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いくら多忙感を語ったところで

2013年10月22日 | 読書
 『総合教育技術』誌が、教師の多忙感をテーマにした特集を組んだ。昨年もあったような気がする。購読者層の必要度が高いということか。解決のカギとして出しているのは「負担軽減マネジメント力」と「メンタルヘルスマネジメント力」の二つ。具体策も示されている。反論はない。がしかし、すっきりはしない。


 多忙感について論じられたもので、深く納得したのは堀裕嗣先生のブログにあった文章だ。かなり以前から書かれている。「多忙」と「多忙感」の見極め、そして「徒労感」を処する目配せは的確だ。反して行政側から調査や指導は様々あるが、施策にメスを入れる部分を素通りしていては、矛盾の誹りは免れまい。


 サークルを定期的に開いていたその昔、仲間がこう言った。「もっと楽に教えるために、オレたちは集まっている」。なるほどと思った。休日に集うのは楽な方法を知るため…確かにある一面をついている。ただ、その時間は面白くなければならない、充実して心が高揚してなければならない。その一点が分かれ目だ。


 かの遠山啓が「教師はペンキ屋ではない」といった文章を書いていると思う。比喩としてのペンキ屋は、言われた通りに子どもを塗り込めること。その意味で、絵描きとは言わないにしても、独創性があっての教職こそ醍醐味だ。発揮できるための道のりは結構あるが、登りつめる感覚があれば疲れもまた心地よい。


 と書きつつ、学校や関連機関の疲弊状況は構造的であり、教員への外部圧力は増す一方だと感じる。そこに内部の人間が安易に同期してしまえば、事態は悲惨だ。状況の深刻さに地域差はあるが、負担軽減、メンタルヘルスの質の見きわめなしに改善はあり得ない。教育現場のマネジメントの特殊性に目を配るべきだ。