すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

ドラマは家庭の食卓から

2013年11月23日 | 雑記帳
 「食」と「ドラマ」。また寝付かれないベッドの上であれこれ思索が始まった。食の切り口はいろいろあるが,主として「食卓」だ。そうすると,よく思い出されるのが,あの「寺内貫太郎一家」。あんな不自然に(カメラに背を向ける者がいない形)食卓場面を見せるとは,今となっては驚きだ。舞台的とも言えるか。


 最近のドラマで,食といえばまず「ごちそうさん」となるか。東京編,大阪編いずれも食卓場面は出てくる。その他,自分が目にする範囲では「東京バンドワゴン」,さらに「家族の裏事情」,あっそういえば「リーガル・ハイ」も結構食卓場面が多いことにも気づく。食事しながら語らせる意味があるということだ。


 一つには,人物を一挙に登場させる必然性のある場だと考えられる。一般家庭の現状は抜きにしても,家族や同居者が集まる時間がいつかと言えば,それは食事ということになる。そして,そこで結構重要なことが話題になるのだが(ドラマだから当然),食という主行動があるから不自然感が避けられると言える。


 食事をするとき,人はある意味で無防備といえないか。心情がむき出しになる場合も少なくない。だから口論,諍いの発端となる場という特色がある。また,そのなかで「ちょっと納豆とって!」「なんだよ,その食い方は」などといった些末的な台詞を入れることで,性格や人間関係をさりげなく入れ込みやすい。


 ドラマにおける,外食時のレストラン等での食卓と,家庭内での食卓には大きな隔たりがあるようだ。前者は目的が食事以外の設定である。展開の一部でしかない。後者は食事が目的の場における事件発生だ。重要な現場であることは疑うべくもない。全編食卓というドラマはきっと面白い…昔あったような気がする。