国立肖像画美術館、国立文書館
先程のアップの前半の続き。
昼前、JBが宿の部屋に訪ねてきてくれて、まずはお互いの近況報告。
JBはニューギニアから2週間の鉱山会社のコンサルタントの仕事から、前日に帰ったところ。このところ、短い契約仕事が多いこと。かれは、アジア・太平洋研究所のリサーチ・フェローだが、それも金を持っているからのこと。こちらはプロジェクトが始まってその内容を告げる。
次の話題は、コンピュータ関係のもの。彼は、むかしから、Windows一辺倒で、マルチプラットフォームに拘る必要がないという論者で、.NETとVisualFoxProを使った開発を続けてきた。しかし、Win_XP以来のMicrosoftのOSのバージョンアップ、.NETのバージョンアップなどの変化にいちいち対応するのが次第に難しくなったとのこと。お前もそうだろうというから、そう、こっちもJavaで同様の問題を抱えていると。
だから、次のバージョンは、Script言語とSQLを組み合わせるかもしれないというと、かれもまた、同じようなことを考えているという。しかし、彼の仕事は、私のような定収入があって外部研究費をとっている状況とは違っているので、集中して開発ができないと。その話の続きは、定収のあるものは授業や様々な管理業務が付いてきていて、仕事に割く時間は時間は限られていると・・・。
12時半頃になったので、昼食は、彼が車に乗せてくれて食べに出る。旧パーラメントハウス近くの「Pork Barrel」(http://www.porkbarrel.com.au/)というカフェ。
JBによると、隣接する「the Robby」レストラン(http://www.thelobby.com.au/)は、議会に近いので新聞記者や議員たちのたまり場で、記者たちはせいぜい言論の弾丸を議員に向かってぶっぱなしたのだそうだ。また、このレストランで長話しすぎて議会での論戦に遅れて、そのために首相の座を棒に振ったものもあるのだという。
彼はカレー3種というレンチメニューを選んだので、話がカレーに集中した。まず、まずいイギリスの料理の幅を広げたのは、インドを植民地支配したからだと。その結果として、カレーがイギリス料理の中に入ったとの説をいう。
それに、私が追加して、日本のカレーは、明治維新以降、文明開化の象徴の一つでイギリスからもたらされたもので、これは、インドカレーとは似て非なるもので、カレー味のシチューとでもいうもので、カレーライスという、と披露した。
すると、今度は、ライスの話に転じて、以前、ニューギニアで老人にインタビューしていたところ、現女王陛下の1953年における戴冠式に、当時、イギリスの植民地下にあった各植民地がその規模に応じて、閲兵の部隊(軍や警察)をだした。インフォーマントの彼はニューギニアから送られた24人の警察官のひとりであったことがわかったという。
そして、彼は、船に載せられて、オーストラリアのブリスベーンでオーストラリア軍と合流して、インド洋、スエズ運河を経由してロンドンに到着。かの女王の閲兵及びパレードにのぞんだのだという。そして、そのイギリス体験を聞いたところ、あんなまずい料理を食べたことがない。コメがないなんて、と言われたのだそうだ。
何がうまい、何がまずいというのは、全くそれぞれの地方によって異なるものであって、とくに、何かが欠損している場合の結論には、いかんともしがたいものがあるなあという。
そのあと、国立肖像画美術館(http://www.portrait.gov.au/site/index.php)に二人でいって、彼も初めてであるというので、結構、じっくりと見て入った。
彼の説明が加わったので、知らない人物もまた興味深く見ることができた。この美術館のコンセプトとしては、オーストラリアの成立から現在にいたるまでのオーストラリアの成立から現在にいたるまでの人物を時系列ではなく、むしろ、業界別といったカテゴリーでならべてあっておもしろい。例えば、画家たちは自らの肖像画を中心に集められている。アボリジニ関係とか、研究者関係とか、スポーツ関係とか、政治関係とか、オーストラリアの成立に関わる人達であるとか・・・。
さらに、国立美術館のアボリジニ展示を見ていたKSと合流して、今度は、歩いて2ブロックほど先の国立文書館(National Archives: http://www.naa.gov.au/whats-on/exhibitions/index.aspx)で「Frank Hurley: Journeys into Papua」という写真展を見た。1920年代にパプアニューギニアでの貴重な写真が展示されている。これまた、JBが一緒だったので、写真に映るそれぞれの場所の現在を知っている彼のコメントが聞けてこれまた、大変面白かった。
JBとは、駐車場でわかれ、KSがニックの車に乗ってきていたので、近くのKingstonのカフェでお茶をして、酒屋でビールを買って、NPの家に行く。
まずは、ビールを飲みながら、今年の恩師を囲む旅行の打ち合わせ、ゴールデンウィークの連休中に1泊2日で高野山行きを企画しようということになった。さてうまくいくか。
続いて、YBがFacebookにアップしている写真をみせたり、わたしがBook Launchの時にとった写真をNPに見せた。
19時の待ち合わせにむけて、NP宅を出発。洗練された待ち合わせは5-10分遅れていくものだとか。我々3人は5分遅れ、まもなく、8分遅れでHMも現れた。みんな、洗練されているのだ!、と。
昼前、JBが宿の部屋に訪ねてきてくれて、まずはお互いの近況報告。
JBはニューギニアから2週間の鉱山会社のコンサルタントの仕事から、前日に帰ったところ。このところ、短い契約仕事が多いこと。かれは、アジア・太平洋研究所のリサーチ・フェローだが、それも金を持っているからのこと。こちらはプロジェクトが始まってその内容を告げる。
次の話題は、コンピュータ関係のもの。彼は、むかしから、Windows一辺倒で、マルチプラットフォームに拘る必要がないという論者で、.NETとVisualFoxProを使った開発を続けてきた。しかし、Win_XP以来のMicrosoftのOSのバージョンアップ、.NETのバージョンアップなどの変化にいちいち対応するのが次第に難しくなったとのこと。お前もそうだろうというから、そう、こっちもJavaで同様の問題を抱えていると。
だから、次のバージョンは、Script言語とSQLを組み合わせるかもしれないというと、かれもまた、同じようなことを考えているという。しかし、彼の仕事は、私のような定収入があって外部研究費をとっている状況とは違っているので、集中して開発ができないと。その話の続きは、定収のあるものは授業や様々な管理業務が付いてきていて、仕事に割く時間は時間は限られていると・・・。
12時半頃になったので、昼食は、彼が車に乗せてくれて食べに出る。旧パーラメントハウス近くの「Pork Barrel」(http://www.porkbarrel.com.au/)というカフェ。
JBによると、隣接する「the Robby」レストラン(http://www.thelobby.com.au/)は、議会に近いので新聞記者や議員たちのたまり場で、記者たちはせいぜい言論の弾丸を議員に向かってぶっぱなしたのだそうだ。また、このレストランで長話しすぎて議会での論戦に遅れて、そのために首相の座を棒に振ったものもあるのだという。
彼はカレー3種というレンチメニューを選んだので、話がカレーに集中した。まず、まずいイギリスの料理の幅を広げたのは、インドを植民地支配したからだと。その結果として、カレーがイギリス料理の中に入ったとの説をいう。
それに、私が追加して、日本のカレーは、明治維新以降、文明開化の象徴の一つでイギリスからもたらされたもので、これは、インドカレーとは似て非なるもので、カレー味のシチューとでもいうもので、カレーライスという、と披露した。
すると、今度は、ライスの話に転じて、以前、ニューギニアで老人にインタビューしていたところ、現女王陛下の1953年における戴冠式に、当時、イギリスの植民地下にあった各植民地がその規模に応じて、閲兵の部隊(軍や警察)をだした。インフォーマントの彼はニューギニアから送られた24人の警察官のひとりであったことがわかったという。
そして、彼は、船に載せられて、オーストラリアのブリスベーンでオーストラリア軍と合流して、インド洋、スエズ運河を経由してロンドンに到着。かの女王の閲兵及びパレードにのぞんだのだという。そして、そのイギリス体験を聞いたところ、あんなまずい料理を食べたことがない。コメがないなんて、と言われたのだそうだ。
何がうまい、何がまずいというのは、全くそれぞれの地方によって異なるものであって、とくに、何かが欠損している場合の結論には、いかんともしがたいものがあるなあという。
そのあと、国立肖像画美術館(http://www.portrait.gov.au/site/index.php)に二人でいって、彼も初めてであるというので、結構、じっくりと見て入った。
彼の説明が加わったので、知らない人物もまた興味深く見ることができた。この美術館のコンセプトとしては、オーストラリアの成立から現在にいたるまでのオーストラリアの成立から現在にいたるまでの人物を時系列ではなく、むしろ、業界別といったカテゴリーでならべてあっておもしろい。例えば、画家たちは自らの肖像画を中心に集められている。アボリジニ関係とか、研究者関係とか、スポーツ関係とか、政治関係とか、オーストラリアの成立に関わる人達であるとか・・・。
さらに、国立美術館のアボリジニ展示を見ていたKSと合流して、今度は、歩いて2ブロックほど先の国立文書館(National Archives: http://www.naa.gov.au/whats-on/exhibitions/index.aspx)で「Frank Hurley: Journeys into Papua」という写真展を見た。1920年代にパプアニューギニアでの貴重な写真が展示されている。これまた、JBが一緒だったので、写真に映るそれぞれの場所の現在を知っている彼のコメントが聞けてこれまた、大変面白かった。
JBとは、駐車場でわかれ、KSがニックの車に乗ってきていたので、近くのKingstonのカフェでお茶をして、酒屋でビールを買って、NPの家に行く。
まずは、ビールを飲みながら、今年の恩師を囲む旅行の打ち合わせ、ゴールデンウィークの連休中に1泊2日で高野山行きを企画しようということになった。さてうまくいくか。
続いて、YBがFacebookにアップしている写真をみせたり、わたしがBook Launchの時にとった写真をNPに見せた。
19時の待ち合わせにむけて、NP宅を出発。洗練された待ち合わせは5-10分遅れていくものだとか。我々3人は5分遅れ、まもなく、8分遅れでHMも現れた。みんな、洗練されているのだ!、と。