日本はディズニーランドか
新春にたまたま読んだイギリスの総合雑誌の論説に、日本に言及した興味深い記事があった*。このブログの関心領域に触れる課題なので、忘れないうちに簡単に感想を記しておきたい。
今日の日本で、外国人がどこへ旅行しようとも、初めて外国人を見るような奇異な目で遇されることは恐らくないだろう。日本各地の人々にとって、外国人は少なくとも珍しい存在ではなくなった。
日本に外国人労働者が目立つようになった1980年代以降、ずっと現場を見続けてきた者にとっても、瞠目する変化だ。少なくも「第二の黒船」論は聞かれなくなった。交通・通信手段の著しい発達もあって、外国人とのアクセスの場面は明らかに増加した。お隣の国、韓国では2008年時点で人口の42%が外国人と話をしたことがないとの調査もある。しかし、韓国の外国人居住者の数は過去7年に120万人増え、人口の2%に達した。外国人労働者の受け入れには、日本より積極的だ。
外国人(移民)労働者受け入れという点では、先進諸国の中で日本はかなり特別な目で見られてきた。人口に占める外国人の比率が2%に達していない。日本は外国人にとって本当に居心地が悪い国なのか。もしそうだとすれば、なにが原因なのか。これまでにも、さまざまに探索がなされてきた。外国人(移民)については、多くの視点からの分析が可能だ。従来、経済学、社会学、文化人類学などに立脚した研究が多いが、それだけでは一面しか見えてこない。実態を正しく見るには、多面的な観察と分析が欠かせない。
その中で興味深い視点は、Foreign (外国の、異質の、関係がない、などの意味)とは、いかなることを意味しているかという観点からのアプローチだ。この観点に立つと、いくつかの注目すべき側面が見えてくる。たとえば、アメリカでは旅行者は別として、国民の誰もが自分は外国人であるとは思っていない。あるいは場違いな所にいるとも感じないようだ。それは、いうまでもなく、ほとんどすべての国民が、元来外国人あるいはその子孫だからだ。彼らの先祖の国籍は、世界のほとんどすべてをカバーしている。
他方、外国へ旅をして自分がそこでは外国人として見られている、あるいは地元の人とは違った「異質な」(foreign)存在だと感じる地域は、地球上で少なくなっている。外国から来た人たちが自らを「異邦人」と感じ、現地に住む人たちから彼らとは異なる「外国人」としてみなされる地域は、アフリカ、中東、アジアの一部くらいだろう。
先進諸国における外国人の人口に占める比率は約8%、不可逆的に増加しており、外国人が真に自分が外国人と見られていると思う国は次第に少なくなっている。外国人であることは、まったく珍しくない状況になった。
こうした中で日本は依然特別な目で見られている。確かに、移民受け入れの歴史も浅く、外国人比率も先進国中でも最低に近い部類だ。この点について興味深い視点は、日本という国はディズニーランドのような仕組みで出来上がっているという見方だ。それによると、日本は外国人を含めて、誰もがある定められた役割を演じることを求められている国であるという。すべてが同じ目的の為に暗黙裏にも準備されている。
確かに思い当たることは多々ある。外国人は定住が認められた後も、ずっと外国人であり続けることが求められている。外国人は外国人らしくあるべきだという有形無形な枠組みが日本には存在するとでもいえるだろうか。高い言語の壁、宗教、道徳性などがその仕組みを支える役割を果たしている。さらには急速に西洋化することへのためらいや反発があり、近年の中国の急成長への対応もあって、アジアへの傾斜も見られる。
他方、アメリカでは心理的には誰もあまり壁を感じることなく、アメリカ人になれる。しかし、日本では外国人が日本人になることはきわめて難しい。日本に長く住み、日本語に熟達していても、いつになっても外国人のままなのだ。確かにその通りだといえよう。しかし、もしそうであるとしても、この仕組みを作り上げている論理は不明な点も多く、十分には解明されていない。
日本は外国人労働者(移民)の受け入れに、出入国管理などの制度上でみるかぎり他の先進国並みあるいはそれ以上に開放され、寛容であるとの主張がある。しかし、現実には日本が望むような高度な技能、専門性を持った人たちが期待するほど入国、定着しない事実は、そこに目に見えないしきたりや制約(壁)が存在することを暗示しているかもしれない。
他方、アメリカの覇権を求める帝国主義的行動あるいは専横性を嫌う人々がいても、アメリカの最大の力は人々がそこに住みたいと思うことにある。世界の移民希望者に最も移住したい国を聞けば、アメリカは図抜けて希望者が多い。外国人を外国人と思わせることなく、吸収・同化してしまう国である。アメリカを最大のライヴァルとみなす中国でも、アメリカ留学希望者はきわめて多い。その中には、北京の最高指導者たちの子女も含まれている。彼らは、大きな摩擦なく受け入れ国に留まる上で必要な世俗の術にもたけている。合法移民・滞在者として税金を納め、生活に困らない程度の英語を話し、受け入れ国に親密な態度を示すという程度の内容である。
明らかに国家的衰退の兆しが顕著になっている日本にとって、活性化の重要な選択肢のひとつに移民(受け入れ)政策がある。しかし、国家のあり方まで含めて、徹底議論されることはほとんどない。先進諸国の中で、唯一人口を増やしているのはアメリカだ。もちろん、移民がアメリカを強い国としている唯一の原因とは考えられない。デメリットも当然ある。しかし、基本的に外国人が住みたいと思わない国に明るい未来があるとは思われない。オバマ大統領の誕生に見るように、新しい考えが生まれないかぎり、創造も発展もない。100年先の国のあり方を見据えて、外国人も視野に含める新しい人口政策の構想が必要だろう。「国家戦略局」(仮称)が考えねばならないことは、日本の将来にかかわる基本構想、基軸を国民に示すことではないか。それなくして日本が「輝く国」とはなりえない。
References
*“The others”and “A ponzi scheme that works” The Economist December 19th 2009
George Mikes. How to be An Alien. 1973
上記ブログ記事は雑誌論説に触発された管理人の感想にすぎません。当該雑誌の論説詳細は上記を参照ください。