時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

3.11を後世に恥じないために

2011年07月12日 | 特別記事

 


時代の風は変わった
 今年2011年が世界の歴史において、後世、いかなる評価をされることになるか。ふと頭をかすめて、以前に半ばタイトルに惹かれて購入したが、十分読み込んでいなかった、
Hywel Williams. Days that Changed the Worl: The 50 Defining Events of World History, 2007 (『世界を変えた日:世界史における50の決定的出来事』)なる一冊を手に取る。文字通り、書棚の片隅に押し込まれていた。ここで、この作品の書評をするつもりはない。ただ、今回の大震災、原発事故の意味を考える上で、50の出来事が選ばれた相対的位置・重みに関心を持った。

 選ばれた50の出来事は、歴史の時代区分からみると、BC480928日の「サラミスの戦い」(ペルシア戦争中、ギリシア軍がこの付近の海戦でペルシア軍を破った) から始まり、2001911日の「同時多発テロ」で終わっている。刊行年(2007)の関係で、その後の出来事は含まれていない。

 
選ばれている50の出来事については、人によって当然異論が出てこよう。ただ、注目したことは、この中に日本が直接、最大の当事者として登場する2つの出来事がある。50件のうち、2件というのは日本の国力や役割から見て、多いのか少ないのか、これも議論はあるだろう。しかし、その内容は、いずれも人類の運命、文明のあり方に大きく関わる。ひとつは1941127日(現地時間)の真珠湾攻撃、もう一つは1945年8月6日の広島への原爆投下(長崎への投下はここに含まれる)である。人類史に深く刻み込まれた、これらの事実が消えることはない。  

 
この歴史的時間のスコープを今年2011年まで延長するならば、3月11日の東日本大震災そして福島第一原発事故が含まれることはもはや疑いもない。とりわけ、後者の事故で、日本は被爆国として甚大な被害(広島・長崎)を受けた国でありながら、今度は放射能の放出者として加害者(国)の立場にもなってしまったことだ。痛恨きわまりない出来事だ。


人類に対する加害者にならないために
 
福島第一原発をめぐる日本での議論を見ていて、最も違和感があるのは、天災・人災が重なり合った歴史に例を見ないこの大事故について、国内の被災者に十分な対応ができていないこともあってか、議論が混迷しており、後者の意識が相対的に薄いことだ。

 
放射能は大気、海流などを介在して、日本の被災地にとどまらず、世界各地へ拡散する危険性を持っている。さらに渡り鳥、動物、魚貝、飲料水、食品などを通して、世界へ拡大する。いうまでもなく、こうした危険が発生・拡散することを、なんとしても阻止しなければならない。しかし、すでに食肉牛などの分野で、基準を超える肉牛が発見され、問題となっている。

 
中国、韓国などの近隣諸国のみならず、アメリカ、カナダなどで、汚染問題に強い関心が寄せられている。第二次大戦中の「風船爆弾」のことを記憶する世代は、いまや急速に少なくなっているが、ジェットストリームに乗ると、大気中に放出された放射能は、3日程度でアメリカ西海岸に到達するともいわれている。

 
すでに、福島第一原発事故は、世界各国のエネルギー政策を根本的に再検討させる反面教師の役割を果たしつつある。事故発生以来の欧米、とりわけドイツ、イギリスなどのメディアの関心、報道ぶりを見ていると、連日のように、時には日本のメディアよりも詳細に報じている。原発大国のひとつフランスも、サルコジ大統領の強気な発言と併せて、大規模な風力発電への投資を発表している。


終わっていない9.11
 
2011年は、もうひとつ、オサマビン・ラディンの殺害という2001年の9.11同時多発テロ事件を起点とするテロリズム拡大へ、ひとつの区切りをつける年ともなった。しかし、アルカイーダは掃討されたわけではなく、すでにさらなるテロによる復讐を宣言している。9.11に終止符が打たれたわけではない。ひとつの読点(、)が打たれたにすぎない。

 
世界の原発問題は、もはや地震など天災だけをリスクの根源に限定することはできない。人災を含め、あらゆるリスクの可能性を考えねばならない。とりわけ、人災のリスクは、今回の福島第一原発への対応をみてもきわめて大きい。人間の対応の誤りが、天災のもたらした結果をさらに悪化させてしまうことは、寺田寅彦などがすでに指摘していた。他方、最近も本ブログに記したように、ひとつの大きな惨事が契機となって、大きな社会的改革を生み出す契機となったこともある。

 
福島第一原発事故は人類史上、類を見ない災害ではあるが、それが大きな反省を生み、次の新たな時代への転換・再生の礎(いしずえ)として、人々の記憶に留められるならば、次の世代の歴史的評価もすべて負のイメージで受け取られることもないかもしれない。あの時の日本の決断が、人類を救ったと後世に伝えられるようにならねばと思う。

 
そのためには、当事者たる日本人はなにをしなければならないか。決断しなければならない時は迫っている。それは歴史における日本そして日本人の評価を決定的に定める。グローバルな視野は不可欠だ。福島第一原発の放射能汚染をなんとか極小の域に閉じ込めることは、当面の最重要課題だが、エネルギー政策についての地球規模を背景とした基本方針の設定も早急になされねばならない。災害は待ってくれない。

 
日本が近い将来依存するエネルギー源については、未解明・不安定な点も多いが、決断のための材料はほぼ出そろったように思われる。時間を要する細部の問題は、今後の議論にゆだね、日本として、基軸となるべき方向を明確にするべきだろう。政治家の責任はきわめて重い。そして、今度こそは国民ひとりひとりが、次の世代に恥じることのない判断を下さねばならない。

 

 

コメント
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