大戦経験の風化の中で
戦後長らく日本とドイツは、さまざまな点で比較されてきた。両国共に、第二次世界大戦の経験はすっかり風化しつつあるようだ。ある若い世代のグループに日独の戦後にかかわる話をする機会があったが、どれだけ分かってもらえたのかまったく定かでなかった。日本とドイツが第二次大戦における敗戦国であるという実感が想像以上に希薄化している。大戦についての現実感がまったくなく、「のれんに腕押し」という印象だった。時の流れの生み出す恐ろしさ、虚しさを厳しく感じる。
総じて1980年代までは、両国ともに「奇跡の復活」をとげた国だった。とりわけ、ASEANなどのアジア諸国、そして中国、インドの台頭まで、かつての敗戦国日本はアメリカ、ヨーロッパとともに、世界経済の牽引車の役割を果たした。その後、日本はバブル経済破綻後の経済運営に失敗、長い停滞と国力の著しい衰退の過程にある。ドイツは日本ほどの決定的破綻は回避したが、ベルリンの壁崩壊による東西ドイツ統一の熱狂的高揚は急速に冷却していった。しかし、ドイツには今の日本のように国を覆いつくすような将来への不安感はあまり感じられないようだ。
オルソン仮説の生きた時代
今は亡き優れた経済学者M.オルソンが、イタリアを含めた第二次世界大戦の敗戦国が、戦後ある時期まで揃って高度成長を享受しえたのは、これらの国々が敗戦によって、戦前に蓄積した様々な政治・経済・社会的束縛、しがらみの多くを失い、アメリカやヨーロッパの戦勝国よりも進んだ最新技術、新産業の展開をなしえたことだと述べたことがあった。さらにこうした敗戦国は、財閥やコンツエルンあるいは労働組合などに代表される「特殊利益集団」の社会的束縛からも相対的に解放され、企業や労働者は自由な活動の場を享受しえたとした。
しかし、その後のグローバル競争の場では、早い時期に脱落したイタリアを含め、日独両国ともにかつての輝きを失い、すでに長い時間が経過した。その間、敗戦という思いがけない歴史的出来事で、戦前の新たな経済効率や成長を阻害する要因が、これらの国々に形成されたようだ。主要工業の設備年数なども老朽化が進み、新興国に追い抜かれてしまった。ドイツにしても、東西ドイツ統一達成の輝かしいユーフォリア、高揚感に包まれていたのは短い時間であった。
日本の惨状はもはや語るまでもない。この国は、次世代にあまりに大きな負担を残してしまった。戦後の硬直化した政治・経済・社会制度を修正しようとした規制緩和などの制度改革の試みは、全体的展望、時代的方向性、具体化の過程など、多くの点で重大な誤りを犯し、現在の深刻な状況を生んだ。その後、国民の失望と不信を背景に、政権交代に成功した民主党系連立政権も、国家としての基本構想、政策立案などの面で、国民に確たる方向性を示し得ず、惨憺たる混迷状況を続けている。あたかもオルソンが提示している経済的停滞をさらに「下方への悪循環」へと導く危険性が感じられる。
もうひとつの極であり、世界の指導者を自負してきたアメリカも、その基盤は大きく揺れ動いた。オバマ大統領も就任当時の国民的熱狂はどこへやら、支持率も低空飛行を続け、医療改革はなんとか形をつけたが、秋の中間選挙への反転材料を確保するのにやっきとなっている。米ソ核兵器削減など、最近ようや人気回復・反転の時を迎えたとされているが、どうだろうか。
見直されるドイツとメルケル首相
その中でこのところ注目を集めているのがドイツだ。国家として動きが鈍い、特色がないとの評判だが、予想外に弾力的だ。経済成長は2006年から低下の一方だが、失業率はなんとか一定範囲に抑え込んできた。EU域内のライヴァル国であるフランス、イギリスが不振を続ける傍らで、ドイツはヨーロッパのエンジン(Europe's engine: The Economist March 13th-19yh 2010)と積極的に評価されている。ドイツなしにEUは浮揚できない。
評価が高まっているのは、アンゲル・ドロテア・メルケル首相だ。2005年CPU(キリスト教民主同盟)党首として、第8代ドイツ連邦共和国首相の座に就いた当時と大きく変わった。当時は「コールのお嬢ちゃん」Kohls Mädchenなどと揶揄されていたが、いまや「鉄のお嬢さん」 Eisenes Mädchenに変わっている。サッチャー首相の「鉄の女」に対比されていることはいうまでもない。メルケル首相のことを最初から注目して観察していたわけではないが、サッチャー、クリントンなどのアングロ・サクソン系の女性指導者と比較すると、デビュー時、そしてその後の活動ぶりがかなり対照的に見える。派手さはないが、抑えるところをしっかり抑えて危なげがない。もっとも、これはヨーロッパから離れて見ているからかもしれない。
興味深いのは、西欧の政治世界ではスタンドプレーに走らず、地味な印象に終始してきたことだ。「最初は処女のごとく?」なんとなく控えめで、なにをやるのか、できるのか分からなかったが、着実に実績を積み上げてきた。東ドイツ出身、科学者、保守系、女性という出自・背景が影響しているのかもしれない。感情をあまり露わにしないのも、野党やマスコミの攻撃を抑えている原因かとも思う。果断さはあまり感じられないが、着実で安定している。ギリシャ救済問題でも、彼女の意思は強く、EU単独で救済した場合にドイツが最大出資者になることを恐れて強硬に反対を続け、ついに他のEU諸国の結束を揺るがし、意図を貫いた。隣国フランスのような派手さはないが、しっかりと国益は守るしたたかさを備え、なんとなく現代ドイツという国を象徴するような女性だ。
現在のドイツは、かつてのような先端技術産業の旗手というイメージはないが、自動車産業を中心に幾度となく大きな破綻を回避し、手堅い国家運営ぶりを示している。自動車企業もそれぞれ国際的な企業連携の道でなんとか生き抜こうとしている。
もっとも、GDPに占める研究投資も先進国の間では、ほぼ中位に位置し、戦前と異なり、グローバルな市場で首位を走る産業・企業もさほど多くはない。高等教育でも過去にとらわれすぎ、卒業生の数が少なく、時代の変化に対応できていないともいわれる。かつて世界をリードした医学もアメリカなどにとってかわられた。科学技術国ドイツというイメージはかなり薄れた。他方、女性と移民労働者は十分活用されているとはいえない。多文化主義の理想は、破綻状態だ。
統合後の東西ドイツは相互に近づいているが、真に融合するには多くの時間を要するだろう。アメリカや日本のように、政権が民主勢力に変わることはなかったが、政党の分裂状態はこの国でも避けがたい。
このような問題を抱えつつも、ドイツには頑健さと安定感が感じられる。The Economist誌*が、ドイツの特集のタイトルに「歳を重ね、賢くなった国」と形容している。しばしば利害の衝突を見せながらも、EUにおけるドイツへの信頼と期待は強まっているようにみえる。かつて同じ道を歩んだ東洋の国は、ドイツからはどうみえるのだろうか。同じように歳はとったが、賢くなったという評価はどうも聞こえてこないのだが。
*References
Olson, Mancur. The Rise and Decline of Nations: Economic Growth, Stagflation, and Social Regidities. New Heaven and London: Yale University Press, 1982.
“Older and wiser: A special report on Germany.” The Economist March 13th 2010