日本は天災が多い国だなあと常々思ってきたが、このところ世界中の気象変化は明らかに異常に思える。「天災は忘れた頃くる」といわれてきたが、この頃は忘れないうちに次の天災がやってくる。気象変化に限らず、世界は大小の危機で覆われている。危機にであふれているといえるかもしれない。これまでの経験を基礎に少し冷静に考えでば、我々は頻繁に起きる危機的状況に慣れてしまい、危機と感じる機能が麻痺しているのかもしれない。人類の歴史を回顧してみると、現代の世界はかつてなく危うい事態にあると見るべきではないか。
たまたま前回取り上げたアメリカ南部テキサス、ルイジアナ、フロリダ州などのメキシコ湾沿岸部諸州が大きな被害を受けたようだ。災害はこの地域を襲ったハリケーン・ハーヴェイによるもので、記録的な大洪水が発生した。その中心はアメリカ第3位の都市ヒューストンだが、発表された情報をみる限り、隣接する諸州などでもかなり甚大な被害をもたらしたようだ。予想を上回る規模で、水が完全に引くまでは1週間から10日はかかるといわれ、遠く離れた知人や家族のところまで避難しないといけない人々も現れた。
その中で思わぬ災厄と恐怖に追われている人たちは、世界各地からこの地に住み生活している移民労働者、とりわけ不法滞在者といわれる人たちだ。例えば、ヒューストンでは、ヴィエトナムやインド人が集住しており、アフガニスタン人の人口はアメリカで一番多い。しかし、最も大きなグループはメキシコなどラテン・アメリカから入国に必要な書類を所持せずに国境を越えて入国してきたひとたちだ。この人たちは、ヒューストンではレストラン、ホテル、建設業などで働いていることが多い。ヒューストンについてみると、およそ60万人の不法移民の家族が水害の恐怖から逃げ出していると推定される(Pew Research Center)。9月4日には新たなハリケーン・イルマが発生、フロリダに近接していることが報じられ、さらに危険が増大しつつある。
洪水の中、救出やパトロールのために巡回してくるボートは、逃げ場を失った人たちには命の綱となるが、不法滞在者には、一般の人とは違った恐怖心を引き起こす。救出や食料・水などのサービスを受ける時にも、パスポートや運転免許証などの身元証明などを求められる。しかし、不法滞在者はそうした書類を何も持っていない。救命ボートは彼らを逮捕し、本国送還するためにやってくるようにしか見えない恐怖の存在となっている。
特に厳しい南部諸州
実は、テキサス州ではこのハリケーン被害に先立って、不法移民にかなり厳しい環境が生まれていた。テキサス州知事グレッグ・アボットは、移民機関や政策に協力しない都市に対して最も懲罰的な連邦法の一つに署名した。これに輪をかけたのがトランプ大統領の打ち出した大統領令に基づく移民規制だ。
トランプ大統領が当面目の敵にしてきたのはオバマ政権時代2012年に出された大統領令DACA*と呼ばれる規制の撤廃だ。その内容は、16歳までに米国に入国し、かつ2012年6月15日時点で一定の条件を満たす当時31歳未満の若い不法移民の若者たちの強制送還を2年間凍結し、就労許可などを与える内容だ。
これに対して、トランプ大統領は南部の災害が未だ復興の目処がつかない9月3日の時点で、6ヶ月の猶予期間の後、DACA*を廃止するとの大統領令を発令した。
* Deferred Action for Childhood Arrivals の略。不法入国した親などに伴われて、未成年の時に入国、現在は教育、労働などの過程にある外国生まれの若者を、即時の強制送還することから、救済あるいは延期を認めた大統領令。制度の対象となっている強制送還の対象者は80万人近いといわれている。
党派の違いを越えて、トランプ大統領は、前任のオバマ大統領の行った政策の多くに嫌悪感、反発を抱いているようにみえる。オバマ大統領は、ホワイトハウスを去るに際して、民主政治を守るようにとの置き手紙を残したようだが、まったく通じていないようだ。
ハイテク労働力の確保
このトランプ大統領の移民への考え方に、シリコンバレーを中心とするハイテク企業の経営者は強く反対している。アップル、アマゾン、マイクロソフト、グーグルなどIT産業の主要経営者は大統領宛てにDACA制度を撤廃しないよう要請書を提出した。彼らの企業で働く労働者には、合法の移民労働者がかなり含まれている。そのため、DACAに象徴される制度の撤廃は必要な労働力が採用・維持できなくなると懸念している。アメリカを代表する主要企業が多いこともあって、トランプ大統領としてはこの要請を無視することはかなり難しい。「ドリーマー」とも呼ばれるこれらの対象者(80万人近いと推定)が全て国外退去することになれば、その経済損失はおよそ50兆円規模に達すととも推定され、経済界への衝撃は大きい。他方、大統領が当初からアメリカ人労働者(とりわけ白人)の仕事を奪っている主張してきた「アメリカ第一主義」への配慮もあって、政策設定はかなり難しい。
今回の大統領令には財界、野党、与党の中からも反対の動きが出ており、猶予期間を置いたのは、その間に新たな対策を議会に検討させようとの時間稼ぎの魂胆だろう。トランプ大統領としても、直ぐには対案が浮かばない。オバマ大統領政権下において、DACAが最終段階でようやく大統領令として発令できた案だった。利害は錯綜しており、これ以上の案が短期間にまとまるとは考えられない。議論は錯綜するだろう。
このように、現代世界の危機は、移民政策や地球温暖化が例であるように、問題発生から解決案の提示までの時間が限りなく長くなっていて、政策が実行されるまで時間がかかりすぎている。そのこと自体が大きな危機といえる。北朝鮮問題にしても各国の思惑で実効力のある対案が打ち出されることなく今日まで長引き、その間に北朝鮮は急速に軍事力を強化した。状況は急激に悪化、いまや世界の命運を左右しかねない。
Source:
'Submerged', The EconomistSeptember 2nd-8th 2017