「長い旅路の果ては」
シリアで戦火に追われ難民となった三つの家族、母親、父親と子供との旅の経路をTIMEの記者が追う。
彼女たちはいずれも旅の途上で出産し、子供と共に苦難の道をたどった。
いずれの家族も現在の地に到達するまでに他の家族以上に制約も多く、苦難な旅であった。
3つの家族のケースは、赤、青、黄色の3色で分別されている。
”Journey’s End” TIME Dec.25, 2017
オリンピックの開催中だけは、流石に北朝鮮もアメリカも危うい行動は控えているようだ。世界的な異常気象の影響もあって、とりわけ北半球は悪天候、豪雪などで、人の動きにも支障が出ている。移民・難民が目指す地域も、移動が困難になっている。とりわけエーゲ海、地中海などでの冬の海上移動は事実上不可能だ。
“TIME” 誌が昨年3家族について、シリアからの子供連れの家族の長い旅の過程を追う記事を連載してきた。その最終回は、彼らが現在の場所までたどり着いた経路のストーリーであった。
第一の家族(青色)は、ギリシャの都市テサロニキに滞在していたシリア人家族の話だ。彼らが長い旅を始めたのは2012年10月のことだった。内線で危険になった母国シリア国内を2年近く転々とした後、ギリシャへ入国し、難民申請をした。今まではUNHCRが管理する家で、月額Euro550[$646)を生活費として給付されてきた。しかし、この家族の父親は29 歳、とりたてて特技もない農民として生きてきた。失業率が21% にもなるギリシャで今後まともな職につける当てはない。そこで彼は決断を迫られる。ドイツへ行くしかないと。そして、再び難民の集団に身を投じる。2015 年にギリシャの浜辺へたどり着いて以来、2年間も難民でいた彼らにはもうそれしか考えられなくなっていた。
この時はEU側にとっても決断の時だった。国際的には最初の到着國が難民の受け入れ国となる取り決めだったが、ギリシャをはじめとして受け入れ不能を訴える国が続出した。ドイツのメルケル首相が人道主義の観点から寛容な対応を見せ、多数の難民・移民を受け入れて急場を凌いだ。しかし、EU諸国の間にも断裂は深まり、イギリスは2016年にBREXITに関する国民投票を行い、結果として現在イギリスはEUから分離の過程の最中にある。オランダ、フランス、ドイツなどでもこれまで例を見ない国民的亀裂が生まれ、国民それぞれが自分の足元、そして世界をどう見るかという試練にさらされている。
危機は過ぎ去ったわけではない。各国の様々な措置の結果として、難民・移民の数は2015年と比較すると、2017年には海路経由だけに限っても、ヨーロッパに到着した難民・移民は163,000人に達した。その途上で3,000人以上が死亡している。現在でもおよそ200,000人の庇護申請者、移民希望者が認可を求めて、トルコやイタリアの不完全な収容施設で過ごしている。
2017年末までの18ヶ月に渡って、”TIME” 誌はシリアからの難民3家族と行動を共にし、その間の推移を報道してきた。彼らがトルコの沿岸からヨーロッパに向かった時は、少なくも自分たちはヨーロッパにすでに受け入れられている50万人近い同胞の中に含まれると考えていた。しかし、彼らを含めておよそ6万人がギリシャで足止めされ、それ以上先へ進むことを拒まれてしまった。
こうして目標達成途上で、阻止された難民・移民は、EUが定めた「再配置計画」’realocation program’なる方針に沿って、受け入れが認められた国へ移動することになる。これまでのように難民が希望する国(ドイツやイギリスなど)へ移住できるわけではなくなり、不満も多い。こうして混乱したEUの対応で難民たちはいかなる運命を辿ったのだろうか。
問題のシリア人の3家族はそれぞれ、異なる道を進むことになる。第一のケースの家族は若い夫婦と幼い娘の三人だが、7月にドイツへ割り当てられた。しかし、ドイツへ到着後仮設住宅で半年を過すが、何も進展がなかった。2015年、ちょうどメルケル首相が政治面で移民受け入れ反対の極右政党AfDと対決していた頃である。連立政党のCDUまでもがシリア内戦はほぼ終結しつつあるのだからと、難民の送還に賛同していた。今は送還される不安を抱えながら、ドイツ国内の収容施設にいる。
第二のケースの家族(赤色)は、最初リトアニアに割り当てられたが、最終的には受け入れを拒否され、結局最初に入国したギリシアへ戻され、改めて難民申請をしたが、最終的判定は未だ得られていない。ギリシャのテサロニキに近い難民収容施設にとどまっている。
第三の家族(黄色)は、バルト3国のエストニアに受け入れられたが、環境に満足できず、シリア人の大きなコミュニティーがあるドイツへ移住してしまった。今はドイツ国内で不法滞在の状態にあり、彼らの今後は不透明なままだ。バルト3国へ割り当てられたシリア難民の多くは、環境に満足できず、他国へ流出してしまっている。移民それぞれに様々な理由・背景があり、国籍などで一律に行く先を割り当てることもうまく機能しないことが多い。EU加盟国の間でも、ハンガリーやポーランドは、難民・移民の受け入れ政策をベルリンやブラッセルから指示されることを拒否し、国境管理を厳しいく制限する方向へ移行した。ここに例示した3つの家族の場合も、難民として希望する行き先へはなかなか認められず、国際機関、受け入れ国などの指示するままに流浪の旅の途上にある。
現在実施されている難民・移民政策は関係者それぞれにとって満足できるものではない。難民の流れは短期的には山を越えたが、International Organization for MIgration 国際移住機構のように、世界的な気象変動が地球規模での人々の移動を増加させるとする見解もあり、長期的・安定的な政策の構築が望まれている。難民・移民政策はEU,ILOなどの国際機関、受け入れ国政府などが長年にわたり検討しているが、関係国の利害、見解の相違などもあり、十分適切な難民・移民政策と言える段階に至っていない。
冬季五輪が終わり、春の日が射してくると、世界中で人の動きが活発になることは目に見えている。国際政治の世界も厳しさを増すだろう。祭りの後にはまた苦難の道が続く。
References
”Journey’s End” TIME Dec.25, 2017
Unwelcome choices
The Economist July 22nd-28th 2017