すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

場を荒らすあらすじ係

2013年10月15日 | 読書
 『原稿零枚日記』(小川洋子 集英社文庫)

 久々の小川本。『博士の愛した数式』以降何冊か読んでいるが,イメージとして静謐がふさわしいかなと感じていた。しかし,この文庫はちょっと違う面を感じる。細密な観察力と描写を十分に味わわせてくれる妄想とでも言えばいいだろうか。複数登場する「○○荒らし」の記述では縦横無尽に筆が進む勢いがある。


 実際に事件を引き起こすわけではないが,身体じゅうの神経をとがらせながらその場に潜り込んでいる「○○荒らし」。「私」もその一人なのである。その場所は文学賞受賞パーティー,子泣き相撲イベント,病院の新生児室など。なかでも一番引きこまれてしまったのは,初めの方にある隣町のL小学校の運動会だ。


 家族も親類の子もいない学校の運動会を,ただ見るためだけに足を運ぶ。ラジオ体操,玉入れ,スプーンリレー…その動きや表情を「私」の視線で執拗に追っていく。そして,借り物競争で予想外に参加する羽目になった「私」の静かな興奮。こういう存在は,もしかしたら現実にいる…と,周囲を見回したくなる。


 詳しく読み解いていくと,いくつかの仕掛けが用意されているのだろう。おそらく,冒頭の「苔料理」の店の訪問,そして「あらすじ教室」の講師という仕事のあたりが強いポイントだ。それにしても,聴く人を魅了する「私」が語るあらすじを一度は聴いてみたい。本編より魅力あるあらすじとは一体なんなのか。


 「あらすじ係」としてのコツを披露している文章がある。全体の構造とか中心の流れはもちろんなのだが,「私」はこう記す。「最も大事なのは,流れの底に潜む特別な小石を二つ三つ見つけることなのだ」…それはもしかしたら作者自身も気づかない場合があるという。要約とは決定的に違う,新たな表現の誕生。