時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

夏の夜の現実

2011年07月07日 | 特別記事

 

 

さくらごは ふたつつながり 居りにけり   犀星

 

 福島市に住む知人がいる。住居は市の中心部に近い所だが、風向きの関係からか放射能の計測値が高いとされ、窓も開けられず、洗濯物も外に干せないという。福島第一原発からはおよそ60キロメートルの所で、避難区域外だが、近くの学校のグラウンドの放射能値が高く、表土を取り除いてほしいとの要請が生徒の父母から出されている。自宅は地震では大きな被害を受けなかったが、その後の生活は激変してしまった。春は桜が美しく、白雪が残る吾妻連峰がすぐ近くに迫って見える静かな住宅地だ。

 

風評被害はすでに日常生活の中に広く、深く浸透している。震災後、しばらく水道管も破損し、水を求めて大変な苦労もした。ようやく復旧はしたが、水道水は飲用に適さないとの噂が流れ、特に子供を持つ親たちは大変心配している。井戸を掘ることを考えている家庭もあるという。しかし、新しく井戸を掘っても、果たして飲用水になるかまったく分からない。子供たちには、これまでの日常ではほとんど縁のなかった、ボトル入りのミネラル・ウオーターを飲むように勧めている。屋外の草取りなどの作業も、控えめになる。

 

先祖代々住み慣れた故郷の地を離れて移住するなど、現実には論外だ。原発被災地から避難している子供たちの間でも、放射能がついているからといういじめがあると聞かされた。

 

県外からの訪問者にも大変気を使っており、食べ物には、必ずこれは福島県産ではありませんからと、一言添えられる。そんなに気を配らなくともいうのだが、思わず次の言葉に詰まる。近くの農園には桜桃が美しく実り、収穫の時期だが採取しない農家も多いとのこと。採算がとれないので、市場に出せないのだそうだ。出荷された果実には、箱ごとに知事の安全証明書までつけられているのに。当事者でなくとも、怒りは収まらない。

 

原発の現場には、部外者には分からない過酷な状況と苦労があることは、さまざまに伝えられ、推測はできる。日々仕事に従事されている労働者などの強い責任感にはひたすら感謝の念しかない。

 

循環冷却のシステムがなんとか動き出したと伝えられるが、これまでに圧力容器の外へ様々な経路で流出しているあるいはすでに流出した汚染水は、どうなっているのだろう。いずれ周辺の地下水脈へと流れ込むのではないかとの疑念は消え去らない。底の抜けた水槽の間に綱渡りで、水を循環させているようなイメージが浮かんでしまう。こうした素朴だが基本的な疑問に、専門家は沈黙し、納得できる答えをしてくれない。

 

 蒸し暑く眠れない夜、ふと目覚めて「真夏の夜の夢」かと思いたいが、夢とはほど遠い厳しい現実がそこにある。

 

コメント
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