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学校から見放された人の学歴

2013年10月10日 | 読書
 高峰秀子には学歴がない。

 新潮社の『波』に斎藤明美が連載している「高峰秀子の言葉」のなかの一節である。
 連載も二十七回目であり、高峰の人生もある程度把握しているので、そりゃそうだと思いつつ、少し不思議な感覚も覚える。

 あの『二十四の瞳』の先生役のイメージが強いからか。
 また、「高峰秀子の言葉」が主たるテーマにされるほどインパクトの強い言葉を吐いている文章を読んでいるからか。

 いずれにしても、子役時代から大勢の親族を養うために働かなければならなかった高峰の現実は、冒頭の一言に集約される。
 松竹から東宝へ移籍した折に、わずかな期間女学校に通えることを「叫びたい思い」で迎えた彼女は、結局働くためにすっぱりと通学を断念することになる。
 逡巡することなく決断した彼女は、のちにこう書くのである。

 私は一個の商品であった

 十四歳の哀しい記憶を、高峰はそうふりかえったという。
 そして、次のようなことを誓ったと記してある。

 学校へゆかなくても人生の勉強は出来る。私の周りには、善いもの、悪いもの、美しいもの、醜いもの、なにからなにまでそろっている。そのすべてが今日から私の教科書だ

 ここを読み、「二十四の瞳」に出てくる川本松江、まっちゃんと言われる子の存在を思い出す。
 小学生で奉公に出なければならなかった松江に、大石先生はそんな言葉はかけられずに、ただ泣くだけだったように思う。

 フィクションではあるにしても、やはり学校という施設は貧しさで覆い尽くされた時代にあっても、結局のところ、善いもの、美しいものを目指す場であった。
 悪いもの、醜いものが傍にあったとしても、見て見ぬふりができる安全な場であることに違いない。
 そして教員はそのことを意図的に推し進めていく存在にほかならない。
 飛躍するが、地球上にまだ存在している学校という施設に通えない子たちにとって、いわば憧れの場にいる私たちが忘れてはいけないことだ。


 さて、高峰秀子の例は、現代日本では、特殊な、例外的なことと言えるだろう。
 ただ、学校から見放された人は、自分で周りのすべてを教科書にするしかない。
 それを貫徹したからこそ、高峰のような人間性が出来上がったのだろう。
 教育は自分で求めてこそ、強く発現する。それこそが学びであり、学びの歴史と言えるのではないか。

 結婚してから夫の松山善三に割り算と引き算を習ったと、笑顔で語った高峰の本当の「学歴」の豊かさを、誰が疑うことができるのか。