このたびの新型コロナウイルスの世界的な蔓延とともに、人類の歴史における感染症、とりわけ世界規模で蔓延したウイルスや細菌との戦いを描いた専門書、記録、啓蒙書、小説など多くの文書がメディアに登場した。ブログ筆者の目についた内外の書籍だけでも優に20冊を越えたのではないか。かなりキワモノもあるようだ。その中でこの機会に、もう一度読んでみようかと思ったのはカミュ、ダニエル・デフォーの著作だった。カミュ*1については比較的最近、放送番組にも取り上げられたこともあったので、とりわけ強い印象が残っていた。この作品を最初に読んだ時の衝撃は忘れられない。
*1 NHK 100分 de 名著 アルベール・カミュ『ペスト』(中条省平) 2018年 6月
デフォーについては、『ロビンソン・クルーソー』(1719)を子供の頃、平易に書き下ろした版で読み、その後大学で経済学を志すようになった時、かなり読み込んだので馴染み深い。しかし、同じペストの流行を扱った A journal of the Plague Year (1722)については、カミュほど詰めて読んでいなかった。翻訳で読んだのだが、原著が18世紀初めの刊行ということもあってか、かなり苦労した。1665~66年にロンドンで蔓延したペストの大流行(Great Plague of London)なのに、なぜ半世紀以上経過した1722年になって自ら体験したように書かれねばならないのか、いささか疑念を抱いたためでもあった。1665年当時は、デフォーはまだ5歳だった。
同時代人としての想い
しかし、もう一度デフォーを読んでみようという気になった。それについては、別の要因も背中を押していた。このブログでも取り上げている同じ17世紀に、ヨーロッパで大きな問題となっていた魔女審判につながるものがあると感じたからだ。ペストなどの疫病が流行すると、社会の片隅に生きる人たちへの偏見、排除などがしばしば頻発した。事件が起きると、社会の雰囲気も一変した。
特にデフォーが執筆に際して感じていたのは、「コンテンポラリー」contenporary (同時代人) の意識ではないだろうか。ロンドンでの大流行から半世紀以上経過しているにもかかわらず、デフォーが、この出来事を取り上げ、Journal (年記)としたのは、自らが後世への記録に残すべき出来事として、同時代人 contemporaries としての思いがどこかにあったのではと思われる。
ブログ筆者が17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールを追いかけてきた動機の一つは、まさにこの視点だった。17世紀、同時代に生きていた人たちは、この画家や作品をどう見ていたのか。その後の時代の経過の間に、21世紀の人間の視点との間にギャップは生まれていないか。
いずれにしても、デフォーのこの作品は、ペストがロンドンを襲った時には子供であった本人が、その後長じて自らの記憶と記録資料の上に、あたかも同時代人が目の当たりにした事実を書き記した体裁をとっている。
その意味では、第一級の史料というわけではない。本書は時系列を追った(chronological)体裁をとってはいるが、今日我々が考えるような厳密なものではない。かなり右往左往している。実際、本書はデフォー本人が記録をとって記したというのではなく、デフォーのおじではないかと思われる ’H.F.’ というイニシャルの人物が記したことになっている。イースト・ロンドンに住んでいたこの人物は、記録を残していたのかもしれないが、定かではない。デフォーが展開する叙述の基点は、ロンドンの主要な道路、地区、時には特定の家々で起きた出来事を描写する形で展開している。記された事柄が事実なのか虚構なのか、歴史なのか小説なのかという点についても後年議論が続いている。ジャーナリストでもあり小説家でもあるとの評も有力だ。
デフォーの辿った人生の激動についてみると、それ自体がそのまま小説や人物伝となりうる波乱万丈であった。彼が生まれた1660年まで、イングランドも二つの世界に分裂していた。蝋燭販売業だった家に生まれたデフォーの姓で、貴族的な’de’ が’ Foe’の前に付けられているのも、彼が階級class の重みを意識していたからと推定されている。デフォーは14歳まで学校教育を受けていないし、その後もオックスフォード、ケンブリッジのような古典的教養を身につける機会はなかった。それが彼の人生にとってプラスとなったか否かもわからない。
今回手にしたのは、たまたま見つけた下記のPenguin Classics版*2である。時間はあるし、翻訳を離れて、原文に挑戦しようと思った。この版、作品理解に関わる史料などが多数付記されていて、大変便利な上に、1966年版へのAnthony Burgesの紹介も掲載されている。表紙もこのテーマにありがちなどぎつさもなく、好感が持てる。粗筋は大体覚えていたので、多分英語版でもなんとかなると思ったが、苦労することになった。そのため、途中から武田将明訳、研究社*を横に置いて読むことになった。大変こなれた訳で感謝している。友人のイギリス人の間では、このPenguin版を使った読書サークルが生まれたようだが、英文学専攻でもない日本人にはかなり手強い。
大きく変わったロンドンの表情
ロンドンの姿はこの感染症の蔓延で、短期間に異様な変化を見せた。1965年から1966年の18ヶ月の間に、ロンドンの人口の6分の1に当たるおよそ10万人の命が失われたといわれる(異説も多い)。
今回の新型コロナウイルスの世界的蔓延を彷彿とさせる叙述が各所に現れる。デフォーの作品の冒頭に出てくる1644 年9月初め、「ペストがオランダに戻ってきた」という部分は、今回の新型コロナウイルス蔓延の発端当時の世界の受け取り方を想起すると、あまりに衝撃的だ。あれは外国のこと、自分たちには関係ないと思っていたことがある日突然、目の前に現れ、自分の問題となる。現代社会では、その感染時間がきわめて短縮されている。
当時のロンドンは決して美しい都市ではなかった。ペストの流行で、その光景は異様なまでに変化した。人影は少なくなり、ネズミやノミが目立った。ネズミが媒介するということは、分かっていたようだ。病死した人々の死体ばかりでなく、犬、猫の死骸も目立った。犬が4万頭、猫はその5倍との記述もある。
デフォーはロンドンの各地域での出来事を記述し、臨場感をつくり出している。人間の様々な行動、愚かさや悲しさとともに描写されている。奇矯な人物 Solomon Eagle なども現れ、フリート街*2をパレードしたりしていた。パンデミックの影に怯える人間の様々な行動、その愚かさや悲しみが描かれている。感染病についての知識が少なかった当時と今とでは、その現れ方は当然異なるが、人間の抱く不条理、不合理、狂気、偏狭さなど、本質に大きな変わりはない。
*2 余談:フリート街はロンドンではかなりよく知られたストリートだが、その変容ぶりは驚くほどだ。1980年代、かつてこの地域に詳しいインペリアル・コレッジの友人に同行して何度か新聞社などを訪れたことを思い出した。その後の変化も驚くほどだ。
筆者稿「フリート街の革命:イギリス新聞産業における技術革新」『日本労働協会雑誌』1986年9月
ソロモン・イーグルについては、デフォーのA Journal of the Plague Year に次のような記述がある:
ソロモン・イーグルについては、デフォーのA Journal of the Plague Year に次のような記述がある:
I suppose the world has heard of the famous Solomon Eagle, an enthusiast. He, though not infected at all but in his head, went about denouncing of judgment upon the city in a frightful manner, sometimes quite naked, and with a pan of burning charcoal on his head. What he said, or pretended, indeed I could not learn.
本書を読むには、18世紀ロンドンの地図にある程度通じていないと、興味がそがれるかもしれない。幸い、今日われわれが手にする版(翻訳を含む)には、こうした点への配慮がなされていて、読者には大変有難い。それでも、なんとか読み通すには2ヶ月以上かかってしまった。新型コロナウイルスの脅威はまだ去っていない。
REFERENCES
Daniel Defoe, A Journal of the Plague Year, Penguin Books, 2003
Contents
Chronology
Introduction
Notes
Further Reading
A Note on the Text
A Journal of the Plague Year
Appendix I: The Plague
Appendix II: Topographical Index
Appendix III: London Maps
Appendix IV: Introduction by Anthony Burgees to the 1966 Penguin English Library edition
Glossary
Notes
ダニエル・デフォー(武田将明訳)『ペストの記憶』 (英国十八世紀文学叢書第3巻 カタストロフィ]) 研究社、2017年