葛飾北斎
冨嶽36景 甲州石班澤
1830-33 (天保元−4)年頃
北斎の作品と生涯が各所で大きな話題となっている。元旦に載せた作品 (『神奈川県冲波裏』)に加えて、今回は『甲州石班澤』について少し記してみたい。これも大変有名な作品だ。この作品は現在の山梨県鰍沢のどこかからの富士山遠望を、漁師が網を打っている光景を前景にして描いている。構図の秀抜なことに加えて、ほとんど全てを濃淡のある青色を駆使して描いている美しさは際立っている。とりわけ、青一色の濃淡でこれだけの迫力ある作品に仕上げた技量には、日本人ならずとも感嘆することは間違いない。実際、大変な人気で北斎は200枚ぐらいで磨耗して、線の鋭利さが薄れてしまう板木を様々に工夫して需要に応えたようだ。
その結果、初刷(しょずり)、後刷(のちずり)、異版(いはん)などで使われている色、構図などに違いはあるが、この青色の美しさは、”北斎ブルー” として内外の人気を集めてきた。使われている絵具が何であるかは、今後の化学分析に待つことになるが、「べろ藍」,「藍」(植物性)などを駆使しての作品と思われる。初刷の評判が大きかった後、北斎が工夫した多色刷も美しいが、筆者は青一色で制作した作品が素晴らしいと思う。
ジャポニズムとして大きな影響を与えたヨーロッパでは、18世紀初めは青色はウルトラマリーン Ultramarine が画家たちには人気があった。しかし、価格はまだかなり高価であり、供給も安定していなかった。また、smalt,といわれた青色顔料、 緑青、azurite 藍銅鉱,インディゴ indigoなどが使われていた。しかし、これらは多少緑がかっていて、顔料の供給も不足していて、画家にとっては頼りにならなかった。そこで新たに生み出されたPrussian blue は理想の顔料として歓迎されたようだ。濃淡の色調が作れる上に、地塗り材の鉛白とも相性がよかった。
前回記した薬剤師ディッペルはうさんくさい所もあったらしいが、商才に長け、1710年にはこの顔料を売り出した。1724年、イギリスの化学者 John Woodwoodが、製法、プロセスを公にするまでは製法も秘密だったらしい。その結果、1750年頃にはヨーロッパ中で作られるまでになった。さらに価格も安くなり、ウルトラマリーンの10分の1近くになった。もっとも、強い光やアルカリに影響を受けると退色することも分かってきた。
こうした問題はあったが、プルーシアン青は、イギリスの版画家 W. ホガース、画家のJ.コンスタブル、ヴァン・ゴッホ、モネなどが好んで使いだした。さらに北斎、広重など、日本の浮世絵画家や版画家も大変よろこんだらしい。北斎もその一人だった。青の時代のピカソもこの色を好んだ。用途も拡大し、壁紙、塗料、布の染色などに広く使われるようになった。
少し時代を遡り、17世紀頃は青色は高価なラピスラズリなどを別にすると、アズライトなどの鉱石系顔料が主だったようだ。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの場合をみると、青色系は大変少ない。『松明のある聖セバスティアヌス』(ルーヴル蔵)の侍女のヴェール 、『槍を持つ聖トマス』の外衣など、数少ない。一枚の作品もよく見ると、様々なことを語ってくれる。
Referencee
日本経済新聞(2018年1月5日,夕刊)が「北斎の世界にタイムスリップ」と題して 「めでたい北斎〜まるっとまるごと福づくし〜」と題する「すみだ北斎美術館」の展示について紹介している。北斎は作品数が多く、今後も多くの発見が期待される。
Kassia St. Clair