時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

映画『デトロイト』が語るもの

2018年02月04日 | 特別トピックス



アメリカの200年にわたる人権をめぐる騒乱と勝利の歴史
200年記念号、LIFE Fall Special 1991


映画『デトロイト』

街灯も少なく薄暗く、見るからに荒れ果てた街中。凄まじい暴動が展開し、市街戦のような緊迫した状況が冒頭から映し出される。観客は状況を把握する間もなく、その中へ投入されて行く。犯罪、ヴァイオレンス、そして殺戮につながる緊迫した状況である。あたかも自分が現場に居合わせた当事者のような感じさえ抱かせる。

1967年夏、デトロイトで起きた暴動。市街は瞬く間に危険に溢れた戦場のような状況へと変わって行く。ほとんど半世紀前に遡るが、ブログ筆者は、この年アメリカにいた。TVなどのメディアが伝える凄まじい光景を見ていた。最近話題の映画『デトロイト』を見ながら、記憶は瞬く間に蘇り、半世紀前のアメリカに連れ戻された。

暴動発生から2日目の夜、デトロイトの下町、アルジェ・モーテルの別館で一発の銃声が響いた。実際は銃弾の出ない発砲音だけのモデル・ガンだった。飲酒も手伝い、常軌を逸した黒人(African American)宿泊者の悪ふざけから事態は急展開する。銃弾が自分たちに向けられたと思った警察などは、狙撃者探しのために、手段を選ばない捜索、鎮圧活動に出た。デトロイト警察、ミシガン州警察、陸軍州兵、地元の警備隊などが次々に乗り込み、警官が狭い視野と偏見、目先の問題処理に人間性を喪失し、モーテルの宿泊客たちに不当な強制尋問を始めた。人間性を無視して暴力的に脅迫、自白を強要する。普通の人間なら目をそらす残酷な暴行が進む。これは映画なのだからと納得するしかないのだが、現実もこれに近かったのだろう。

複雑極まる人種差別の実態
基調にあるのは人種問題なのだが、単純な黒人対白人の構図ではない。黒人の警官もおり、黒人への差別的対応を嫌悪する白人もいる。人間ひとりひとりが何を考え、何をするかという複雑な心の内が見事に描かれる。極限状況に追い込まれた人間はどんなことになるか。事態は容疑者探しのための殺人行為にまでエスカレートする。そして犯罪隠蔽のための口裏づくり・・・。登場する人物それぞれの苦悩、怒り、悲嘆、悪意、煩悶・・・などが包み隠さず映し出される。

そして、お定まりのような法廷裁判の場面、多くの黒人傍聴者の怒りの表明にもかかわらず、被告の白人警官3人には無罪の判決。法廷の弁論過程をもう少し克明に写してくれたらと筆者は思ったが、アメリカではこれで十分なのだ。映画全体が、女性のビグロー監督の作品とは、思えない衝撃に満ちている。2時間近い映画に、これだけの内容を組み込んだ監督の力量には真に脱帽する。

’熱い夏’:ニューアーク
実は1967年という年は、都市暴動はデトロイトに止まらなかった。ほとんど同時期の7月ニュージャージー州ニューアーク, プレーンフィールドなどでも勃発していた。ブログ筆者は、暴動発生後10日くらいした時に友人と現場へ行き、一瞬にして言葉を失った。暴動の起きた街の一帯があたかも被災地のように瓦礫の光景に変っていた。暴動鎮圧のために戦車も出動した。砲撃、火災などであたり一帯は破壊し尽くされていた。そこは黒人の増加を嫌った白人たちが、別の地域へと移住した後に入ってきた低所得層の黒人たちの居住地域だった。この時、ニューアークは全米で最初の黒人居住者が最大比率を占める都市になっていた。しかし、市政を支配していたのは旧来の白人政治家たちだった。

警官に黒人を採用するという点でも抜きんでた都市でもあった。しかし、上層部は白人が掌握し、黒人の患部への昇進の道はほとんど閉されていた。当時はさしたる雇用の機会もなく、地域は極貧の世界であった。

こうした中で、デトロイトと同様、事件は2人の白人警官がジョン・スミスという黒人のタクシー運転手を不当に逮捕し、殴打するということから始まった。その後、黒人たちを中心として生まれた暴動は、一挙に拡大し、デトロイト同様に全米の注目を集めることになる。

市街地商店街での無差別な略奪、火炎瓶や道路の敷石、そして威嚇の銃弾が暴徒と化した黒人たちと警官の間を飛び交った。そして、ついに警察側の「必要とあらば発砲やむなし」との判断で、実弾が使われ事態は多数の殺傷者を生む最悪の事態へ突入した。

デトロイトと同様に、この暴動事件はその後1997年に小説化され、映画にもなった。1967年夏は「熱い夏」hot summer として記憶されている。

ニューアーク暴動、1967
mage ownership: public domain


現代アメリカを理解するためにも
このデトロイトやニューアーク暴動で起きた事態は、今なお形を変えて続いており、昨年だけでもかなりの黒人が白人警官に射殺されている。まさに映画『デトロイト』は過去の問題ではなく、現代アメリカの一つの縮図と言える。特にオバマ政権で、大統領を悩ました多くの銃砲による不条理な殺傷事件は、人種間衝突、地域問題、とりわけ警察と地域住民の関係が解消することなく、形を変えて今日まで執拗に続いていることを示した。そして、生まれたトランプ政権は人種問題を極めて倒錯した形で再燃させ、アメリカ社会を分裂の危機へと追い詰めている。

映画のテーマの一部を構成する人種差別問題。「差別」という現象はブログ筆者の研究課題のひとつとなってきたが、「差別」という現象が、単なる好き嫌いとか、考えの違いといった単純な要因から生まれるものではないことを改めて思い知らされる。1964 年公民権法の成立以来、進むべき方向が見えてきたようなアメリカであったが、トランプ政権となって、再び深い混迷の闇へと向かいつつあるかに思われる。人種、地域、教育など様々な点で、断裂と格差の拡大は進行しており、1967年のような暴動などが勃発する可能性も否定できない。アメリカ社会に深まる分裂をこれ以上進行させないために何がなされるべきか。現代のアメリカを理解する上で、多くの問題点を提示してくれる迫真の映画だ。
 


 LIFE誌は2007年廃刊になったが、ブログ筆者はいくつかの記念号を断捨離するに忍びなく、保持してきた。今回も記憶を新たにする上で大変助かった。

追記(2018/2/6) : 朝日新聞朝刊文化・文芸欄には「人種差別の闇 正面から描く。映画は社会問題 問う道具」と題して、キャサリン・ビグロー監督とのインタビューが掲載されている。

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