schlesinger, and Franklin D. Roosevelt Jr. Eleanor and Franklin: The Story of Their Relationship, based on Eleanor Roosevelt's Private Papers, 1971.
Frances Perkins を記念するウエッブサイト:
Frances Perkins Center