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その「爆弾」をつくる作業とは

2013年11月28日 | 読書
 『短歌という爆弾』(穂村弘 小学館文庫)

 2000年に発刊された本が今年文庫化された。副題が「今すぐ歌人になりたいあなたのために」となっている。1章、2章は楽しく読めるが、それ以降は以前読んだ『短歌の友人』という評論集より難解だ。読み進めていけば「今すぐ歌人になりたいあなた」は、「止めときなさい」の返答が突きつけられた気になる。


 書名が物騒だ。だがこの書名ほど穂村の言わんとする短歌の生命を表わす言葉はないようだ。誰かに向ける、誰かを驚かす、そのために言葉という火薬を詰め込みながら爆発物に仕上げる…しかもひっそりとその作業は行われる。五七五七七という変哲もない形式に込められた想いのドロドロ感まで想像してしまう。


 納得しながら読み進められた「1 製造法」は座談会と電子メールの往復という形式になっている。これが実にわかりやすい。素人?の作品を解釈していく歌人の目は、やはり「爆弾製造者」だなという気がしてくる。いかに危ない要素をその言葉や並びが潜めているか、暴き出してくれる。化学変化を知る人たちだ。


 メールレッスンの冒頭で、穂村は洒落た言葉を使う。「単なる言葉の添削ではなく<心の文法>を考えながら進めたい」。ふむふむ(穂村の場合は「ほむほむ」か)。「心の文法」ねえ。心の使い方ということなのだろうが、少なくとも真っ当なものじゃ爆弾は作れない。つまりは危険志向、不幸志向ということか。


 危険や不幸は言い過ぎかな。しかしこんな言葉も呟かれている。「善意や行為や明るさの領域だけで書かれた歌には、本当の力は宿らない」…数年前子どもたちへの授業として取り入れたこともあり、自分もちょっとだけ歌作を試みたことがあった。しかしこの観点は見えていなかった。花鳥風月を超えるのはそこからか。



 難しい歌論の中で理解できたこと…すぐれている短歌は「共感性」があること。「共有できる感動」といってもいい。数多くの凡人が気持ちや体験を形式に当てはめても「自分で自分に共感してしまって」は、他者の気持ちを揺り動かせはしない。「心に向かって言葉を研ぎ澄ます」…ただ、この一点への道程なのだ。