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身内や居場所が人間を救う

2013年10月20日 | 読書
 茂木健一郎は『ピンチに勝てる脳』(集英社文庫)で、このように書いている。

 面倒見のよいこの国全体の姿勢が、日本人を過保護にし、新しいことにチャレンジする気力を失わせてしまったのかもしれません。

 確かにそういう面があることは否めない。
 ふと思い出したのは、名著といってもいい『オシムの言葉』で、イビチャ・オシムが「日本人は、すべてが整備され自然に解決されていくことに慣れてしまっている」と語り、それが決定力を持つフォワードが育たない遠因であることを指摘していることだ。
 そういういわば他人任せの気質が、この国全体の沈滞を招いたとする論がでてきても不思議ではない。

 グローバリズムが広がる世界の中で、自分をアピールするとすれば、積極的に打って出る姿勢は不可欠である。そして競争を勝ち抜いてマーケットを手に入れることを目指していく。
 そんなふうに、全てが広く経済の対象になっていくのが、グローバリズムの本質ともいえるだろう。

 しかし、それで本当にいいのか。
 いつもそのことは頭を離れない。

 講談社から出版されたこの本を読んだ。

 『脱グローバル論 ~日本の未来のつくりかた』

 内田樹と、前大阪市長の平松邦夫が中心になって、計4回行ったシンポジウムの記録である。
 20代から60代まで計7人の論者たちが語る内容は、刺激的でありかつ納得できる点が多かった。

 特に驚くのは20代、30代の持つ冷静な価値観とすばやい行動力。
 そして(その場に招かれていること自体が一つの思想であるにしても)、安易に今の流れに乗らないぞ、という確固たる精神。
 「縮小均衡」していく日本社会でも、インターネットを含めたテクノロジーの発達や、シェアハウスといった新しいコミュニケーションのあり方によって、未来を描けるという発想は新鮮であったし、一定の説得力が感じられるものだった。

 おそらく自分には、そして論者の半数の方々にもその真似はできそうにないのだが、「つながる」「居場所づくり」という根っこの部分では共通した感覚があるように思う。

 論者の一人中島岳志が語った印象深い言葉がある。

 新しいジモト主義

 けして外向きではないが、内に向ける関心とエネルギーに可能性を見い出すという。

 「ジモト」と言えば「あまちゃん」が思い出されるが、そこで提起されていたことを思い返せば、結局は「身内」や「居場所」が人間を救うものだということに強いシンパシーを覚える。