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体験しにくい言葉の体験を

2013年11月24日 | 読書
 『「ことば遊び」で国語授業を楽しく』(鈴木清隆 明治図書)

 発表の事前学習の意味で再読してみた。94年の発刊、約20年前の著書である。「国語科リフレッシュ提案②」というシリーズ名があるが、他に関連著書は持っていただろうか。ともかく今読んでも新鮮で、刺激になる著だった。特に第一章に書かれてある著者の文章には、言葉遊びについての認識を新たにさせられた。


 ゲームやクイズが多用される言葉遊び。その意義をこう記してある。「ゲームもクイズも、知識を正面からではなく、裏や横から眺めてつくる。多弁を弄するのである。そのことが、言葉を吟味させ、言葉を増やすきっかけになる」…寄り道、回り道の薦めである。スピード化の現在では流行らないのかな、この思考。


 なぞなぞやゲーム等を思いつき、その場限りと突き放すのは容易い。しかしそこからが肝心なはず。こんな言葉がある。「思いつきだったことに、次第に輪郭がついていく。どんな思いつきも馬鹿らしくはないものだ。馬鹿らしくするかどうかは受け手の論理や感性の問題なのだ」…そこに向かう当事者性の強さだ。


 もしかしたら今でも、活動に「遊び」とつくと、どうも低級なイメージを思い浮かべる人がいるのではないか。この言葉は、とてもしっくりきた。「<遊び>は<動き>なのです。<流れ>なのです」…もちろん活動に没頭する身体は大事だけれど、もう一面で冷静に前後と結び付ける思考は持ちたい。準備と分析か。


 発表の結び画面には、著者の「言葉を豊かにする。その方法を一言で言い切ってみたい。日々の生活では体験しにくい言葉の体験をすること」を引用する。文章の読み取りや音読でももちろん、そのこだわりは発揮できるが、言葉遊びの気軽さや楽しさは、大きなメリットだ。興味を持ってもらえるよう話をしてみたい。