South Is. Alps
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Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


金目鯛の煮付け、モロヘイヤのすり流し、水茄子のぬか漬け

金目鯛の煮付け:日本酒に出汁昆布+しょうが薄切り+赤唐辛子を加えてひと煮立ち。たまり醤油+水を加えて味を整え、ごぼうを加えて加熱。金目鯛のアラと身を加え、絹ごし豆腐を加える。
モロヘイヤのすり流し:カツオ出汁を冷やし、薄口醤油+ナンプラー。モロヘイヤの葉を塩ゆでして水に晒し、包丁で細かく刻んで叩く。出汁汁とよく混ぜてよく冷やしておく。
水茄子のぬか漬け:和泉の水茄子のぬか漬け、シーズンの終わり、皮がもうすでに固くなっている。

2015-09-27 21:20:48 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)』

オリバー・サックス、2015、『色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)』、早川書房

著者のオリバー・サックスがなくなったとのニュースが流れた時、まだ、最後まで読み上げていなかった。なにしろ、ベッドで読んでいるので、眠くなれば、短時間の読書で終わってしまう。

私は70年台最末期、ミクロネシアの孤島で8ヶ月過ごした。電気ガス水道もなく、定期航路の便船は2ヶ月に一度しかやってこなかった。島の人々は少なくとも食べものについては自給自足の生活をしていて、私は居候させてもらっていた。この島には、病人や体の不自由な人が合計4人いた。しかし、人々が「スピタル」(病院の英語がなまったもの)と呼ぶ建物があったが、医者がいるわけではない。不便な島でしかも人口が100人に満たないところでは、医者稼業はむりというものだ。しかし、酋長は一定期間の医療知識のトレーニングを受けていたので、時折、簡単な手術(外傷を一針二針縫うようなこと)やアスピリンの投与などをしていた。以下、ドクターと呼ぶことにする。私も実はお世話になった。ある時、ナイフで膝を切って、一針縫ってくれた。酋長が不在の時もあって、その時は、誰かが、建物の鍵を預かっていて、酋長は私にも医療ツールキットの入ったドクターバッグの収納場所を教えてくれていた。私は、ある時、酋長が不在のため、ドクターバッグの中に入っているツールキットを使って子供が手を切った時に縫うはめになったのだが、それは、別の話だ。

さて、「病人や体の不自由な人が合計4人」というのは、こういう内訳だ。まず一人目は、大酋長の女性、彼女は右足が不自由で、杖を突き足を引きずっていた。診断名を聞いたわけではないが、ポリオの後遺症のように思えた。二人目は、60歳代の女性、彼女は両足の膝から下が腫れ上がり皮膚の色が黒ずんでいた。象皮病(フィラリア?)であるように思えた。身体が重そうで、歩みは遅かった。また、私の滞在中、何度も背中が痛いと訴えては、島の現地医(呪術や現地の薬草の知識を持っている人物)の診断で、薬を処方されていた。この薬は、患者だけでなく、島のみんなと一緒に飲むとよく効くとのことで、私も、何度かその薬を飲ませてもらった。苦かった。三人目は、二人目の女性の夫で、結核のように見えた。ドクターによれば、開放性ではないとのことだった。島の成人の男たちは、毎日のように海に出ては魚やウミガメを獲ってくる。海に出ることができないのは、彼と私だった。彼は、肺が小さくなっているということで、海に潜ることができない。私はもちろん、海に潜る技術は子供にも劣った。だから、一緒に行っても、足手まといにすぎない。滞在を始めた頃、一度一緒に行ったが、申し訳なくて、それ以降は、海岸で漁獲するような漁以外には参加しなくなった。だから、彼と二人で男たちが帰ってくるのを待ちながら、いろいろと話しを聞かせてもらった。船影が見えると焚き火を起こして、魚を分配した後、浜焼をする用意をした。四人目は、両ヒザ下を切断している30歳代ぐらいの女性だった。彼女の病名は、ドクターからフランベジアと聞いた。フランベジアとは、感染経路の不明な感染症で梅毒の一種ともされるが性感染症ではないという。彼女は、日がな家の前に座って過ごしていた。実は、もう一人、1歳ぐらいの男児がいたのを思い出した。彼は、重度の引きつけを起こし、私の滞在中に亡くなってしまったので、先の人数には上げなかった。帰国してからこの男児の症状を友人の医者に伝えたら、脳への感染症の一種ではないかとのことだった。

なぜ、四人プラス一人の病人をあげたかというと、かれらは、医者のいない島で島の人々の支援と理解のもとに平穏に暮らしていたということを書きたかったからだ。島での生活は、彼らの存在を含めて淡々と過ぎていった。もちろん、彼らは、定期通船のある状況下にあるので、病院のある大きな島にいって治療を受けたこともあるようだ。しかし、どういう事情か、島に帰ってきてしまっていた。薬を飲んでいたのは、四人目の女性だけだったと記憶している。一人目の女性は、私の滞在した島を含む周辺の三島全体の大酋長であって、時に、島を行き来していた。三人目の男性は、痩せこけていつも空咳をしていて、話し方も遅く、よく、島の男たちから、からかわれていた。しかし、ある時、若い男がこれは内緒だと教えてくれた。それは、流木のことについて、話を聞いていた時だ。ミクロネシアには流木信仰とでも言うものがあって、海にあるときは小魚が下に群れているので大きな魚を獲るための良好な漁場であり、流木の種類によっては、家屋やカヌーの材料として使うことができる。実は、この男性は呪者で、流木を思うままに操ることができるというのだ。私はそれを聴いて思わずその若い男をからかったのだが、真面目な顔をして、この男性はとんでもなく強い呪術を使うことができるから、気をつけろとまで言う。

長くなった。本書は東部カロリン諸島のポンペイ島やピンゲラップ島のの全色盲の人々について記す前半とリティコ-ボディグという脊索硬化症とパーキンソン病を併発したような症状を見せる風土病について記す後半からなっている。前者の全色盲は遺伝的な病であり、突然現れた遺伝的非変異(一定の割合で生じる)が閉ざされた島空間での密接な婚姻関係によって、他地域に比べて出現頻度が高まっていたが、次第に他地域との交流の中で次第に発生率が減少していった様子が報告されるとともに、全色盲の人々の映像感覚についての共感が示される。さらには、リティコ-ボディグは原因不明の風土病ではあるが、狂牛病の原因とされるプリオン説のほか蘇鉄の実が含む物質がその原因となるという仮設が示される。

いずれも、現代の人口流動の結果、また、食生活の変化の結果、風土病としての全色盲やリティコ-ボディグの出現頻度が減ってきているものの、著者の視点はそれで良しとはしない。そうした病が地域の中で受容され、社会システムの構成要素として受け入れられまた、風土の中で生まれてきたことについて、ある種の共感を持って語られるのだ。

私の経験としては、ソテツにも縁がある。ミクロでシアでの生活の後、北部オーストラリアで数ヶ月づつ、20年ばかり毎年のように通っていた地域は、西欧風の食生活が入るまでの伝統的な植物食の一つがソテツの実であった。ソテツの実の採取に付き合い、実を潰してみずに晒し、しばらくおいた後、石皿と石杵でペースト状にし、バナナの葉でくるんで蒸し焼きにしたソテツの実のパン(というか、餅)を食べたことがある。アクがあって、素朴、消して美味しいというわけではないが、味が濃かったことを覚えている。幸か不幸か、ソテツの実のデンプンは小麦粉に変わってしまったのだが、本書の中に詳細は触れられてはいないが、オーストラリアのことが何度か触れられているので、おそらくは、オーストラリアのアボリジニにもリティコ-ボディグに類似の風土病があったということなのだろう。

いずれにしても、本書は私自身の体験とも関わり、大変興味深く読むことができた。しかし、今更ながらに思うことは、人々が、様々な病を淡々と受け入れていたということ、決して病が悪ではなく、病を受けた人々が悪でもなく、そのまま受け入れていたこと、こうした自然さを我々はどこかに置き忘れていることが問題だと思えてならない。

色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)
オリバー・サックス
早川書房

2015-09-27 16:14:20 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


9月26日(土)のつぶやき


2015-09-27 05:39:53 | tweets | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )