すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

まだまだ道のり遠し

2013年11月26日 | 雑記帳
 研修会翌日,野口先生が花巻市内の小学校で児童相手に特別授業をなさるというので,参観させていただいた。5年生の学級で教科書にある「論語」の授業だという。いわゆる「伝統的な言語文化」にあたる教材だ。音読,暗唱が活動の中心とするのが一般的のようだが,先生はどのように料理されるか、注目した。


 導入で「凡人」という言葉を出し,それから秀才・天才そして「聖人」という言葉を教え,四大聖人について触れた。「孔子」の「子」は先生の意味であるから,「曰く」を「いわく」ではなく「のたまわく」に,解説文も「孔子は言った」でなく「おっしゃった」と読み替えるよう指示。教材の訂正から始まった。


 「己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ」。音読を繰り返し、視写をさせて、最初に指示したことは次のことだった。「自分がされて嫌なことを書きましょう」。できるだけたくさん書くように言われ、その返答が漠然としていると「具体的に、~から~されたこと」と、自分の体験をしっかり思い出すように話す。


 「過ちて改めざる、是を過ちと謂ふ」。この箴言についての、初めの問いは「今まで、過ちをしていないという人は○、過ちをしてきたという人は×をノートに書きなさい」というもの。当然大方が○と書くことを予測しての問いであるが、その時誰しも一瞬自分を振り返り、他者もまた同じであることは確認する。


 「こういう勉強は、ああ、こういうことなんだと思わなくちゃいけない」。授業の後半部で野口先生が諭すように語られた。おそらく私達もこうした格言を指導するにあたって、自らの体験を呼び起させるような指導言は使うであろう。しかしその深度はいかほどのものか。言語人格の陶冶、まだまだ道のり遠しである。