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黒船だけに目を奪われるな

2013年10月13日 | 読書
 季刊誌『考える人』が「人を動かすスピーチ」という特集を組んだ。
 冒頭に茂木健一郎が「TEDという黒船」と題して原稿を寄せている。
 どこかで目にした記憶はあるが,TEDについてはまったく知らなかった。
 「はてな」で検索した。
 
 なるほど。日本でもずいぶんと関連するイベントが広がっているらしい。

 茂木のこの文章はいわば「TED讃歌」である。
 このように括っている。

 問われているのは,グローバルな文脈での独創性と,コミュニケーション能力なのだ

 この一見凡庸な言い回しも,実はかなりレベルの高いところで束ねられた表現のようだ。
 語ること,スピーチについてはかなりの自信を持っている茂木自身のキャリアの中でも,いかにこのTEDが「家賃が高い」会議であったかを強調している文章が続いている。

 「コミュニケーション能力の最高レベルでのパフォーマンスを要求する」「本当に『広げるに値するアイデア』であるかどうかが問われる」「一秒たりともムダにしてはならない」…渾身のスピーチに要求される核を抜き出しているように書いている。

 そして,こんなふうに問いかける。

 日本の講演文化はぬるすぎて,退屈に感じてしまう。黒船を前にして,私たちはどれくらい本気になれるか。

 TEDを黒船と意識する人間がどの程度存在するのだろう…と考えながら,こういうあり方だけではないような気がしている自分がいて,ちょっと落ち着かなかった。

 それは次の,リチャード・サウル・ワーマンというTEDの創始者であり,十年前に売却したという人物のインタビューではっきり見えてきた。

 ワーマンは「次なるもの」を作り始めたという。昨年の初めての集まりに冒頭でこう宣言したという。

 「大きな後戻りの旅へようこそ」

 それは,異業種の二人組が客席に顔を向けることなく,思いつくままに知的対話を繰り広げるものだった。

 そうか,そこに戻るのか,と思った。
 いや,それは後戻りかどうか簡単に表現できるものではないけれど,やはり対極的な位置で学びは発生するのだろう,という気持ちになる。

 つまり,目標を絞り込んで明確に追究していく,成果や収穫もはっきりした形で得られる場。
 そしてもう一方は,行き先ははっきり聞いていないけれど,その時間を満たす空気に包まれて,ぽつりぽつりと気づきを重ねていく場。

 どちらにも価値がある。併行できると信じている。
 ただバランスとして前者に偏りすぎると,その選択までが埋没されられる危険性が高いのは,その進め方からして自明のことだろう。

 その意味でTEDを「黒船」と呼ぶことは,ひどく当てはまるのかもしれない。