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顕示と変化と億劫と

2013年10月26日 | 雑記帳
 BSで吉田拓郎がホストになって対談する番組を見た。ゲストは小田和正。同年代だが音楽性もずいぶんと違う。またその佇まいもかなり異なる。小田の理知的な姿に比べると、拓郎の奔放さは少し幼稚に見えたりして、それが作る曲にも反映されるのだろうなと想像した。年齢を重ねても人をつくる芯は残るものだ。


 ある雑誌の某生命保険会社の対談的なCM記事にも小田が載っていた。継続する大切さ、ブランクを作らないことを大事にしているという小田は、自分の役割を深く認識しているのだと思う。かの対談番組で「億劫」という言葉を気軽に出した拓郎をやんわりとたしなめたが、そこには一本筋の通っている論理がある。


 同じ雑誌に「男には気づかないけど、女には見えるもの」と題された面白い心理テスト結果があった。欲求特徴として男性は「顕示」と「変化」が強く、女性は「異性愛」と「養護」。人との関わりは性差より個人差が強いと感じていたが、原則はあるのか。では加齢によって、その特徴が薄まるのか、濃くなるのか。


 男性としてつらつら周りをみれば、「顕示」はそのままに「変化」が落ちてくるような印象だ。精神と肉体のギャップから来ているのか。侘しい話だ。女性の方は皆目分からないが個人差が大きい気がする。何かが弱まったら何かを強めていけばいいと思うが、変化を求めない億劫さを顕示することはやはり老化だ。


 「億劫」とは、「おっこう」という仏教用語からの転という。「おっこう」とは、とてつもなく長い時間のこと。時間が長くかかってやりきれない、という意味から考えられたらしい。齢を重ねて億劫になるのは、もしかしたら残された時間を想い、次第に手足が遠のくということか。「何をやるにも…」では困る。