迎春
混迷する世界の始まりに
これまで新年の初めには、多くの人々がこれから始まる年に期待や抱負を抱き、心の中で、あるいは歴然とそれらを表明してきた。今でもそれがなくなったわけではない。元日のメディアは多くの目標や決意を含めて、新年への思いで溢れるだろう。
他方、いつもの新年とは異なった空気も感じられる。世界は一体どうなってしまうのだろう。EUにはBrexitに象徴される分裂の気配が色濃く漂い、アメリカでも日本でも来るべき近未来への不安を訴える人たちが増えた。年末に寄せられた海外の友人たちのメールにも、そうした思い、強い危機感が綴られたものが目立った。
長らく愛読してきた雑誌のひとつ、The Economist 誌*のクリスマス特集の巻頭論説も例年と比較してかなり印象が異なっていた。2、3年前から心なしか、論調が直裁ではなくなっている。経験を重ね、洞察力に長けた専門家にとっても、それだけ今後を見通すことが困難になっているのかもしれない。今年は「ノスタルジアの使い方」”The uses of nostalgia” という表題で、世界に拡大するノスタルジア(懐旧の情、昔は良かった)の風潮を取り上げている。政治家たちは今までにもこれを逆手にとって、未来は過去より明るいと強調してきた。
しかし、最近世界のあらゆる地域で、過去を懐かしむ思いが蔓延し始めた。政治家たちは相変わらず、その風潮に乗っている。典型的にはロナルド・トランプ大統領就任後の「偉大なアメリカを再現する」”Make America great again” という今や多くの人々の耳から離れないスローガンである。そして世界第二の大国にのし上がった中国の習近平主席の「一帯一路」構想に見られるような再び世界に君臨する「中国の夢」”Chinese dream” の実現、「社会主義近代化強国」という覇権への主張だ。いずれも過去の「良き時代」の復活が軍事力の拡大を伴い、臆することなく掲げられている。いよいよ最終局面に入ったイギリスのEUからの離脱、BREXIT の背景にもブラッセルの官僚支配からの脱却、独立性の復活・強化という思いがあり、さらにはロシアのプーチン大統領、日本の安倍首相にも過去の時代への執念がうかがわれる。
表現は様々だが、より小さな国々でも大国の支配から脱却し、自国の独立を目指すという動きが顕著に見られる。この場合は、自国の内乱、様々な内外勢力の介入による国民の破滅的貧窮、荒廃のイメージが強く漂う。
潜在する不安とノスタルジアの効用
ノスタルジアの底流には明暗様々な要因への危惧や不安があると見られる。IT世界の急速な展開、ロボットなどの自動機械がもたらす仕事の世界の激変、「自分たちの仕事は機械に奪われるのでは」との不安、取り残される人たち、格差の拡大、地球温暖化や自然災害の頻発への不安など、要因は際限なく指摘できる。
しかし、ノスタルジアは一般に受け取られがちな単なる懐古趣味に止まらない、と論説の書き手はいう。未来を見通す手段が手元に見当たらないならば、過去の体験事実から学ぶという道があると指摘する。近年、歴史への関心が様々に高まっていることは、こうした方向への一歩であるかもしれない。
何を記してきたのか
この小さなブログ、17世紀のロレーヌ公国という小国が経験した史上最初の「危機の世紀」といわれる戦乱、苦難の世界に生きたひとりの画家のしたたかな生涯をひとつの柱として出発した。現代のシリアのごとき荒廃した地において、天賦の才とわずかな機会をしっかりと把握した画家であった。現代人の目から、その剛直、強欲にも見える生活の一端を批判することはたやすい。しかし、この画家は来るべき時代への深い洞察、精神性を秘めた作品を残してくれた。
この小さなブログに記してきた時空を行き交う細い糸は、かなり多岐に別れる。そのひとつ、ブログ筆者が大きな関心を抱いてきたより近い過去は、1930年代のアメリカ*2である。現代のアメリカ人の多くが、繁栄と恐慌の時代に様々なノスタルジアを感じている。この時代についてはすでにきわめて多くの蓄積が残されていて、筆者が記してきたことは、文字通り小さな断片にすぎない。
さらに産業革命発祥の地、イギリス、マンチェスターで、多くの人たちが背を向けた工業化の影の側面もしっかりと描こうとしたL.S.ラウリーという貧しい人々への深い愛情が込められた作品の数々は、イギリス人でも必ずしも注目しなかったものだが、近年漸く一筋の光が差し込んでいる。年末に会った旧知のオーストラリア人(マンチェスター近辺労働者階級の生まれ、大学教授としてイギリスから移住)は、筆者との雑談でのトピックス指摘に驚き、自分もファンであることを話し、互いに共感した。長い年月にわたる友人であるが、かつては自分の出自はあまり語ろうとしなかった。
そして、話の糸は最近時の巨大企業ビヒモスの衰退という形で現在につながることになる。日産・ルノー・三菱自動車の事件は、後年どのような形で記憶されるだろうか。ノスタルジアは懐古趣味という負の側面ばかりではないが、それから新たな教訓を学ぶことも容易ではないことも改めて記しておこう。歴史は自らを正す「鏡の部屋」のようなものなのだろう。
* 'the uses of nostalgia' The Economist December 4th 2018 - January 2019
*2 BARRY EICHENGREEN, HALL OF MIRRORS: THE GREAT DEPRESSION, THE GREAT RECESSION, AND THE USES - AND MISUSES - OF HISTORY, OXFORD UNIVERSITY PRESS, 2015.( バリー・アイシェングリーン『鏡の部屋:大恐慌、大不況、そして歴史の活用と誤用』)
昨年は一年を通して多くの友人、知人を失ったブログ筆者にとって、悲嘆の多い衝撃的な年であった。改めてご冥福を祈りたい。